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白紙婚の監査令嬢は、帳簿魔法で辺境を黒字にする  作者: 小竹X


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第二十七話 眠らない市場

 売上板には「暮れ後」の追記があるのに、市場締め帳にはその欄が一つもなかった。


 同じ窓の下へ並んだ机のあいだで、私は昨夜戻った石板を順に開いた。共同竈、黒パン台、干魚台、古着台。どの板にも、朝入れ、売れ、残りの三列の下へ、小さく足された数字がある。暮れの鐘のあとに売れたぶんだ。


 けれど北市の締め帳へ移すと、その数字は行き場を失う。市場使用料は昼の閉場刻限まで。灯り代の費目はなし。見回りは兵舎持ち。売り台の延長使用も帳面の外。帳簿魔法を薄く通すと、暮れ後の数字だけが灰色に曇った。嘘ではない。だが、置き場がない。


「昨夜の追加分、合計は」


 私が問うと、ミレイユがすぐに別紙を差し出した。


「黒パン九つ、干魚五束、煮売り六杯、古着の手袋二双です。全部、閉場刻限のあと」


「灯りは」


「共同竈の火と、各台の持ち寄りランプです。油の補充は、今朝になってから北棟へ口頭で」


 口頭。そこでもう灰色が濃くなる。昨夜の売上が続くなら、灯りも、見回りも、台の場所も、偶然で済ませていい話ではない。


 向かいで書状を読んでいたレオンハルトが、紙を置いた。


「閉めれば終わる話ではないな」


「はい。閉める刻限だけ昔のままで、売るほうも買うほうも、その先へ出ています」


 昨夜の石板を重ねる。共同竈の娘が書いた、拙い「暮れ後」の字がいちばん下から覗いた。


「現場を見ます。売れ方だけではなく、どこで危ないかも」


 北市西通りへ出たのは、日が傾いてからだった。雪解け水を吸った石畳が鈍く光り、共同竈の煙は低い。昼の客が切れたあとも、台は引かれていない。黒パンの籠は半分に減り、干魚台の横では洗濯場帰りの女が銅貨を掌で温めている。北門から戻った兵が二人、煮売りの鍋を覗き込んでいた。


「昼だけなら、もう片づけてるはずでしょう」


 私が共同竈の未亡人へ声をかけると、彼女は鍋蓋をずらしたまま苦く笑った。


「でも、この刻から買う人が来るんです。洗濯場の終い、北門の交代、荷車の戻り。昼に来られる人ばかりじゃありません」


 横で黒パンを並べ直していた娘が、小声で言った。


「鐘のあとに売れたぶん、昨日は板の下へ足しました。上に書くと、締めが合わないから」


 私は台の脚もとを見た。油皿を置いた木箱のそばに、煤の筋が黒く伸びている。風除けの板は足りず、売り台どうしの間も狭い。帳簿魔法を通すと、パン籠の残数は青いのに、灯りまわりだけが揺れる灰になった。


「見回りはどこまで来ていますか」


 ガレスが後ろから答えた。


「今は北門と共同竈前を一度流すだけだ。正式な夜市じゃないから、路地の奥までは入れていない」


「台の位置も決まっていませんね」


「昼の並びを、そのまま伸ばしてるだけだ」


 だから通り道が細る。火も寄る。売れたのに危うい。私は石畳の継ぎ目へ視線を落とし、荷車が曲がる余白を指で測った。


「閉めるのではなく、並べ直します」


 私が言うと、リゼットが毛皮の襟を押さえたまま笑った。


「やっとその顔をした。禁止札を立てるより儲かるでしょうね」


「灯りを借りたまま売るほうが、あとで揉めます」


 私はその場で見取帳を開いた。題を置く。


 暮刻売上帳。


「暮れの鐘から閉場までを別勘定にします。台番号、灯りの数、昼の残り、暮れ後の売れ、閉めた時の残り。そこまで一枚で追う」


 ミレイユが息をのむ。


「工房の三列石板に、もう一段足すんですね」


「ええ。朝入れ、昼売れ、暮れ後売れ、残り。筆算工房の子たちには、夕刻の転記を仕事として回します」


 共同竈の未亡人が、おずおずと手を上げた。


「灯りの油代は」


「最初の十日は余剰還元帳から出します。その代わり、十日で必要量と売上の増え方を測る」


 リゼットがすぐに継いだ。


「十一日目からは、台ごとの小銭で回せるわ。ランプ一つにつき銅貨一枚。鍋台は二枚。煮売りは火が強いもの」


 ガレスが腕を組む。


「見回りは」


「共同竈前、黒パン台、路地の曲がり角。三か所を刻限で固定してください。巡回の刻を帳へ書きます」


 彼は少しだけ考え、うなずいた。


「兵を二人増やす。灯りの切れた台は、その場で閉める」


 その日のうちに、北市の並びは変わった。売り台へ番号札を下げ、共同竈から路地口まで麻縄で線を引き、荷車が通る幅を空ける。筆算工房の娘たちは、昼の三列石板の下へ新しく「暮れ後」を書き足した。帳場補助の未亡人が、その横で台番号を読み上げる。ミレイユは私の書いた暮刻売上帳を抱え、指先で欄をなぞって確認した。


 閉場の鐘が一度鳴る。そのあとも、人は途切れなかった。


 北門の交代を終えた兵が黒パンを四つ買い、洗濯場帰りの女が煮売りを二杯持ち帰る。荷車番が戻りのついでに干魚を三束まとめて取り、共同竈の娘が石板の「暮れ後」欄へ一つずつ刻む。今度は板の下端ではない。最初から用意した欄だ。


 煮売りの椀を受け取った若い兵が、湯気の向こうで共同竈の未亡人へ頭を下げた。


「今までは交代のあと、兵舎の冷えた乾飯で済ませていました」


 未亡人は鍋を混ぜながら、石板の数字をちらりと見た。


「なら今日は、その乾飯のぶんを炭代へ回せますね」


 横で洗濯場帰りの女が小さく笑った。昼の帳面に載らなかった一椀が、兵舎の炭と共同竈の売上を同時に動かしている。帳簿魔法を通すと、煮売り台の残数と北棟の炭箱控えが、薄い青の線で静かにつながった。


 帳簿魔法を通すと、その行が灰ではなく薄い青へ変わった。


「数字が置き場を見つけましたね」


 ミレイユが小さく言う。


「はい。これで灯り代を、誰かの善意へ隠さずに済みます」


 閉場後、私は暮刻売上帳の最初の頁を締めた。共同竈前、暮れ後六杯。黒パン台、九つ。干魚台、五束。古着台、手袋二双。灯り油、ランプ六つぶん。見回り刻限、三度。通り道の詰まり、なし。


 レオンハルトが私の肩越しに帳面を見下ろした。


「昼の締めより、夜のほうが動く台もあるな」


「北門帰りと洗濯場上がりが重なる刻です。昼に来られない手が、ここで買っています」


 彼は帳面から視線を上げ、まだ灯りの残る通りを見た。


「市場を一刻延ばすだけで、兵の食も町の売上も増えるか」


「ただし、風除け板と折り畳み台が足りません。今のままでは、吹き返しの日に灯りが持たない」


 リゼットが待っていたように紙切れを差し出した。北市の板金工と木工から取った見積だ。灯り覆い十六枚、折り畳み台八台、油皿留め金具二十。金額を見た瞬間、私は眉を寄せた。高い。暮刻売上帳の最初の一頁で出た伸び幅を、もう食いにきている。


「これ、北市相場より二割乗っています」


 私が言うより早く、レオンハルトが紙を受け取った。


「必要なら払う」


 即答だった。


 私はその横顔を見た。迷いはない。だが、値切る気配もまるでない。


「大公閣下」


「なんだ」


「その買い方は、明日の監査対象です」


 夜気の残る通りで、リゼットが吹き出し、ミレイユが慌てて口元を押さえた。


 市場は、もう昼だけでは閉じない。


 そしてどうやら、隣の机に座る人は、冬の戦では強くても、商談ではひどく無防備らしかった。

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