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白紙婚の監査令嬢は、帳簿魔法で辺境を黒字にする  作者: 小竹X


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第十五話 雪崩の夜の決算

 北門通過帳の帰着欄に、北の土塁行きの角印が戻っていなかった。


 夕刻の監査机には、濡れた通過帳、印台帳、在庫石板の控え、路線板が重なっている。白尾見張小屋へ先出ししたあとの穴埋めとして、北の土塁へ灯油半樽と乾燥肉二箱、芯縄三束を回すはずだった便だ。受領印がないなら、どこかで荷が止まっている。


「二本杉の分岐で雪が落ちました!」


 門兵に肩を押された伝令兵が、帳場の机へ片手をついた。


「北の土塁へ向かう橇が、そこで止まっています。馬が一頭、前脚を取られました。御者は無事ですが、道が半分埋まりました」


 ミレイユがすぐ印台帳を開く。丸印、角印、三角印が並ぶ欄のうち、出庫印だけが青く澄み、受領欄はまだ白い。


「止まった便は、第五兵糧庫の乾燥肉二箱、第三兵糧庫の灯油半樽、芯縄三束です」


「白尾のほうは」


 私が問うと、伝令兵は雪を払う暇もなく答えた。


「鍬と縄は届いています。灯りも今夜ぶんは保つと」


 先に出した便は間に合った。

 止まったのは、そのあと北の土塁へ継ぐはずだったほうだけだ。


 扉が開き、レオンハルトとガレスが入ってきた。外套の裾から細かい氷が落ちる。


「どれだけ足りない」


 レオンハルトの声は短い。私は不足表を机の中央へ引いた。


「北の土塁は、九つ鐘までに灯油半樽、乾燥肉一箱、芯縄二束が要ります。乾燥肉は一箱あれば夜番の汁を保たせられる。灯油が切れるほうが先です」


 ガレスが路線板へ手を伸ばした。白尾、北の土塁、河岸路、二本杉の分岐。灰札のところで指が止まる。


「南斜面は閉じる。馬橇はもう通せん」


「人曳き橇なら通ります」


 声を出したのは、午後番に入っていた古傷の荷車番だった。片脚を引くその男は、炊き出し小屋の熱で赤くなった指を路線板へ伸ばす。


「二本杉の上は駄目でも、川岸は今夜の冷えで締まる。荷を軽くして、低い橇に替えりゃ石橋の下を回れます」


 その隣で、未亡人の一人が不足表の乾燥肉欄を叩いた。


「汁物なら一箱で足ります。薪を足せば薄くしても腹へ入る」


 帳場補助たちの指が、紙の上で役目ごとに分かれて動いた。

 読み上げ、在庫確認、刻限、止めるべき欄。

 昨日まで扶助帳に押されていた黒印の手が、今は不足表の白欄を埋めていく。


「在庫を」


 私が言うと、ミレイユは在庫石板の控えをめくった。


「第三兵糧庫、正午便の受領が一樽。出庫印なし」


「第五兵糧庫、乾燥肉三箱。うち一箱は炊き出し予備です」


 私は指先をそれぞれの欄へ置いた。帳簿魔法の色が薄く立つ。正午に着いた一樽は青い。まだどこにも紐づいていない。乾燥肉の予備欄は灰色だが、炊き出し小屋の鍋数と受領欄を辿ると、一箱抜いても今夜の粥は痩せすぎない。


「代えられます」


 ガレスがすぐ顔を上げた。


「道は」


「河岸路です。ただし低い橇が要る」


「止まった便の封は生きているか」


 レオンハルトに問われ、私は印台帳の控えへ指を滑らせた。出庫印の横に写した封泥の形は、まだ崩れていない。二本杉からの急報にも、切れ目の報せはなかった。


「はい。封が切れていないなら、明朝まであちらへ置いても中身は痩せません。今夜守るべきなのは、あの便そのものではなく、北の土塁の火です」


 言い切ると、レオンハルトは一度だけ頷いた。迷わせる顔をしない。それだけで、机の上の紙も人も、次に進みやすくなる。


 言ったところで、評議室側の扉から、雪を払った真紅の口元が現れた。リゼットだった。背後には細身の空橇を引いた若い御者がいる。


「ちょうど戻り荷を引き上げるところでした」


 彼女は空橇の縁を叩いた。


「紙束を運ぶための浅い橇です。板が薄いので、川岸でも沈みにくい。灯油半樽と肉一箱、芯縄くらいなら馬一頭で行けます」


「夜運びになります」


 ミレイユが思わず言うと、リゼットは肩をすくめた。


「ええ。ですから別勘定で」


 商人らしい返しだった。

 けれど、その別勘定を紙の外へ逃がさないという意味でもある。


「使います」


 私は即答した。


「北門通過帳へ緊急便の欄を一本立ててください。通常便と混ぜません。灯油半樽、乾燥肉一箱、芯縄二束。差し替え元は第三と第五。止まった便のほうは、明朝まで分岐で封を保たせます」


 ミレイユはもう筆を走らせていた。丸印は出庫、角印は受領、欄外に緊急便。新しく入った帳場補助が、読み上げに合わせて紙端を押さえる。


「灯油半樽、第三兵糧庫、印面は白線」


「乾燥肉一箱、第五兵糧庫、赤糸札」


「芯縄二束、北門控えから補充」


 私は封泥を取り、樽栓へ短い白線を跨がせた。箱の継ぎ目へ角印、芯縄束の結び目へ小さな封。帳簿魔法を一筋だけ通すと、どれも青く澄む。


「この三つだけを運びます。切れ目のない受領印が戻れば、北の土塁の火は今夜も保つ」


 ミレイユが書き上げた緊急便控えを、帳場補助の未亡人が指で追う。


「灯油半樽、乾燥肉一箱、芯縄二束」


「合っています」


 若い書記が復唱し、古傷の荷車番が刻限の欄へ爪を当てた。


「七つ鐘半に出せば、川岸の氷がいちばん締まる」


 紙を読む役、刻限を止める役、荷の封を確かめる役。新しく作った席順が、火鉢の周りで崩れず回っていた。


 レオンハルトが空橇へ視線をやった。


「護衛は四」


 それだけ言って、自分で外套の留め具を締めた。ガレスがすぐ続く。


「俺が河岸路まで出す。二本杉の止まり便には別働で縄を持たせる。御者と馬は夜明けまで保たせる」


 命令が短く落ちるたび、帳場の机の上で紙が進んだ。古傷の荷車番は川岸の曲がり角を指で示し、未亡人たちは火鉢脇で芯縄の束を数え、若い書記は通過帳の新しい欄名を読み上げる。リゼットの御者は浅い橇の縁へ布を巻き、樽の据わりを直していた。


 私は北門まで出た。夜気が喉に痛い。


 石橋の下を回る河岸路は、月が出る前ほど明るい。風に削られた雪面が、薄い鉄みたいに硬く光っていた。浅い橇へ積んだ半樽の封泥は、提灯の火の下でもまだ青い。


「受領欄は、土塁で必ず声に出して読んでください」


 私が御者へ言うと、横にいた帳場補助上がりの片腕の元兵が頷いた。


「丸印、角印、芯縄二束。読み違えたら止めます」


 帳場の仕事が、そのまま道へ出ていく。


 レオンハルトは橇の前へ立ち、一度だけ河岸路の暗がりを見た。


「行け」


 馬が鼻を鳴らし、浅い橇が凍った轍を滑っていく。ガレスと護衛四人が、その後ろを影みたいに追った。


 戻ってきたのは、十の鐘を少し回ってからだった。


 最初に届いたのは、北の土塁の受領控えだ。角印、灯油半樽、乾燥肉一箱、芯縄二束。切れ目なし。欄の右端には、夜番兵の震えた字で「火鉢四、灯り三、保つ」と追記されていた。


 次に、二本杉の止まり便から報せが来た。御者も馬も無事。魔導印は切れず、明朝の掘り出し待ち。封泥が生きているなら、夜のうちに中身が消えることはない。


 ミレイユが受領控えを胸の前で抱えたまま、息を吐いた。


「欄が、全部埋まりました」


 白かった受領欄に、今夜の分だけ角印が揃っている。私はその紙を机へ戻し、最後に残っていた別紙を引き寄せた。


 緊急便追加。

 夜運び料。

 河岸路護衛の温麺代。

 浅い橇の板張り替え見込み。


 黒インクの数字が、いつもの支出表より太く見えた。


 リゼットはその紙を覗き込み、唇の端だけで笑った。


「隠さず書くんですね」


「隠すと、次の夜が死にます」


 私が返すと、彼女は満足そうに顎を引いた。


 帳場補助の未亡人が、火鉢へ炭を足しながらこちらを見た。さっきまで扶助帳にいた指で、今は受領控えの端を押さえている。


 今夜は越せた。

 けれど、越せた理由が善意と古傷の知恵だけでは、冬は長すぎる。


 黒字に戻すより先に、寒い夜のために払う金を、帳面の表側へ出さなければならない。

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