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白紙婚の監査令嬢は、帳簿魔法で辺境を黒字にする  作者: 小竹X


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第二十話 銀貨が消える道

 寄付箱へ入ったはずの銀貨なのに、包み紙の端に荷札用の膠が残っていた。


 私は朝の机へ三つの紙片を並べた。四年前の巡回慰撫費の受領控え。北市の古い納品控え。昨夜、リゼットが持ち込んだ銀貨束の包み紙。どれも小さなものなのに、指先へ返るざらつきが似ている。帳簿魔法を薄く通すと、紙の右下だけ黒く沈んだ。銀貨の重みを受けた紙の色ではない。札を貼って剥がした跡の色だ。


「寄付金なら、こんな膠は使いません」


 ミレイユが顔を寄せ、包み紙の縁をそっと裏返した。


「市場の荷札です。麻紐をここへ留めて、木箱へ下げる時の跡」


「ええ。寄付箱の中ではなく、荷の外を歩いた紙です」


 北市西通りから来たリゼットは、いつもの紅を引いた唇で薄く笑った。けれど指先はもう仕事の速さで動いている。毛皮手袋を外し、帳面の上へ銀貨束を三つ置いた。ひと束は薄茶の包み紙、ひと束は白い紙、最後のひと束だけ灰色の布で巻かれている。


「昨日の使い、よく間に合ったわね」


「間に合わせました。『巡慰三口』が商人の隠語なら、知っている者はいます」


 彼女は薄茶の包み紙を叩いた。


「これが表の寄付口。炊き出しや施療箱へ入れたことにする分」


 次に白い紙へ爪を当てる。王冠の透かしが、朝の光で鈍く浮いた。


「こっちが軍需口。毛布でも薬包でもいいけれど、役所へ納めた形にする分」


 最後に灰布をつまむ。


「で、これが口銭。荷を三つの口へ割って、名前を洗って、また戻す手間賃」


 ガレスが眉を寄せた。


「同じ銀を三回数えるのか」


「三回は数えないわ」


 リゼットは肩をすくめる。


「一回の銀を、三つの帳面へ別の顔で通すの。寄付の顔、納品の顔、口銭の顔。銀そのものは減っていないのに、見ている帳面だけ赤くなる」


 その言い方が、あまりにこの件にぴたりと合った。


 私は四年前の巡回慰撫費受領控えを開く。毛布六十、施療薬包三十、炊き出し用麦袋二十。数字の横にある受領印は薄く、帳簿魔法では灰に近い。その隣へ、ガレスが持ってきた同時期の野戦所納品控えを置いた。薬包三十、包帯布二十反、麦袋二十。数字の並びが、ほとんど同じだった。


「……同じ冬です」


 ミレイユの声が細くなる。


「日付も二日違いしかありません」


 私は二枚の紙へ魔法を流した。巡回慰撫費の控えの薬包三十が黒く滲む。野戦所納品控えの薬包三十も、同じ濁り方を返した。片方は届いた顔をしていて、片方は払った顔をしている。けれど紙の奥で、同じ銀貨の冷たさがつながっていた。


「寄付のために買ったのではありません」


 私は数字の列を指で追った。


「先に兵站か持参金から銀を抜き、巡回慰撫費の寄付名義へ通し、それから軍需納品として戻しています。赤字は納品で生まれたように見えますが、本体はその前です」


「洗ってるのね」


 リゼットが即座に言った。


「汚い銀を寄付箱へ一度潜らせると、王子さまの善意の顔がつく。そうしたら次は、誰も細かい出所を聞かない」


 火鉢の中で炭がはぜた。小さな音だったのに、部屋の空気がひどく乾いた。


 私は持参金支払台帳の写しを開く。婚儀翌日の欄外差し込み。第七補給隊仮勘定へ三分の一相当、付票第二十八号参照。その下から昨夜拾った消しかけの「巡慰三口」。そこへ今度は、北市の納品控えを重ねる。


 控えの余白には、施療箱用ガラス瓶十二、慈善炊き出し用小麦一荷、見本薬包一箱と書かれていた。だが帳簿魔法を通すと、三つの品目の下で同じ銀貨束の線が一本に重なる。別々の買い物ではない。同じ銀を三つに裂いている。


「リゼット、この控えを書いた商人は?」


「表向きは北市の雑貨問屋よ。でも荷をまとめたのは旧御用達の倉持ち。慈善に出すなら量の合わない瓶が混じっているでしょう。施療箱に使う細口瓶じゃなくて、野戦所の薬包棚に入れる太胴の瓶だもの」


 私は瓶数の横へ残る墨の擦れを見た。確かに、途中で書き換えた線がある。慈善向けの帳面へ移す前に、軍需用の品を載せた形跡だ。


「ガレス、四年前のその冬、野戦所の薬包は足りましたか」


 彼は答える前に、机の端へ置かれた古い木札を拾った。野戦所臨時受領、薬包不足につき代替なし。裏に、短い刻み傷が一本ある。


「足りなかった」


 低い声だった。


「あの時は雪じゃない。数が届かなかった。負傷兵へ巻く包帯布も、湯へ溶く薬も」


 レオンハルトは窓際に立ったまま、まだ一言も挟んでいなかった。白い外光が横顔だけを冷たくしている。私は野戦所控えの端をめくる。右下に、戦地用の簡易印。その横へ、見慣れた癖のある短い署名があった。


 レオンハルトの名だ。


 今の整った大公印ではない。もっと荒く、急いで、剣を握ったまま書いたような字。左へやや沈む払い。その年の彼の字だと、すぐに分かった。


「この控えは、あなたが受け取るはずだった物ですか」


 私が問うと、彼の視線がそこへ落ちた。


「……俺が北の野戦所にいた冬のものだ」


 ガレスが黙って息を詰める。ミレイユの羽根ペンが、紙の上で止まった。


 私はもう一枚、巡回慰撫費の控えを引いた。第一王子北巡施療列。毛布六十、薬包三十。日付は、野戦所控えの二日後。こちらには受領者名がない。代わりに、王都の慈善役人の丸印だけがある。


「二日違いで、同じ数の薬包が王都の施療列へ移っています」


 私の声が思ったより静かに出た。


「野戦所で足りなかった三十包と、第一王子の巡回で配られた三十包が同じなら、冬季命綱費だけではありません。負傷兵向けの物資まで、善意の見世物へ回された」


 リゼットが舌打ちを飲み込むみたいに、唇の紅を噛んだ。


「だから『三口』なのね。寄付で顔を洗って、軍需で埋めて、残りを抜く。王都では慈善。辺境では不足。商人には口銭」


 私は査察受渡帳の余白へ、新しい見出しを書いた。


 巡慰三口。

 寄付口、軍需口、口銭。


 その下へ、今ある証拠を順に並べる。四年前の巡回慰撫費控え。野戦所納品控え。北市納品控え。持参金支払台帳の差し込み。どれも単体なら言い逃れられる。だが同じ銀貨の束が四枚の帳面で形だけ変えていた。


「赤字の本体が見えました」


 私はそう言って、持参金支払台帳の写しを閉じた。


「辺境の赤字は、冬の無駄遣いではありません。王都側が欲しい善意の顔を作るため、銀貨をいったん消してから戻す仕組みです」


 レオンハルトがようやく机へ寄った。彼は野戦所控えの粗い署名へ指を置き、すぐ離した。


「その年、王都は慰問だと言って来た」


 短い声だった。けれど喉の奥で、硬いものが擦れる音がした。


「俺は、薬が遅れた理由を雪だと思っていた」


 火鉢の熱は足元にあるのに、指先だけ冷えた。帳簿の上で黒くつながる線は、ただの横領より重い。足りなかった数の向こうに、包帯を待った兵の手がある。


「次は王都便の積み荷記録を取ります」


 私は受渡帳へ追記した。


「巡回慰撫費の寄付束と、軍需納品の戻り束。どの商会がどこで割ったかまで、北市から潰します」


 ミレイユがすぐに控え札を取り出し、欄外へ小さく番号を振る。リゼットはもう外套を掴んでいた。


「北市の女将たちなら、慈善顔をした商売の匂いに敏いわ。表の帳面じゃなく、茶と菓子の席で喋る話を拾ってくる」


 ガレスは野戦所の木札を握ったまま、窓の外を見た。


「必要なら、あの冬の生き残りも呼ぶ」


 私はうなずき、最後にもう一度、レオンハルトの古い署名へ目を落とした。今より少し荒い字。左肩の傷がまだ新しかった頃の筆跡。


 あの冬、王都が何を持ち去り、何を置いていったのか。


 銀貨の道は見えた。次は、その道の上で誰が傷を負ったのかを聞かなければならない。

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