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白紙婚の監査令嬢は、帳簿魔法で辺境を黒字にする  作者: 小竹X


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第三十七話 火薬庫と白い息

 南火薬庫の仮受板には火薬樽二十四とあるのに、導火線十二束の欄だけが削られていた。


 白尾見張小屋の下、岩を刳り抜いた火薬庫は、夜の冷えを吸って石まで青かった。戸を開けた途端、硝石と油と冷えた木箱の匂いが混じる。奥の棚には樽が二列、通風戸は北壁の高い位置。紙片にあった「白い息を合図に入る」という文が、庫の天井でまだ凍らず残っているみたいだった。


「樽だけ数えていたのですか」


 私が仮受板の削れた行を指すと、庫番の老兵が帽子を胸へ押しつけた。


「導火線は束が軽いもので……火守番がまとめて見ておりました」


「火守番は今どこです」


「さきほど北門へ呼び戻されました。夜番の炭火鉢を増やせと」


 ガレスが舌打ちした。白尾へ寄せた灯りと足を削れなかったから、今度は火薬庫の火守を外へ引いたのだ。


 私は仮受板へ帳簿魔法を通した。火薬樽二十四の青い縦線の脇で、削られた導火線の欄だけが薄く黒い。さらに、その黒が通風戸の留め金と、戸口脇の灯り油壺の減りへ細く繋がる。樽の数ではない。火を入れる手順だけが抜かれていた。


「樽は残したい。導火線と灯り油だけを動かしたい人間がいます」


 レオンハルトが北壁を見上げた。


「爆ぜれば、白尾へ寄せた補給も戻る」


「ええ。敵にとって必要なのは、火薬そのものより、この庫が今夜使えなくなることです」


 私は石棚の端に空紙を置いた。


「ミレイユ、欄を引いてください。品目、数、持出刻、返納刻、持出人、立会人、行先。最後に、通風戸開閉と火守番交代」


「はい」


 彼女は震える指で炭筆を走らせた。紙の端が風で浮きかけると、レオンハルトが無言で手袋のまま押さえる。暖炉の前ではなく、火薬庫の石棚で引く罫線だった。


 私は見出しを書いた。


 火薬出納札。


「今から、樽も導火線も火守番も口頭で動かしません」


 老兵が目を見開く。


「今夜のうちにですか」


「今夜だからです。記録のない火は、敵の火と区別がつきません」


 まず導火線を数え直した。十一束。一本足りない。火口石箱は二つあるのに、内側の布が一箱ぶんだけ新しい。灯り油壺は四つ並んで三つ半。半壺は通風戸の真下の石へこぼれ、凍りついた膜になっていた。


「通風戸を開けたのは、外の息を入れるためじゃありませんね」


 私は留め金の緩みを指先で確かめた。


「中の温かい空気を見せるためです」


 三更に人の息はどこでも白い。けれど庫の白い息は、火薬庫がいつも通り使われている印になる。外から見れば、導火線も油も樽もそのままあると思う。


 私は新しい札へ続けて書き込んだ。導火線十一束、火口石箱二、灯り油三壺半、火薬樽二十四。そこから二本線を引く。


「樽は十八、奥の石穴蔵へ移します。導火線は全部。火口石も全部。南壁際へ残すのは湿り樽六と空樽四」


「相手に空だと悟られれば」


 ガレスが言いかけたので、私は通風戸を見た。


「悟らせません。白い息はそのまま出します」


 レオンハルトの視線が私へ落ちた。


「囮にするか」


「はい。通風戸の下へ炭火鉢を一つだけ置いてください。火守番の札も残す。けれど火口石と導火線はもうここへ置かない」


 彼は一拍だけ黙り、それから老兵へ向き直った。


「樽を動かせ。札のない手は一本も庫へ入れるな」


 それで十分だった。老兵と若い兵たちが湿った藁布を肩へ当て、樽を一本ずつ石穴蔵へ移し始める。ミレイユは持出刻を書き、私は立会人の欄へ自分と老兵の名を入れた。ガレスは通風戸の外へ二名、戸口脇の雪壁へ二名、荷車陰へ二名。見える守りではなく、入ってきた手を折る配置へ変えていく。


 最後の導火線束を石穴蔵へ移した時、レオンハルトが私の指先を見た。炭筆の黒と石の冷えで、節が白くなっていた。


「まだ書くのか」


「まだ返納刻が空です」


 答えると、彼は自分の外套の前を少しだけ開いた。


「中で書け」


「ここで見ます」


 そう返した私の脇へ、彼は持っていた小灯りを寄せた。火は絞ってある。まぶしすぎず、札の数字だけが読める明るさだった。守ると言わない人は、こういう渡し方をする。


 三更が近づくと、外の風がさらに痩せた。通風戸の下の炭火鉢から上がるぬるい空気が、北壁の隙から白く細って流れる。白い息。紙片にあった通りの形だった。


 雪壁の陰で待つ時間は長い。私は火薬出納札の余白へ、通風戸の開閉刻と火守番交代欄をもう一つ足した。最初から必要だった欄だ。抜け道は、だいたい「いつものついで」で開く。


 やがて、外で雪を噛む音が二つした。


 通風戸の留め金が、上から静かに持ち上がる。先に入ってきたのは縄つきの鉤。次に黒布を巻いた腕。男は肘まで身体を差し入れると、内側へ体重を掛けた。そこへ飛びついたのは、私ではなくガレスだった。雪壁の陰から一歩で間合いを潰し、鉤ごと腕を石へ叩きつける。


 もう一人は戸口へ走った。外套の内から火口石を出し、空樽のあいだへ何かを投げ込もうとする。


 火花が鳴るより先に、レオンハルトの氷がその指先を噛んだ。乾いた白が手首まで走り、火口石が石床へ落ちる。私はすぐにその横の油染みへ砂をかけた。


「導火線はどこへやりました」


 男は答えず、凍った指で腰を探った。出てきたのは短剣ではなく、細く畳まれた紙だった。ガレスが奪って私へ渡す。


 同じ白砂、同じ広い右余白。六商会名義の細紙と同じ机の紙だ。


 開く。白尾下補給所仮受帳写、とある。火薬でも乾燥肉でもない一行だけが、やけに丁寧な筆でなぞられていた。


『氷原回り 白布六反 鉄鉤十二 返納済』


 返納済、の三字へ帳簿魔法を通す。青ではない。上から薄くなぞった灰が、夜の庫内でも分かる。


「返るはずがありません」


 私は紙から顔を上げた。


「この吹雪で、氷原回りの鉄鉤十二が今夜返る路はない」


 ガレスが押さえつけた男の肩をさらに床へ沈める。


「火薬庫じゃなく、別の荷を隠したいのか」


「ええ。火薬庫を燃やせば、前線の帳面を見に行く手が止まります」


 白尾を止め、火薬庫を焼き、こちらの目を庫へ釘づけにする。その間に、氷原回りの仮受帳へ一本だけ偽の返納を立てる。今夜の本命は、爆ぜる樽ではなく、その一行の向こうにある。


 私は火薬出納札の最後の欄へ返納刻を書いた。導火線十一束、火口石箱二、灯り油三壺半。石穴蔵保全済み。通風戸侵入二名捕縛。立会人、セレナ・フォルティス、ミレイユ・ノッテ、ガレス・ロウェル。


 レオンハルトがその札を一読し、紙片のほうを私へ返した。


「次は」


「白尾下補給所の仮受帳です」


 庫の外へ出ると、通風戸からまだ細い白が上がっていた。けれどもう、それは敵の合図ではない。こちらが先に掴んだ、次の行き先だった。

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