第十四話 役立たずたちの帳場
傷病兵扶助帳の「就労不能」の欄に、同じ黒印が十四人分並んでいた。
朝の監査机には、昨日までの印台帳と、炊き出し小屋へ回る扶助帳を重ねてある。印台帳のほうは出庫印、受領印、破損理由の欄が朝から足りない。白い空欄が、昨日だけで十七行も残っていた。
人が足りない帳場と、働けないと決められた人たちの帳面。
二冊を重ねると、黒と白が綺麗に噛み合いすぎていた。
「この黒印、誰が決めたんですか」
私が尋ねると、ミレイユが古い扶助帳の端を押さえた。
「前の会計吏です。未亡人と、傷を負って前線を下がった兵は、まとめてここへ……。炊き出しと洗濯場で手伝っても、賃金欄は空欄のままでした」
私は十四人分の受領欄を順に見た。震える字も、拇印もある。片手しか使えない者、立ち仕事が難しい者、寒い朝に炊き出し小屋で粥を受け取るだけの者。けれど、その指は毎日、鍋の数も、薪束の減りも、戻ってこない外套の枚数も見ている。
「帳場へ入れます」
ミレイユが顔を上げた。
「え」
「字の綺麗さはいりません。今いる帳場に足りないのは、荷の切れ目と、数の減りに気づく目のほうです」
ちょうど扉が開き、レオンハルトとガレスが入ってきた。外套に乗った雪が床へ落ちる。
「何が足りない」
「人です」
私は扶助帳を差し出した。
「印台帳の欄が昨日だけで十七行余りました。今の帳場は、書ける者だけで回していて、見て確かめる者がいません。ここにいる十四人を、半日雇いで入れます」
ガレスが帳面と扶助帳を見比べる。
「字を知らん者もいるぞ」
「知っています」
私は印台帳の新しい見本を開いた。夜のうちに、ミレイユと欄を引き直しておいたものだ。出庫印は丸、受領印は角、破損は三角。破損理由は「割れ」「濡れ」「開封」「その他」に分け、色糸の欄も横へ足してある。
「読む役、書く役、指で追う役を分けます。一人で全部やらせない。読み上げはミレイユと今の書記、記入は私か帳場の者、確認は新しく入る者たちです」
ガレスの眉間の皺は残ったままだったが、レオンハルトは一枚だけ見て頷いた。
「賃金は」
「半日で銅貨六枚。暖かい席と昼の粥つき。扶助帳から移すのでなく、帳場賃金として別欄を立てます」
「やれ」
短い返事のあと、彼は扶助帳の黒印の上へ視線を置いた。
「その欄名も変えろ」
「ええ」
私は鉄筆を取り、「就労不能」の上へ細く線を引いた。その下へ、新しく書く。
帳場補助。
紙束を抱えていた古株の会計吏が、そこで喉を鳴らした。
「役立たずたちの帳場、ですか」
「止まっている帳場よりはましです」
私は扶助帳を閉じた。
「それに、役立たずと書いていたのは帳面の側です。鍋の数も、樽の匂いも、雪道の遅れも見てきた人たちのほうではない」
中庭の炊き出し小屋の脇へ机を三つ出した。火鉢を二つ、椅子を六つ、立ったままでも見やすいように低い板台を一つ。集まったのは、洗濯場上がりの未亡人が五人、腕を吊った元兵が三人、古傷で雪道を走れなくなった荷車番が二人。みな最初は、机より自分の靴先を見ていた。
「仕事です」
私は最初にそう言った。
「施しではありません。見ることと、気づくことに賃金を払います」
片腕の元兵が、包帯の下で肩を固めた。
「帳場なんて、字のある者の場所でしょう」
「今日は違います」
私は乾燥肉箱の蓋と、昨日の印台帳を並べた。
「この切れ目が切れているか。油樽の栓が削られていないか。荷車が通る刻限が、雪道の往復時間と合うか。そういうことを知っている人が要ります」
洗濯場上がりの未亡人の一人が、灯油樽の口を見て小さく言った。
「魚油が混ざると、洗い場の布がぬるつきます」
「それです」
私はその人の前へ樽を寄せた。
「気づいたら、ここへ指を置いてください。書くのはミレイユがやります」
ミレイユは新しい帳面の欄を開き、丸印と角印を指でなぞった。
「読み上げますから、合っていたら叩いてください。違っていたら止めてください」
エドガーが呼ばれてきて、乾燥肉箱の蓋裏に残る古印の見分け方を教えた。ガレスは路線板を立て、北門、河岸路、白尾見張小屋、北の土塁までの平時と積雪時の刻限を木札で示した。読めない者でも、青札が平時、灰札が積雪時と分かるようにした。
最初の十人だけでも、机の前はすぐ狭くなった。残りの四人は午後番に回し、午前のうちに丸印と角印の見方、破損欄の止め方、通し番号の読み上げ方だけを覚えてもらう。字が書けるかより、止めるべき荷を止められるかのほうが先だった。
午前いっぱいで、帳場は少しだけ騒がしくなった。
けれど、止まっていた昨日よりずっと良かった。
最初の仕事は、白尾見張小屋から来た小さな請求札だった。
鉄鍬十二、雪縄四、橇の滑り金六、灯油一樽。
理由欄は空欄。
署名は見張小屋の当番兵、押印は第五兵糧庫。
「修繕ですかね」
帳場の若い書記が言った。私はまだ返事をしなかった。すると、路線板の前にいた古傷の荷車番が、札を覗き込んだまま顔を上げる。
「白尾で、この数は修繕じゃない」
「どうして分かるんですか」
ミレイユが尋ねる。
「あそこは見張り小屋だ。屋根板を替えるなら釘と板だろ。鉄鍬を十二も引くのは、雪を掘る時だけだ」
その隣で、未亡人の一人が灯油欄を指で叩いた。
「しかも一樽。夜通し火を焚く気です」
ガレスが木札を持ったまま振り向いた。
「白尾の上の斜面、昨日の吹き溜まりが大きかった」
私は請求札を取り、第五兵糧庫の控えへ指を置いた。関連する欄が灰から黒へ濁る。書かれていない理由が、札の外で先に膨らんでいた。
「雪庇です」
レオンハルトが机の端へ手をついた。
「崩れるか」
「少なくとも、向こうは掘る準備をしています」
私は白尾見張小屋の位置を路線板で確かめた。南斜面へ上がる細道の手前。あそこが埋まれば、北西路線の脇道が一つ死ぬ。
「第五兵糧庫の灯油を先に切り分けます。鉄鍬と雪縄は今すぐ出す。橇の滑り金は第三兵糧庫から回せます」
「出庫印は」
ミレイユがもう筆を持っている。
「先に押します。受領印が戻らなければ、理由欄ごと夜まで追う」
新しく入った帳場補助たちが、それぞれ動いた。片腕の元兵は路線板の灰札を白尾へ差し替え、未亡人たちは灯油樽の継ぎ目と鍬束の縄目を順に見ていく。若い書記は読み上げ、ミレイユが記し、私は不足分を別紙へ切り出す。昨日まで一人で持っていた視線が、机のあちこちに散っていた。
その時、中庭の石畳を誰かが滑るように走ってきた。門兵に肩を借りた伝令兵が、雪をまぶしたまま息を切らしている。
「白尾見張小屋より急報! 南の雪庇が鳴いて、小崩れが出ました。夜までに鍬と縄、それに灯りを」
伝令兵の声が途切れるより早く、ガレスが出庫札を掴んだ。
「荷車は二台だ。河岸路を使う。南の細道はもう通すな」
レオンハルトは外套を翻しながら、帳場の机へ一度だけ目を落とした。そこでは、さっきまで扶助帳に並んでいた指が、印台帳の丸と角を順に押さえている。
「続けろ」
それだけ言って、彼はガレスと外へ出た。
私は不足分の紙を広げた。白尾へ出す鍬十二、縄四、灯油一樽。これで第五の夜番が薄くなる。その穴をどこから埋めるか、第三の在庫石板と北門通過帳を繋ぎ直す。
「奥方様」
未亡人の一人が、帳面の端を指した。
「この灯油、白尾へ出したら、北の土塁の今夜ぶんが半樽足りません」
私はその指の先を見た。
青い欄が一本だけ、細く痩せている。
雪の夜は、帳面の中で先に始まる。




