第二十八話 氷壁大公は値切れない
三通の見積書は、どれも同じ寸法の風除け板を出しているのに、蝶番の数だけが一枚ごとに違っていた。
同じ窓の下へ並んだ机で、私は紙端を指で押さえた。板幅は二尺、板厚は一寸、脚は折り畳み。そこまでは揃っている。けれど金具欄だけ、ある紙は二つ、別の紙は四つ、もう一枚は「風留め込み」としか書いていない。
帳簿魔法を薄く通すと、木材代と職人手間は青かった。曇っているのは、その外側だ。夜風責任料。大公家急納口。見回り立会い分。書き方の違う曖昧な上乗せが、見積の端で灰色に重なっている。
「同じ品目なのに、責任の置き方だけが増えています」
私が言うと、向かいのレオンハルトが紙を受け取った。
「必要なら払う」
「その台詞を、職人の前で最初に言わないでください」
彼の指がぴたりと止まった。横でミレイユが咳払いを飲み込み、リゼットが口紅の端を上げる。
「ほらね。氷壁大公そのものは怖くても、財布はやさしいのよ」
私は三枚の見積を重ね直した。
「払うべき賃は払います。でも、曖昧な責任までまとめて買う必要はありません。現場で切り分けましょう」
向かったのは北市外れの木工小屋と、その隣の板金場だった。削り屑の匂いが濃く、炉の口から出る熱だけが冬の空気を押し返している。小屋の前には、夜市用に出すはずだった板見本と、折り畳み脚の試作品が立てかけられていた。
木工親方はレオンハルトが戸口へ入っただけで背を伸ばした。
「大公閣下。品は急げます。ただ、夜に出す品ですので、風で倒れた、火が寄った、脚が割れたと後から言われますと」
「だから責任料を積んだのですね」
私が継ぐと、親方は目を瞬いた。板金工のほうも、手にした留め金具を置く。
「夜市は始まったばかりです。台の数も、灯りの置き方も、見回りの刻も定まったばかりでしょう。後から『やはりもう二枚』『やはり脚を高く』と増えれば、作り直しになります」
悪意ではない。曖昧さを高く見積もっているだけだ。戦の調達でも、よくある膨らみ方だった。
レオンハルトが口を開く前に、私は暮刻売上帳を開いた。共同竈前、黒パン台、干魚台、古着台。昨夜までの台番号、灯り数、通り道の幅、閉場残数。
「今、暮れ後に安定して動いているのは四台です。必要なのは最初から八台ぶんの豪華な設備ではありません」
私は板見本を起こし、通りの幅を思い出しながら炭筆を走らせた。
「風除け板は十枚。台の背合わせで共有します。折り畳み台は四台。煮売りは既存の鍋台を使うので、追加は黒パンと干魚の平台ぶんだけ。油皿留め金具は十二。灯り六つの予備込みです」
ガレスが小屋の外から口を挟んだ。
「通り道は荷車一台ぶん空ける。火の前に板を立てるなら、半歩の逃がしも要る」
「その寸法も書きます」
私は見積の余白ではなく、新しい紙へ項目を分けた。板代。脚代。蝶番。留め金具。取付穴。納期。風試し。修繕条件。
「賃を削る気はありません」
木工親方と板金工の顔を、順に見る。
「削るのは、この曖昧な上乗せです。倒れた時の責任は、置き方が悪いのか、板が薄いのか、留めが甘いのかで違う。そこを一つに束ねて高くするなら、こちらも買えません」
リゼットがすぐに乗った。
「部材ごとの単価を出しなさい。隣の工房の仕事まで抱え込んで曇らせるから高く見えるの。板は板、金具は金具、取付は取付で切れば、私も運び賃を真ん中へ置ける」
板金工が眉をひそめる。
「細かく分けたら、取り分が減る」
「減るのは、見えない分よ」
私は帳簿魔法を通した紙を、そっと裏返した。
「木材代と手間賃は青いままです。職人の取り分を落とす話ではありません」
レオンハルトがその横で低く言った。
「俺は、安くさせたくない」
削り屑の匂いの中で、その一言だけが妙にまっすぐ落ちた。
「前線で、値切られた木箱は底板が薄かった。留め具を減らされた担架は、雪道で脚が折れた」
彼は板見本ではなく、自分の手元の木目を見ていた。
「必要な賃まで削る買い方はしたくない」
だから最初から払うと言うのだ。交渉が苦手なのではなく、削ってはいけない線を嫌う。その区別をつける前に、丸ごと呑んでしまう。
「でしたら、なおさら内訳が要ります」
私は新しい仕様書を彼の前へ置いた。
「板厚一寸、背合わせ設置可、風除け穴二か所、灯り留めは別金具。壊れた時は、板割れと留め外れを分けて見る。ここまで切れば、職人の賃も、こちらの責任も一緒に守れます」
ミレイユが横で項目を清書し始めた。品名の横へ、台番号の入る小さな欄も足す。納品された板がどの台へ行ったか、あとから追えるように。
「第一便は三日後」
私は続けた。
「風除け板十枚、折り畳み台四台、留め金具十二。六日の運用後、暮刻売上帳で伸び幅を見て第二便を決めます。単価は北市掲示板へ貼ります。納品確認も共同竈前で公開です」
公開、と聞いて木工親方の肩が少し下がった。あとから見えない責任を被せられないと分かったのだろう。
「それなら、板はこの値で出せます」
親方が出し直した紙からは、灰色の口銭が消えた。板金工も続ける。
「留め金具は一つずつ数で出す。風で煽られる煮売り台には長爪を回す」
リゼットがすぐに運び賃を真ん中へ置き直し、私は合計欄の二重線を見た。さっきまで二割膨れていた数字が、手間賃を落とさずに沈む。
レオンハルトはしばらく黙って紙を見ていたが、やがて低く言った。
「これでいく」
「では、単価も仕様も貼り出します」
「ああ」
彼はそこで一度だけ私を見た。
「次からも、お前が隣に座れ」
小屋の中で、ミレイユの炭筆が一拍だけ止まった。私は仕様書へ印位置を引きながら答える。
「その代わり、商談の最初に『必要なら払う』は禁句です」
リゼットが吹き出し、木工親方まで咳で誤魔化した。
その夕方、共同竈前へ第一便の見本板が立った。背合わせにした二台のあいだで風が逃げ、油皿の火は煽られても消えない。干魚台の娘が、留め金具に指を触れてから石板へ新しい台番号を書き込む。ミレイユは掲示板へ単価表を貼り、ガレスは板の外側を槍の柄で軽く叩いて通り道の幅を確かめた。
黒パン台の未亡人が、板の陰へ籠を寄せて息をつく。
「昨日は吹き返しで布を二度かけ直しました。今日は火がこちらへ寄りません」
ほどなく、洗濯場帰りの女が肩の雪を払って立ち止まった。灯りが揺れないぶん、銅貨の色も、値札の字も見やすい。彼女は黒パンを二つ選び、受け取ったあとで振り返った。
「これなら、鐘のあとでも急がなくていいですね」
未亡人は返事の代わりに、石板の「暮れ後」へ一つ線を足した。板の陰で炭火がまっすぐ立ち、油皿の縁に煤が広がらない。その横で、干魚台の娘が留め金具の番号を読み上げ、ミレイユが納品欄へ受領刻限を書き込む。
暮れの鐘のあと、黒パン台の火はまっすぐ立ったままだった。
私は暮刻売上帳の端へ、第一便受領、仕様書どおり、風試し済み、と書き足す。今度の青は売上だけではない。板代、金具代、運び賃、修繕条件まで、それぞれの置き場へ収まっていた。
背後で、レオンハルトが掲示板の単価表を見上げたまま言う。
「……金額は、内訳を聞いてから決める」
練習のように硬い言い方だったが、ミレイユは今度こそ炭筆を落としかけた。




