第三十五話 白尾見張小屋の請求札
北西砦の請求札には蹄鉄十六組とあるのに、燕麦の欄が空だった。
私は前線七日割付表の三枚写しを机へ広げたまま、北門から上がった新しい請求札を順に重ねた。
北西砦。乾燥肉三箱、蹄鉄十六組、手綱革二巻。
白尾見張小屋。乾燥肉五箱、雪靴底革二十、背負縄八本、灯り油三壺。
同じ七日持ちこたえるための請求なのに、片方は馬具ばかりで腹が薄い。もう片方は足と背の支度ばかりで、蹄鉄がほとんどない。
「おかしいですね」
私が言うと、向かいのガレスが請求札を引き寄せた。昨日までなら彼は先に地図を見たはずだが、今は紙から手をつける。
「北西で蹄鉄十六は多い。だが本当に騎馬を回すなら、燕麦と馬脂が先だ」
「手綱革だけで十六頭は動きません」
「しかも今の北西は泥だ。見せ馬ならともかく、突っ込ませる地面じゃない」
私は北西砦の札へ薄く帳簿魔法を通した。蹄鉄の欄は青い。けれど、その下の乾燥肉三箱が鈍く濁る。十六頭ぶんの手綱革を足すなら、兵も馬番も増えるはずだ。その腹の数が、紙に乗っていない。
逆に白尾見張小屋の札では、背負縄と雪靴底革の欄がまっすぐ青く伸びていた。寒い斜面を長く歩く人数を、書いた手は隠し損ねている。
「白尾は」
ガレスが指で南斜面をなぞる。
「馬より人だ。荷を背で刻んで上げる道になる。雪靴底革を二十欲しがるなら、短い張り出しじゃない」
「長く潜るつもりですか」
「見張りを押し込むんじゃない。小屋の先まで足場を作る」
大きな声で脅すなら北西砦。息を殺して食い込むなら白尾。請求札の中で、両方の顔が分かれていた。
ミレイユが北門通過帳を抱えて駆け戻ってくる。
「昨夜と今朝の戻り控え、抜いてきました」
彼女が机へ並べたのは、白尾から戻った背負子の木枠控えと、北西から戻った馬具修繕控えだった。白尾側は木枠折れ三、肩当て切れ四、雪靴底革は使い潰し。北西側は馬具磨き布一、鞍留め穴ほつれ一。蹄鉄十六を急ぐ現場の戻り方ではない。
「戻り刻も合いません」
ミレイユが北門通過帳の行を押さえた。
「白尾は夜半前に二便。北西は昼の見回り一便だけです」
私は北西砦の請求札を裏返し、余白の広い右端を爪でなぞった。紙の白さと乾き砂のざらつきが、昨日の六商会名義の一枚紙とよく似ている。
「声の大きい請求ほど、歩いた跡が薄い」
「補給線は嘘をつけん、か」
ガレスが低く言った。
「はい。報せはいくらでも飾れます。でも、七日持たせるつもりの腹と足までは飾れません」
私は前線七日割付表の空き欄へ新しい見出しを足した。運び方。戻り刻。馬、橇、背負い。どれで持っていく荷なのかを書かなければ、明日から請求札として受けない。
「北西は見張りの見せ分だけ残します。蹄鉄は四組。乾燥肉二箱。手綱革は一本」
「白尾へ回すのは」
「乾燥肉二箱追加。雪靴底革二十。背負縄八。灯り油二壺。東谷前陣へ蹄鉄十二を寄せます」
白尾で要るのは、走る馬ではなく、寒気の中で長く立つ足と、荷を背で切る手だ。北西へ全部を見せれば、こちらが本命を信じていると相手に教える。だから見せ札のぶんは残す。その代わり、本当に凍る足だけは先に守る。
レオンハルトが地図卓からこちらへ来た。視線は請求札ではなく、私が足した二つの欄へ落ちる。
「その書き換えで、白尾へ寄せるのか」
「はい。外せば北西が薄く見えます」
「薄くは見せん」
彼はそう言って、北西の欄へ残した四組の蹄鉄を確かめた。
「見せる分は残っている。本命に足を送れ」
それから卓上印を私の手元へ寄せる。前線七日割付表の改定写しに、彼自身の手で同じ位置へ印が落ちた。兵舎用、北門用、白尾路線用。どれも同じ数字で、白尾だけを内々に厚くする形ではない。人目に触れる紙の形ごと、こちらの判断に合わせている。
「ミレイユ、北門用へ運び方欄を足せ」
「はい」
「ガレス、白尾へ行く荷は」
「背で切れるように分ける。箱で上げるな」
もう言葉の往復が短い。机の上で決めた線が、そのまま門と斜面へ落ちていく。
私は改定写しの余白へさらに細い注記を書き足した。乾燥肉は半箱ずつ。灯り油は壺のままではなく、小革袋へ移して背負子の左右へ振り分ける。雪靴底革は釘と一緒に包まず、火に当ててすぐ打てるよう布袋へ分ける。
白尾の斜面は、量だけ合っていても届き方を間違えれば死ぬ。壺のまま滑れば一つで終わる。箱の角が雪壁へ当たれば、その音だけで見張りに知られる。数字の次に要るのは、持って上がれる形だった。
レオンハルトが注記を一度読み、何も引かずにそのまま残した。
「北門の荷組にも写せ」
「はい。見せ分の北西も、同じ書き方で残します」
「隠すな、か」
「隠すと、今度は紙のない命令が勝ちます」
彼は短くうなずき、北門用の写しを折らずに文官へ渡した。封じるためではなく、壁へ貼るための紙だと、その手つきで分かる。
昼前、北門詰所の壁へ貼られた改定写しの前で、荷車番たちが立ち止まっていた。乾燥肉二箱追加。雪靴底革二十。背負縄八。灯り油二壺。白尾路線の横に「背負い」と書いてあるのを見て、ひとりの古傷持ちの荷担ぎが、胸のあたりで指を止める。
「これなら木枠を細く組めます」
「太い枠で上げるな」
私は戻り刻の欄も指した。
「夜半前に一便、明け方前に一便。戻りが遅れたら、次を出しません」
北西の写しの前では、若い兵が蹄鉄四組を読み上げて首をかしげたが、ガレスが先に切った。
「見張り馬の替えだけだ。本当に走らせるなら、燕麦を請求し直せ」
兵は一瞬黙り、それから請求札の余白を見た。書き足しひとつで誤魔化せると思っていた顔ではない。現場を知る者間の、短い納得だった。
その横で、北門鍛冶の親方が蹄鉄籠をしゃり、と鳴らした。
「北西向けなら太泥用だ。だが今朝の請求は乾いた路用の薄い打ち方だな」
私は籠の中の鉄を見た。重い泥用は腹が厚く、釘穴も広い。請求札へ並んでいた数は多いのに、欲しがっている形は見せ馬の巡回用に近い。
「白尾へは」
「馬の鉄より、人の足だ。底革と釘を先にやれ」
紙、戻り刻、鉄の形。違う机の違う手が、同じ白尾を指し始めていた。
午後遅く、白尾からの早馬ではなく、背負いの伝令が来た。肩で息をしながら差し出した木札には、雪で濡れた黒い指跡が残っている。
「下の沢で斧音。三度。枝払いの音です。雪靴の跡、多数。馬の轍はなし」
白尾の請求札へ通した青が、今度は木札の刻みへ移る。私は伝令の肩紐が新しい背負縄に変わっているのを見た。午前に回した分だ。
「灯り油は」
「届きました。見張りを二つ下へずらせます」
北西からの報せもすぐ来た。焚き火多し。旗多し。けれど前へ出てくる轍は浅い。賑やかなわりに、腹を運ぶ跡が続いていない。
私は机へ戻り、前線七日割付表の白尾欄へ黒い点を一つ置いた。予測ではなく、現地確認済みの印だ。
「今夜、来ますね」
「来るなら白尾だ」
ガレスが剣帯を締め直した時、扉が二度、固く叩かれた。
入ってきた下級文官は青ざめた顔で、封の切られていない一通を両手で持っていた。
「緊急差替命令です。北門裏の伝令箱へ」
受け取る。封蝋には大公家の兵站印。文面は短い。
『予備蹄鉄三十二組、灯り油四壺を北西砦へ即刻差替。白尾路線への追加は停止』
刻限は、白尾から斧音の木札が届くより一刻早い。
レオンハルトの眉が動いた。
「この印は、誰が使える」
文官が喉を鳴らす。
「閣下と、兵站副官と、保管役の三名です」
私は命令紙の右端へ指を滑らせた。封蝋の下、わずかに広すぎる余白。紙肌に残る白い乾き砂。朝の六枚、北西砦の請求札、そして今この差替命令。ざらつきが同じ指に引っかかる。
封を切る前から、紙が先に震えて見えた。




