表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白紙婚の監査令嬢は、帳簿魔法で辺境を黒字にする  作者: 小竹X


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/48

第六話 幽霊兵の給料

 騎士隊長ガレス・ロウェルは、朝から機嫌が悪かった。


 それも無理はない。婚儀の翌日から屋敷の出納が止まり、倉庫が封じられ、新しい大公夫人に呼び出されたのだから。


「で?」


 彼は執務室へ入るなり腕を組んだ。


「俺は何を確認すればいい。帳簿の見方なら分からんぞ」


「見方は要りません」


 私は椅子を勧めもせず、机の上の名簿を示した。


「この名前の兵たちが、今どこにいるか教えてください」


 ガレスは紙を引き寄せ、無造作に目を走らせた。二行目で表情が変わる。


「……おい」


「ええ」


「この名簿、どこから出した」


「大公邸の給与台帳です」


 彼は黙ったまま、もう一度最初から読み返した。


 ページの上には、今月も給与支給済みとなっている兵の名前が九つ並んでいる。だがそのうち三名は死亡、四名は退役、二名は昨冬の雪害で再編時に他隊へ移っていた。


 ガレスが読むたび、その名はただの文字ではなくなった。黒河、雪崩、退役村。紙の上の一行に、土と血と冬の匂いが付く。


「ヨルン・ベッカー」


 ガレスが低く読む。


「黒河の戦で死んだ。俺が墓標を立てた」


 次の名。


「パーヴェル・ユング。右脚を失って村へ帰した」


 さらに次。


「ラウル・セイン……こいつは第七補給隊だ。雪崩で」


 そこで彼は紙から顔を上げた。


「なんで、こいつらに今も給料が出ている」


「それを調べています」


 私は別の台帳を横に置く。


「しかも受領印つきで」


 ガレスが紙を掴む手に力を込めた。


「受け取れるはずがない」


「はい。だから、受け取った者が別にいる」


 レオンハルトは窓辺に寄りかかるように立ったまま、一言も発していなかった。けれど、その沈黙はよく切れる刃物に似ている。


「ガレス隊長」


 私は言った。


「この九名の最終確認日と、遺族・退役先が分かる資料を持ってきてください。兵舎か騎士団の名簿にあるはずです」


「ある。俺のところに」


「では照合を」


 彼はすぐ動かなかった。


 代わりに、机の上の受領印をじっと睨んだ。


「……この金が、どこへ行ったかも追えるのか」


「支払いの流れは追えます。ただし現金化されてから先は、人の証言も必要です」


「だったら追え」


 初めて感情が剥き出しになった。


「冬越しの手当が足りないと言われて、何度遺族に頭を下げたと思ってる。年金も、弔慰金も、今は厳しいと。そう言った金が、死んだ連中の名前で抜かれてたなら」


 彼はそこで言葉を飲み込み、荒く息を吐いた。


 私はその怒りが好きだった。乱暴だからではない。数字の先にいる人間をちゃんと見ている怒りだからだ。


「昨夜、食糧庫から別の控えも見つかりました」


 私はエドガーの控え冊子を開いた。


「第七補給隊の名で食糧も動いています。つまり、兵糧と給与が同じ幽霊に食べられている」


「兵は腹だけで戦うわけではありませんが、腹と給金を軽んじた軍は必ず崩れます」


「帳簿で戦が変わると言いたいのか」


「変わります。空の名簿で兵站を組めば、前線は必ず足りなくなる」


「ふざけやがって」


 ガレスが吐き捨てる。


「死者の名は便利です。文句を言いませんから」


 私が答えると、彼は私を見た。


 最初に会った時の、貴族女を値踏みする目ではなかった。


「奥方」


「セレナで結構です」


「じゃあセレナ殿。あんた、本当にこれを全部、朝の評議で出す気か」


「出します。ただし感情論ではなく、数字の順番で」


「数字の順番?」


「ええ。最初に暖房、次に食糧、最後に給与です」


 私は理由を述べる。


「寒さと空腹は“戦時だから”と言い逃れしやすい。でも死者の給与は違う。そこまでいけば、誰も偶然では押し通せません」


 ガレスはしばらく黙っていたが、やがて机へ両手をついた。


「俺も出る」


「もちろん」


「名簿も持っていく。誰がいつ死んで、誰がどこへ帰ったか、兵の側の記録で証明する」


 それで十分だった。


 私は頷く。


「助かります」


「礼はいらん」


 ガレスは顔をしかめた。


「俺は、兵の名前を使われたままにはできないだけだ」


 その後、彼は一度兵舎へ戻り、昼過ぎには厚い名簿と戦死報告の束を抱えて戻ってきた。さすが現場の人間だ。早い。


 照合は完璧だった。


 給与台帳で今月も支給済みとなっている九名のうち、七名は明確に不正、二名は異動後の支払先変更漏れを装った横流しだった。


「この二名は?」


 私が問うと、ガレスが答える。


「こいつらは今、南の砦勤務だ。ここで給料を受け取る理由がない」


「でも帳簿には今も大公邸支給とある」


「なら、誰かが南へ回す前に抜いてる」


 私は受領印の癖を並べた。


 同じ払い、同じ止め。同じ人間。


 そして、その受領欄に添えられた確認印も、食糧庫の仮出票にあった印と酷似していた。


 “O”


 偶然にしては親切すぎる。


 レオンハルトがようやく口を開く。


「ガレス」


「はっ」


「この件は兵たちにはまだ伏せろ」


「……了解です」


「怒りは分かる。だが、今騒げば証拠を消される」


「分かってます」


 彼は硬い声で答えた。


 それから、意外なことに私へ向き直り、深く頭を下げた。


「疑って悪かった」


 私は少し驚いた。


 大柄な男が、こんなに素直に頭を下げるとは思わなかったからだ。


「まだ早いですよ」


 私は言う。


「証拠を集めただけです。明日、逃げ道を塞いでからにしましょう」


 ガレスは口の端をわずかに上げた。


「帳簿でここまで人を追い詰める女を見るのは初めてだ」


「私も剣で兵を守る方は珍しいです」


「はっ。悪くない」


 そのとき、ミレイユが新しい紙束を抱えて飛び込んできた。


「奥様、北門の夜間出入り記録です! 去年の冬だけ、何枚か抜けていますけど、残ってる分だけでも怪しい荷車が――」


 彼女は勢いよくしゃべって、そこでガレスに気づいて固まった。


「す、すみません」


「謝るな」


 ガレスは不器用に言った。


「今は、多い方がいい」


 ミレイユは目を丸くしたあと、小さく「はい」と返した。どうやら彼女は、騎士隊長に怒鳴られなかっただけでかなり感動したらしい。


 私は二人を見て、少しだけ肩の力を抜いた。


 これで味方が三人になった。


 数字を読む私。

 現場を知るガレス。

 屋敷の綻びを知るミレイユ。


 十分とは言えない。だが、戦うには足りる。


「では始めましょう」


 私は朝の評議用に紙を並べる。


「死者に払われた給料が、誰の懐へ消えたのか。明日、全員の前で確かめます」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ