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白紙婚の監査令嬢は、帳簿魔法で辺境を黒字にする  作者: 小竹X


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第九話 積雪路線とパンの数

 パンの数が合わなかった。


 レオンハルトの執務室の隣へ運び込まれた私の机は、朝から地図と帳簿で埋まっていた。まだ木の匂いが残る天板の上に、領内の積雪路線図、兵糧消費表、厨房の焼成記録、各砦の受領簿が重なっている。


 冬の配給用のパンは、袋ではなく籠で動く。一籠八個。凍えた手でも数えやすく、受け渡しの途中で崩れにくいからだ。


 だから、減り方が綺麗すぎた。


「また八ですか」


 向かいで紙をめくっていたミレイユが、息を詰めた。


「北西の見張り砦で八個不足。河岸の中継所で十六個不足。南斜面の雪囲い小屋でも八個……」


「距離はばらばら。雪の深さも違う」


 私は三枚の受領簿を路線図の上へ並べた。


「それでも不足は全部、八の倍数です」


 雪は、そんな減り方をしない。


 吹雪なら籠ごと落ちる。凍結なら表面が固くなる。馬橇が横転すれば、潰れるのは端の列からだ。けれどこの帳簿は、いつもきっちり一籠分ずつ消えている。


「雪に食べられた、ではないですね」


 ミレイユの声はまだ半分だけ疑っていたが、指先はもう次の帳簿を探していた。成長が早い。


 私は厨房の焼成記録を開いた。


「焼き上がり数は合っています。中央厨房から出る時点では足りている。受領側だけが足りないなら、減っているのは路線の途中です」


 扉が開いた。


 レオンハルトが入ってくる。続いてガレス。二人とも朝の外気をそのまま連れてきたような顔だった。


「何が見えた」


「積雪路線です」


 私は籠数を書き出した紙を差し出した。


「パンが雪のせいで減ったことになっていますが、不足数が整いすぎています。一籠八個単位で抜かれている」


 ガレスが眉をひそめた。


「冬道じゃ荷は減る。凍えて食う連中もいるし、落とすこともある」


「ええ。ですから、数えました」


 私は不足が出た路線へ印をつける。


「長い路線だけではありません。むしろ短い路線でも同じ減り方が出ている。しかも途中の中継小屋を通る便だけです」


 レオンハルトが地図へ視線を落とした。


「どこだ」


「北西路線の石橋中継小屋」


 私は即答した。


「ここを通った便だけ、道員向けの追加配給が二籠ずつ記録されています。でも道員の人数表は先週から更新がなく、同じ十八名のままです」


 ガレスが紙を覗き込む。


「石橋の除雪班は九人だ。今冬は人手が足りん。三班も置けるわけがない」


 数字より先に、現場が否定した。


 私は立ち上がった。


「行きましょう」


「今からか」


「パンは夕方まで待ってくれません」


 レオンハルトは一拍だけ私を見て、それからガレスへ向き直った。


「馬橇を出せ。中央厨房から北西便へ回す籠は、そのまま積め」


「閣下、自ら行くのか」


「監査権を出した初日に、妻だけ雪道へ出す気はない」


 短い言葉だったが、兵の前で言われると効き方が違う。私の権限が紙の上だけではないと分かるからだ。


 ミレイユが慌てて立ち上がった。


「わ、私も行きます。路線台帳、持てますし」


 彼女の耳はもう真っ赤だったが、逃げる顔ではなかった。


「では、その帳簿を落とさないで」


「はいっ」


 北門を出る頃には、吐く息が白いというより痛かった。


 馬橇の滑走板が固い雪を削り、きしきしと乾いた音を立てる。荷台には焼き上がったばかりの黒パンの籠が十二。麻布越しにも熱がまだ少し残っていて、その匂いが冷気の中でかえって目立った。


 私は籠ごとの封札を確かめていく。青。青。青。中央厨房を出た時点では、全部が正常だ。


「どうだ」


 向かいの席で、レオンハルトが問う。


「今のところ、荷は無事です」


「なら本当に途中だな」


「ええ。雪道ではなく、人の手の途中です」


 ガレスは前方を見たまま鼻を鳴らしたが、否定はしなかった。


 石橋中継小屋は、川をまたぐ低い石橋の手前にあった。屋根には雪庇が垂れ、戸口の脇に雪掻き用の角匙が立てかけられている。除雪の拠点としては妥当な場所だ。だからこそ、帳簿に紛れやすい。


 私たちが着くと、小屋番の男が慌てて駆け出してきた。


「閣下。こんなところへ何用で」


「北西便の立ち会いだ」


 レオンハルトが答えるより早く、私は荷札を見せた。


「追加配給の受領も確認します。道員十八名、パン二籠。今から渡してください」


 男のまぶたがぴくりと動いた。


「ちょうど、今から昼でして」


「都合がいいですね」


 中央厨房の荷役兵が籠を下ろし始める。男は二籠だけ別へ避けようとした。私はその手元を見た。籠の側面に白い粉が薄くついている。持ち上げ慣れた手だ。


「受領簿を」


 男は渋々、扉脇の棚から板綴じを持ってきた。


 道員十八名。追加配給二籠。毎回同じ文言、同じ量。


 指先を触れると、その行の数字だけが黒く濁った。


 後から足された線だ。


「除雪班を全員、ここへ」


 レオンハルトが言うと、男は露骨に顔をこわばらせた。


「い、今は持ち場が」


「呼べ」


 低い一声で終わった。


 ほどなくして集まったのは、九人だった。


 毛布を巻いた男が三人、つるはしを肩にした若者が二人、年嵩の道員が四人。戸口の内側を見ると、湯気の立つ椀は九つ。乾かしてある手袋も九組。壁際の寝台も、毛布が使われているのは半分だけだった。


 ミレイユが帳簿を胸に抱えたまま、小さく言った。


「十八人分の木椀、ありません」


 私は頷いた。


「ガレス隊長。今冬の石橋除雪班は」


「この九人で全部だ」


 彼は小屋番を睨んだ。


「俺が編成した。顔も名前も合ってる」


 では、残り九人のパンは誰が食べたのか。


 男の鼻先に汗が浮いた。ここまで冷えていて汗をかくなら、それは暖炉のせいではない。


「説明を」


 私が促すと、男は唇を湿らせた。


「わ、私は指示どおりに受けただけで……」


「誰の」


「第三兵糧庫の帳場です」


 ガレスが舌打ちした。


「倉庫が道員食にまで口を出すか」


「籠二つは毎回ここで休ませろと。夕方に下の小屋へ回せばいい、そのぶん受領簿は十八名で通る、と……」


「下の小屋?」


 男はしまったという顔をした。


 私はすぐに戸口を出た。小屋の裏手は川岸へ向かって緩く下っている。踏み固められた雪の上に、大きい馬橇ではなく、小さな荷橇の跡が新しく走っていた。道筋は公式路線から外れ、柳の林の陰へ消えている。


「こっちです」


 ガレスが先に駆ける。レオンハルトも続いた。


 林を抜けた先に、板壁の倉があった。塩置き場にでも使っていたらしい古い小屋で、表の錠は閉まっていたが、脇の雪だけが何度も踏まれている。


 レオンハルトが鍵ごと蹴り飛ばした。


 中は、冷えきった小麦粉の匂いで満ちていた。


 壁際に積まれた黒パンの籠が四つ。まだ温もりの残るものが二つ。奥には小麦粉の袋が六。袋口の縫い糸には、第三兵糧庫の青い封蝋が割れた跡と、上から書き直した白いチョークの印が残っていた。


「パンだけじゃない」


 私は袋の印をなぞる。


「倉庫で出した数を、路線の途中で食い替えている」


 ガレスが棚の裏から木札を拾い上げた。


「行き先札だ。北西砦、河岸詰所、南斜面小屋……全部ある」


 一本の小屋の問題ではなかった。


 路線ごとの不足が綺麗すぎた理由が、ようやく形になる。道が食っているのではない。倉庫から出たあと、中継小屋を使って便ごとに一籠ずつ剥いでいたのだ。


 レオンハルトは小屋番へ視線を向けた。


「誰が回収する」


「し、知りません。夕方になると、第三兵糧庫の印付き荷橇が……。私は鍵を開けるだけで……」


「十分だ」


 彼はガレスへ命じた。


「小屋番を拘束。第三兵糧庫の出入口を封じろ。今日以後、積雪路線の追加配給は頭数確認と現場責任者印の両方が揃わなければ通すな」


「はっ」


「パン籠は一籠ごとに封札を増やす。道員食は兵食と分けろ。空籠の返却数まで照合する」


 私は続けて言った。


「ミレイユ、路線ごとに中継小屋の追加配給欄を抜き出してください。八個、十六個、二十四個。綺麗に減っている便を全部」


「はい」


 彼女は震える指で頷いたが、もう声は裏返らなかった。


 レオンハルトが私の隣へ来た。


「次は倉庫か」


 私は白いチョークで書き直された印を見た。


 雪の上に落ちた粉は、朝の光で妙に明るい。こういう白さほど信用できない。


「ええ」


 袋口の糸を指先で弾く。切り直された結び目が、硬く戻っていた。


「道は悪くありません。悪いのは、その道を都合よく使っている手の方です」


 第三兵糧庫。


 次に見るべき鼠の巣は、もう決まっていた。

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