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第三章 帰宅の時間 「局地的なゲリラ豪雨」×「有効敷地面積二平米のバス停」

 「本日の授業、および全ての放課後資材搬入は終了した。……生存確率、依然として極めて低いが、まずは第一ミッション(学校の敷地からの脱出)は完了だ」夕暮れ時。私は新調したばかりの黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、県立高校の正門を潜り抜けた。 私の愛用する「十五桁の両面そろばん」は、今日一日のあまりに過酷な連続デバッグ演算によって、心なしかフレームが帯熱しているように感じられる。午前中のホームルームに始まり、階段での「落下コンクリートブロック神回避」、放課後の「理科準備室・濃硫酸トラス構造支持デバッグ」、さらには体育館倉庫における「図面ケース隔壁パーテーションによる密室構築」。これだけの不条理な確率変動をすべて「現実の物理法則」と「建築力学」だけで無効化してきたのだ。私の脳内CPUの負荷は、設計限界(限界状態設計法における限界値)に極限まで近づいていた。「早く、一刻も早く、私のプライベートな絶対防空壕(自宅)へと帰還し、有効敷地面積内の安全率を確保せねばならない」「ねえ、律。なんでそんなに競歩みたいな歩行速度(秒速二点二メートル)で歩いてるの? 私、アンタのツナギの裾を掴むだけで、摩擦熱で指の皮が剥けそうなんだけど」隣を歩く桜庭結衣が、不満そうにピンク色の髪を揺らしながら、私のツナギの裾をぎゅっと引っ張った。彼女の歩幅は私の歩行ピッチに完璧に同期しており、そのピンク色の瞳の奥には、やはり私を自分の設計図ヤンデレルートへと軟禁しようとする昏いプログラムが、バックグラウンドプロセスで静かに稼働しているのが見て取れた。「結衣、帰宅の動線において歩行速度を低下させることは、世界のシステムに『夕暮れの買い食いイベント』や『不審な野良犬に追いかけられるフラグ』などの割り込み処理(割り込みタスク)を許す余地を与えることになる。帰宅とは、最短距離を最小時間で踏破する、一方向のベクトルでなければならないのだ」「もう、律はロマンチックの『ロ』の字もないんだから……。あ、でも、そんな理屈っぽい律も、私の計算ナビゲーションの範囲内だから可愛いんだけどね」



(主人公:可愛いとか言うな! それはヤンデレシステムが私の認知を歪ませるための、初期化バッファの書き換え作業だ!)



 私はそろばんの珠をパチリと弾き、不穏な空気を物理的に霧散させようとした。だが、その時。私の眼鏡のレンズに、不自然な「一点の冷たさ」が衝突した。ポツリ。「……? 降水確率はゼロパーセントのはずだが。外気温度、および気圧配置に、ゲリラ豪雨を誘発するようなマクロな気象バグは存在しない」私が空を見上げた、まさに次の瞬間だった。ゴロゴロロゴロ!!!「ターゲット起動。世界ラブコメシステムの、あまりに横暴な『物理エンジンの強制書き換え』を検知!」青空が残る夕焼け空の一部が、まるで黒いインクを物理的に流し込んだかのように急速に暗転。コンマ二秒と経たないうちに、大気中の水蒸気量が飽和状態を突き抜け、バケツをひっくり返したかのような「局地的なゲリラ豪雨」が、私たちの頭上へと牙を剥いた。ビシャシャシャシャシャシャ!!!「きゃあああっ!? 何これ、突然の雨!? 傘なんて持ってないよぉ!」結衣が悲鳴を上げ、私のツナギの右袖に思い切り抱きついてくる。だが、私は冷静だった。私の脳内そろばんは、すでにこの「局地的なゲリラ豪雨」の不自然極まりない雨粒の落下ベクトルを、完全に解析アナライズしていた。「……おかしい。雨粒の落下軌道が、風向に依存しない完全な垂直落下(重力加速度九点八メートル毎秒毎秒)を示している。かつ、雨の降っているエリアが、私たちのいる道路周辺の『半径五十メートル』に完全に限定(局所化)されている。これは自然の気象現象ではない。……『流体操作』による、極めて意図的な動線ジャミングだ!」



 「ふふふ。逃げ道は塞いだわ、佐々木律」前方の水煙の向こうから、傘も差さずに直立している、水色のボブカットの少女。水乃小路怜が姿を現した。彼女の周囲だけは、大気中の水分が完璧に整列しているかのように、一滴の雨粒も彼女の衣服に接触していない。彼女の持つ「水使いのお約束フラグ仕様」が、局所的な流体力学の法則を完全に支配している証拠だった。「水乃小路さん! 道路交通法、および公共空間の管理規程を無視した、私的な水流の不法投棄(ゲリラ豪雨)は直ちに中止しなさい!この道路の排水溝の通水容量キャパシティは、これほどの不条理な流量を想定していない!」「私の水流操作は、あなたをこの先の『唯一の退避空間』へと誘導するための、合理的な動線設計プロットよ。さあ、濡れたくないなら、そこにある場所へ逃げ込みなさい」怜が細い指先で示した方向。 そこには、片側一車線のバス通りに、ぽつんと設置された古びた「木造のバス停留所」があった。「あのバス停は……!」私は瞬時にその構造体の寸法スペックをスキャンした。有効間口、千八百ミリ。有効奥行き、千百ミリ。木造の柱と、三方を囲うトタンの波板。そして、大人二人がようやく座れる程度の小さな木製ベンチ。 有効敷地面積、およそ二平方メートル。「……最悪のトラップ(お約束空間)だ。このゲリラ豪雨の中、有効敷地面積がわずか二平米の極小空間に、若い男女が二人きりで退避する。かつ、吹き込む風雨を避けるために、二人はお互いの肉体を物理的に極限まで密着オーバーラップさせざるを得ない。さらに、濡れたツナギと制服が衣服の摩擦抵抗を減らし、滑り込むようにして互いの体温を分け合う……」「きゃっ、律、早くあのバス停に入ろう!このままだと、お気に入りのリボンが濡れて、繊維が収縮エラーを起こしちゃう!」結衣が私の腕を引っ張り、その二平米のバス停へと退避しようとする。



 「待て、結衣!あのバス停にそのまま入ることは、世界の用意した『相合傘・密着接触イベント』のプログラムを、ノーガードで実行するのと同義だ! 入った瞬間、パーソナルスペースは物理的に完全消滅する!」「いいから早く! あそこしか雨を凌げる遮蔽物ルーフはないんだから!」結衣の強引な引張モーメントに抗えず、私たちは豪雨の中を滑り込むようにして、二平方メートルのバス停のトタン屋根の下へと転がり込んだ。雨脚は、さらにその激しさを増していく。トタン屋根を叩く雨音が、鼓膜:音圧レベル八十デシベルの爆音で響き渡る。バス停の三方の壁(トタン板)は、不自然な突風によってガタガタと激しく振動し、内部への雨の吹き込み角は「斜め四十五度」へと変化した。「ほら、律! 雨が吹き込んできて冷たいよ! もっと、もっとこっちに寄って!」結衣が私のツナギの胸元に、その柔らかい身体を完全に押し当ててきた。彼女のピンク色の髪から滴る水滴が、私の首筋を濡らす。彼女の心臓の鼓動(心拍数:毎分百十回)が、私の胸板へとダイレクトに伝達トランスファーしてくる。通常の男子高校生であれば、ここで頭の中が真っ白になり、「ゆ、結衣……お前、柔らかいし、なんかすごくいい匂いが……」「バ、バカ律……。どこ見てるのよ……(顔を赤らめて上目遣い)」となる、王道中の王道、これぞ「雨宿りお約束フラグ」の完遂である。だが、私は一級建築士の卵、佐々木律だ。「……二平米という極小空間のゾーニング、および境界条件(吹き込み風雨)の動的変化。すべては世界のシステムが設計した、あまりに安易なラッキースケベ動線。……だが、私の建築理論を以てすれば、この二平米の空間に、完全な『独立プライベート区画プライバシースペース』を構築することは容易だ!」「デバッグ・シーケンス、起動!」私は、ツナギの右脇にしっかりと抱えていた「二枚の構造用シナ合板(製図板)」と、先ほどの体育館倉庫で救出してきた「A1サイズ・耐衝撃ポリプロピレン製図面ケース」を、その場に展開した。「結衣、動くな! 今からこの空間の『環境工学的・構造的改修』を執行する!」「えっ、何するの、律!? 今、すごく良い雰囲気(お約束)だったのに!」私はまず、一枚目の製図板を、ベンチの座面に対して垂直に突き立てた。そして、二枚目の製図板を、私の頭上から結衣の頭上へと斜めに渡し、既存の木造バス停のトタン屋根と「トラス(三角形の安定構造)」を形成するように噛み合わせた。 仕上げに、A1サイズの図面ケースを、私と結衣の「物理的境界線センターライン」として、ベンチの中央へと垂直にスライドインさせた。



ガツン!!! ピタッ。



 「空間ゾーニング、完了。製図板による『簡易キャノピー(吹き込み防止庇)』、および図面ケースによる『空間分離用遮音隔壁パーテーション』の施工により、有効敷地面積二平米の空間は、それぞれ一平米ずつの『完全独立防風区画』へと分割された!」この改修により、私と結衣の間の距離は、厚さ五十ミリのプラスチック壁によって完全に隔離された。 吹き込んでいた斜め四十五度の雨粒は、新設された製図板のキャノピーによって、外側のアスファルトへと完全に排水バイパスされていく。 私の区画(エリアA)と、結衣の区画(エリアB)の物理的接触確率は、これにてゼロパーセントとなったのだ。「ふぅ……。風力荷重、および流体圧力に対する構造安全率、一点二五。……完璧なるデバッグだ。これで肌が触れ合うことも、不適切なラッキースケベが発生することもない」「……信じられない」トタン板の隙間から、バケツを抱えた水乃小路怜が、その驚愕に染まった水色の瞳でこちらを見つめていた。「私の最大風雨量アクア・マックスによる空間ジャミングが、たった二枚の合板と図面ケースの『増築ゾーニング』だけで、完全に環境コントロールされるなんて……。佐々木律、あなたの空間設計能力、本当に人間の領域を超えているわ」

「言ったはずだ、水乃小路さん。建築とは、不条理な外部環境から人間の尊厳パーソナルスペースを守るための、合理的科学なのだ。君の水流操作など、私の設計図プランの前には、ただの不適切な配管からの水漏れに過ぎない」



 私は眼鏡のブリッジをクイと押し上げ、豪雨の中でも一滴の雨に濡れることなく、仁王立ちした。勝った。世界の不条理な気象バグを、私は再び建築工学の基本原則だけで完全無効化してみせたのだ。だが、デバッグに成功した安堵感に浸る私の耳に、図面ケースのプラスチック障壁の向こうから、不気味な「きしみ音」が聞こえてきた。ミシ……。ミシ、ミシ……。「……? 構造的な荷重エラーか?」私は異音の発生源へと視線を向けた。そこには、私が設置した図面ケースの隔壁を、その小さな両手で、恐ろしいほどの力(推定引張荷重、五百ニュートン)でメリメリと握り潰そうとしている結衣がいた。「り……つ……?」隔壁の隙間から、結衣のピンク色の瞳が、信じられないほど深い、昏い光を放ちながら私を凝視していた。彼女の背後には、夕闇の影が不自然なほど濃く立ち込めており、彼女の周囲の温度(微気候)だけが、急速に低下しているように感じられた。「なんで……。なんで、こんなパーテーションを作るの……?」「結衣、これは君の衣服が濡れるのを防ぎ、かつ、不必要なラッキースケベ接触を合理的に防止するための。」「私は……。私は、律と一つ屋根の下(二平米のバス停)で、雨に濡れながら、お互いの体温を感じ合って……『やっぱり、私には律しかいないんだ……』って、その心拍数の確率変動を、二人で共有したかっただけなのに……」



メキ、メキメキメキ……!!!



 頑丈なはずのポリプロピレン製図面ケースに、結衣の指先が食い込み、白い亀裂が走り始めた。その物理強度を遥かに超越した「ヤンデレ質量(重力)」に、私は全身の細胞が危険信号(緊急アラート)を鳴らすのを感知した。「それを……。こんな、合板とプラスチックの板一枚で……。私たちの『お約束の動線』を、勝手にデバッグ(邪魔)しないでくれる……?」「結衣!? 待て、その荷重は図面ケースの許容引張強度を明らかに超過している! これ以上の加圧は破壊試験に――」「邪魔な壁は……『撤去(解体)』しなきゃ、ね?」



バキィィィィン!!!



 強烈な破砕音とともに、厚さ五十ミリの頑丈なプラスチック製図面ケースが、結衣の素手による一撃によって、見事に真っ二つに叩き割られた。 分割されていた二つのエリアが、再び一つの「密着空間」へと統合マージされる。「ひ、避難安全区画が……一瞬で大破した……!?」私は驚愕のあまり、そろばんを持ったまま硬直した。結衣は真っ二つになった図面ケースの残骸を踏み越え、ゆっくりと、しかし確実に、私との距離を「ゼロ」にするために一歩を踏み出してきた。そのピンク色の瞳には、もはや世界のシステムすらもハッキングして上書きしてしまいそうな、圧倒的な「執着プログラム」が完成していた。「さあ、律。もう遮る壁はないよ? 雨が止むまで、私の温もり、ちゃんと計算デバッグしてね……?」



(主人公:……待て!!!水使いのゲリラ豪雨を神回避したと思ったら、最大級のシステムウイルス(ヤンデレ)が物理的に防護壁をブチ破って侵入してきたんだが!?誰か、この暴走するヤンデレの『破壊荷重』を再計算してくれぇぇぇ!!!)



 夕闇と豪雨が包み込むバス停。 私のそろばんは、すでに計測不能(エラーコード:999)の警告表示を点滅させ、私の「平穏な学園生活」の設計図が、根本から破破・再施工(スクラップ&ビルド)されようとしていることを告げていた。私の、高校最初の一日は、ついに最悪の「特大の引き」を以て、夜のフェーズへと移行しようとしていた。


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