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白紙婚の監査令嬢は、帳簿魔法で辺境を黒字にする  作者: 小竹X


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第四十話 冬季命綱費の勝ち方

 夜明けの戦勝早札には『白尾正面 敵退く 大公負傷軽し』とあるのに、冬季命綱費の束番号が一つも書かれていなかった。


 白尾下補給所の帳場机へ朝の薄青い光が差し始めていた。寝台とのあいだは昨夜のまま三歩。奥では包帯を巻き直されたレオンハルトが半身を起こし、まだ火の弱い鉢のそばで息を整えている。机の手前へ差し出された戦勝早札は、雪で湿った端だけが濃く、肝心の中身は乾ききった顔をしていた。


「本隊への先触れです」


 若い伝令兵が言った。


「勝ちを急いで回せ、と」


 急いだのだろう。字は短く、行も少ない。白尾、敵退く、大公負傷軽し。以上。継橇場も、東谷も、朝番切り分けもない。昨夜から今朝へつないだ紙と足と油が、最初から存在しなかったみたいな札だった。


「これを書いたのは誰です」


「本隊の戦況書記です。白尾正面で殿下が押し返した、と」


 私は札の余白へ指を置いた。帳簿魔法を薄く流す。嘘ではない。けれど抜けている。抜けた先がちょうど、昨日まで私たちが縫い合わせてきた部分だった。


「ミレイユ。冬季命綱費の束、白尾下補給所仮受帳、前線七日割付表の白尾写し、東谷受領控え」


「はい」


 ミレイユはすぐに机脇の箱と壁棚へ走った。夜通し起きていた目だ。けれど指は迷わない。昨夜引いた見舞受渡札の束を避け、その下から命綱費の番号束を抜き、仮受帳と一緒に抱えて戻ってくる。


 私は戦勝早札を横へ退けた。


「この札のまま回すと、また奪われます」


 伝令兵が目を瞬かせる。


「勝ちは届きます」


「勝ち方が届きません」


 そこで戸が開いた。冷えた風と一緒に、雪を肩へ積んだガレスが入ってくる。外套の裾へ霜が固まり、頬に白い筋が二本ついていた。


「白尾、持った」


 彼は言いながら、濡れた革手袋のまま木札束と二枚の受領控えを机へ置いた。


「五更二刻、継橇場から白尾へ灯り油革袋四。五更三刻、東谷へ浅橇二で乾燥肉二箱と背負縄六。東谷の下手道が生きた。白尾の狼煙も二刻目まで落ちなかった」


 私は受領控えを一枚ずつ開いた。油染みの上に、白尾前陣の受領印。もう一枚には東谷の荒い拇印と、乾燥肉二箱、背負縄六、浅橇二の墨がまだ新しい。


「東谷は何人回せました」


「六」


 ガレスは継橇場の粗地図へ指を置いた。


「縄が入ったから谷下へ二組下ろせた。あれがなければ、氷棚上で受けた四人を押し返して終わりだ。下手へ回した六が、夜明けの前に横腹へ入った」


 ミレイユが命綱費の束を広げる。灰札付きの請求、北門通過帳の緊急便写し、護衛食控え、延刻賃金控え。昨夜までただ冷たかった紙が、今朝は戦況の骨みたいに並んだ。


「帳場補助二名、延刻一刻半」


 ミレイユが読み上げる。


「浅橇積み替え立会い、縄数確認、油革袋封止見届け」


 伝令兵の眉が寄った。


「それも戦勝札へ?」


「書きます」


 私は仮受帳の閉じた問題行を開いた。返納刻、刃欠け三、半反裁断止血用、証紙一。昨夜、血のついた指で押さえた余白はもう乾いている。


「白尾が持ったのは、殿下が強いからだけではありません。継橇場の朝番が止まらず、東谷へ縄が入り、白尾の灯りが落ちなかったからです」


「だが戦勝早札は短く」


「短いままで構いません」


 私は空紙を引き寄せた。


「短いなら、最初の行を正しくします」


 ミレイユが炭筆を差し出す。私は見出しを書いた。


『白尾・東谷勝勢内訳』


 その下へ一本目の行を引く。


『継橇場朝番維持 五更二刻より

 灯り油革袋四 白尾前陣受領

 乾燥肉二箱 背負縄六 浅橇二 東谷前陣受領

 冬季命綱費束番号十七ノ三より支出』


 炭筆の先が紙を噛む音を、伝令兵が黙って聞いていた。


 次の行。


『帳場補助二名延刻

 縄数確認 油革袋封止見届け 切り分け立会い

 同束番号十七ノ三』


「そこまで書くのか」


 ガレスではなく、寝台のほうから声がした。


 振り向く。レオンハルトが起き上がっていた。肩へ毛布を掛けたまま、巻き直された白布を押さえ、こちらを見ている。顔色はまだ悪い。けれど目は昨夜と同じで、紙から逃げていなかった。


「書きます」


 私が答えると、彼は戦勝早札のほうへ顎をわずかにしゃくった。


「そっちには俺の名がある」


「ええ」


「こっちは」


 そこで彼は息をひとつ入れた。


「継橇場を先に書け」


 私は一拍遅れて、指先の力が戻るのを感じた。レオンハルトは自分の傷を見せ札に使われるのを嫌う人だ。けれど今はそれだけではない。何が勝ちを支えたか、最初の行を自分で選んだ。


「殿下の負傷は」


「三行目でいい」


 ガレスの口端が少しだけ動いた。笑ったのではなく、噛みしめた顔だった。


「その三行目なら、俺が書ける」


 彼は机の端へ寄り、濡れた手袋を外した。節くれた指が受領控えの刻限をなぞる。


「氷棚上四、下手八。六人生け捕り。四人離散。夜明け前に白尾と東谷の切り分けが続いたから、連中は二度目の足場を作れなかった」


「それも入れます」


「いや」


 ガレスは白紙の空いているところを指で叩いた。


「白尾の狼煙二刻目まで維持。東谷谷下道六人通過。そっちを書け。俺はそれを見て剣を振った」


 帳簿で戦争が変わるのか、と最初に言った男が、今は自分の戦い方を数字の後ろへ置いている。


 私は三行目を書いた。


『継橇場防衛

 氷棚上四 下手八を受け 六人生け捕り

 白尾狼煙二刻目まで維持 東谷谷下道六人通過』


 四行目で、ようやくレオンハルトの名を入れた。


『大公負傷 左脇裂創

 白布半反裁断止血用

 見舞受渡札により帳場奥受け外棚止め』


 伝令兵がそこで息を呑んだ。


「負傷まで帳面に入れるのですか」


「半反なくなっているので」


 私は仮受帳の行を見せた。


「ここを空欄にすると、明日には白布が一反足りなくなります」


 ミレイユが小さくうなずき、写し用の紙を二枚重ねた。彼女はもう、私が何通作るか聞かない。一通は本隊。一通は北門と中庭の掲示板。残り一通は、誰へ飛ばすべきかを待っている手つきだった。


「最後の行を」


 私は捕縛者の革袋から出た細紙を広げた。


『証紙

 見舞名偽装細紙一

 白尾戻り二荷を南へ下げる指図あり』


 戦勝早札は、ここまで書けばもう別の紙になった。剣の鋭さも氷壁の高さも消していない。ただ、その下で切れなかった油袋と縄と帳場の手を消さずに済む。


 レオンハルトが寝台から降りようとして、毛布の端を落とした。私は反射で立ったが、彼は片手で制した。三歩。昨夜決めた距離を、自分の足で詰めてくる。


 机の前まで来ると、彼は私の横の紙を読み、最後に空いている署名欄へ手を伸ばした。


「筆を」


 渡す。指先は冷たい。けれど払いは昨夜よりまっすぐだった。


 レオンハルト・ヴァルグレイ。


 その下へ、ガレスが荒い字で続ける。ミレイユは写しを押さえ、私は砂を薄く落とした。


 戸の外では、もう白尾へ上がる次の背負い手たちが待っている。湯気の立つ桶、縄束、乾いた黒パン。見舞受渡札の外棚にも、新しい行が増えていた。勝ったあとに回る紙は、負けた夜と同じくらい多い。


「北門へも出します」


 私は伝令兵へ言った。


「戦勝札としてではなく、勝勢内訳として」


「読まれますか」


「読ませます」


 補給所の外板へ貼り出すと、最初に寄ってきたのは槍傷の古い兵だった。次に、昨夜浅橇の縄数を読んだ帳場補助の未亡人。二人とも最初の行で足を止め、灯り油四、背負縄六、帳場補助二名延刻、と順に目で追っていく。


「縄も勝ちか」


 老兵が言った。


「今朝はそうです」


 未亡人は自分の延刻欄を指でなぞり、すぐには何も言わなかった。けれどその指は、扶助帳へ拇印を置くときより少しだけ強かった。


 伝令兵は貼り出した写しと机上の原本を何度も見比べ、最後に戦勝早札を半分へ折った。


「これも、本隊へ回します」


「原本の後ろへ綴じてください」


「後ろですか」


「先に読む人が、短い札だけで終わらないように」


 彼は深くうなずいた。もう若い顔のままではなかった。紙の順番で意味が変わると知った人間の顔になっていた。


 私は最後の写しの宛名だけ、自分で書いた。


 王家会計局査察課。


 見舞受渡札、冬季命綱費束、白尾下補給所仮受帳写し、見舞名偽装細紙写し。綴じ紐を四度回し、封蝋の横へ小さく番号を打つ。


 派手な奇跡は、遠くへ行くほど言い換えられる。


 けれど、灯り油革袋四と背負縄六なら、紙の上で勝手に英雄へ化けたりしない。

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