表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白紙婚の監査令嬢は、帳簿魔法で辺境を黒字にする  作者: 小竹X


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/48

第十四話 役立たずたちの帳場

 傷病兵扶助帳の「就労不能」の欄に、同じ黒印が十四人分並んでいた。


 朝の監査机には、昨日までの印台帳と、炊き出し小屋へ回る扶助帳を重ねてある。印台帳のほうは出庫印、受領印、破損理由の欄が朝から足りない。白い空欄が、昨日だけで十七行も残っていた。


 人が足りない帳場と、働けないと決められた人たちの帳面。

 二冊を重ねると、黒と白が綺麗に噛み合いすぎていた。


「この黒印、誰が決めたんですか」


 私が尋ねると、ミレイユが古い扶助帳の端を押さえた。


「前の会計吏です。未亡人と、傷を負って前線を下がった兵は、まとめてここへ……。炊き出しと洗濯場で手伝っても、賃金欄は空欄のままでした」


 私は十四人分の受領欄を順に見た。震える字も、拇印もある。片手しか使えない者、立ち仕事が難しい者、寒い朝に炊き出し小屋で粥を受け取るだけの者。けれど、その指は毎日、鍋の数も、薪束の減りも、戻ってこない外套の枚数も見ている。


「帳場へ入れます」


 ミレイユが顔を上げた。


「え」


「字の綺麗さはいりません。今いる帳場に足りないのは、荷の切れ目と、数の減りに気づく目のほうです」


 ちょうど扉が開き、レオンハルトとガレスが入ってきた。外套に乗った雪が床へ落ちる。


「何が足りない」


「人です」


 私は扶助帳を差し出した。


「印台帳の欄が昨日だけで十七行余りました。今の帳場は、書ける者だけで回していて、見て確かめる者がいません。ここにいる十四人を、半日雇いで入れます」


 ガレスが帳面と扶助帳を見比べる。


「字を知らん者もいるぞ」


「知っています」


 私は印台帳の新しい見本を開いた。夜のうちに、ミレイユと欄を引き直しておいたものだ。出庫印は丸、受領印は角、破損は三角。破損理由は「割れ」「濡れ」「開封」「その他」に分け、色糸の欄も横へ足してある。


「読む役、書く役、指で追う役を分けます。一人で全部やらせない。読み上げはミレイユと今の書記、記入は私か帳場の者、確認は新しく入る者たちです」


 ガレスの眉間の皺は残ったままだったが、レオンハルトは一枚だけ見て頷いた。


「賃金は」


「半日で銅貨六枚。暖かい席と昼の粥つき。扶助帳から移すのでなく、帳場賃金として別欄を立てます」


「やれ」


 短い返事のあと、彼は扶助帳の黒印の上へ視線を置いた。


「その欄名も変えろ」


「ええ」


 私は鉄筆を取り、「就労不能」の上へ細く線を引いた。その下へ、新しく書く。


 帳場補助。


 紙束を抱えていた古株の会計吏が、そこで喉を鳴らした。


「役立たずたちの帳場、ですか」


「止まっている帳場よりはましです」


 私は扶助帳を閉じた。


「それに、役立たずと書いていたのは帳面の側です。鍋の数も、樽の匂いも、雪道の遅れも見てきた人たちのほうではない」


 中庭の炊き出し小屋の脇へ机を三つ出した。火鉢を二つ、椅子を六つ、立ったままでも見やすいように低い板台を一つ。集まったのは、洗濯場上がりの未亡人が五人、腕を吊った元兵が三人、古傷で雪道を走れなくなった荷車番が二人。みな最初は、机より自分の靴先を見ていた。


「仕事です」


 私は最初にそう言った。


「施しではありません。見ることと、気づくことに賃金を払います」


 片腕の元兵が、包帯の下で肩を固めた。


「帳場なんて、字のある者の場所でしょう」


「今日は違います」


 私は乾燥肉箱の蓋と、昨日の印台帳を並べた。


「この切れ目が切れているか。油樽の栓が削られていないか。荷車が通る刻限が、雪道の往復時間と合うか。そういうことを知っている人が要ります」


 洗濯場上がりの未亡人の一人が、灯油樽の口を見て小さく言った。


「魚油が混ざると、洗い場の布がぬるつきます」


「それです」


 私はその人の前へ樽を寄せた。


「気づいたら、ここへ指を置いてください。書くのはミレイユがやります」


 ミレイユは新しい帳面の欄を開き、丸印と角印を指でなぞった。


「読み上げますから、合っていたら叩いてください。違っていたら止めてください」


 エドガーが呼ばれてきて、乾燥肉箱の蓋裏に残る古印の見分け方を教えた。ガレスは路線板を立て、北門、河岸路、白尾見張小屋、北の土塁までの平時と積雪時の刻限を木札で示した。読めない者でも、青札が平時、灰札が積雪時と分かるようにした。


 最初の十人だけでも、机の前はすぐ狭くなった。残りの四人は午後番に回し、午前のうちに丸印と角印の見方、破損欄の止め方、通し番号の読み上げ方だけを覚えてもらう。字が書けるかより、止めるべき荷を止められるかのほうが先だった。


 午前いっぱいで、帳場は少しだけ騒がしくなった。

 けれど、止まっていた昨日よりずっと良かった。


 最初の仕事は、白尾見張小屋から来た小さな請求札だった。


 鉄鍬十二、雪縄四、橇の滑り金六、灯油一樽。


 理由欄は空欄。

 署名は見張小屋の当番兵、押印は第五兵糧庫。


「修繕ですかね」


 帳場の若い書記が言った。私はまだ返事をしなかった。すると、路線板の前にいた古傷の荷車番が、札を覗き込んだまま顔を上げる。


「白尾で、この数は修繕じゃない」


「どうして分かるんですか」


 ミレイユが尋ねる。


「あそこは見張り小屋だ。屋根板を替えるなら釘と板だろ。鉄鍬を十二も引くのは、雪を掘る時だけだ」


 その隣で、未亡人の一人が灯油欄を指で叩いた。


「しかも一樽。夜通し火を焚く気です」


 ガレスが木札を持ったまま振り向いた。


「白尾の上の斜面、昨日の吹き溜まりが大きかった」


 私は請求札を取り、第五兵糧庫の控えへ指を置いた。関連する欄が灰から黒へ濁る。書かれていない理由が、札の外で先に膨らんでいた。


「雪庇です」


 レオンハルトが机の端へ手をついた。


「崩れるか」


「少なくとも、向こうは掘る準備をしています」


 私は白尾見張小屋の位置を路線板で確かめた。南斜面へ上がる細道の手前。あそこが埋まれば、北西路線の脇道が一つ死ぬ。


「第五兵糧庫の灯油を先に切り分けます。鉄鍬と雪縄は今すぐ出す。橇の滑り金は第三兵糧庫から回せます」


「出庫印は」


 ミレイユがもう筆を持っている。


「先に押します。受領印が戻らなければ、理由欄ごと夜まで追う」


 新しく入った帳場補助たちが、それぞれ動いた。片腕の元兵は路線板の灰札を白尾へ差し替え、未亡人たちは灯油樽の継ぎ目と鍬束の縄目を順に見ていく。若い書記は読み上げ、ミレイユが記し、私は不足分を別紙へ切り出す。昨日まで一人で持っていた視線が、机のあちこちに散っていた。


 その時、中庭の石畳を誰かが滑るように走ってきた。門兵に肩を借りた伝令兵が、雪をまぶしたまま息を切らしている。


「白尾見張小屋より急報! 南の雪庇が鳴いて、小崩れが出ました。夜までに鍬と縄、それに灯りを」


 伝令兵の声が途切れるより早く、ガレスが出庫札を掴んだ。


「荷車は二台だ。河岸路を使う。南の細道はもう通すな」


 レオンハルトは外套を翻しながら、帳場の机へ一度だけ目を落とした。そこでは、さっきまで扶助帳に並んでいた指が、印台帳の丸と角を順に押さえている。


「続けろ」


 それだけ言って、彼はガレスと外へ出た。


 私は不足分の紙を広げた。白尾へ出す鍬十二、縄四、灯油一樽。これで第五の夜番が薄くなる。その穴をどこから埋めるか、第三の在庫石板と北門通過帳を繋ぎ直す。


「奥方様」


 未亡人の一人が、帳面の端を指した。


「この灯油、白尾へ出したら、北の土塁の今夜ぶんが半樽足りません」


 私はその指の先を見た。

 青い欄が一本だけ、細く痩せている。


 雪の夜は、帳面の中で先に始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ