第22話
工事開始の準備の為、町田さんの家の隣の空き地に三角のロードコーンやバーが置かれ始めた日、守流たちと喜八は別れた。
喜八との別れは、驚くほどあっけなかった。
喜八は下校中の守流と拓人、そしてたまたま外に出てきていた町田さんの三人と会話をしていて、当たり前の会話の続きとして一言添えただけのように別れの言葉を口にした。
「じゃあオレ、今から別の川を探しに行くね。仲良くしてくれてありがとう。元気でね」
喜八はそう言ってニカッと笑い、手を振って水の中に消えた。
拓人は隣で「え!?」と漏らしたし、町田さんも後ろでポカンとしていたほどだ。
転校する友達を送る時のように、寄せ書きを渡すこともなければ、涙して握手するようなこともない。
あまりにあっさりとした退場に、守流は言葉なく呆然と立ち尽くした。
この約三ヶ月は、守流にとってはとても大きな意味があって、大事な時間だったように思えていた。
喜八もきっとそうだったはずだ。
だから、もう少し別れを惜しんでくれると思っていた。
しかし、この別れはあまりにも想像していたものと違っていて、守流の胸は寂しさを通り越し、強くズキズキと痛んだのだった。
「門脇くん、最近元気ないね」
昼休みに声を掛けてきたのは、クラスメイトの木戸朝美だ。
「……そんなことないよ」
「そう? 元気ないように見えるけど……」
「作文が全く書けなくて困ってるだけ」
心配そうな顔をされて、守流はそれっぽい理由を口にした。
喜八との別れを引きずっていることは、勿論言うつもりもなかったが、作文が書けなくて困っていることも嘘ではない。
来年二月の立志式に向けて、お決まりの「将来の夢」をテーマに書く作文は、文集に仕立てるために締め切りが早い。
十月末までに提出しなければならないが、半ばの現在、守流の原稿用紙は白紙のままだった。
「作文書くのが苦手なの?」
「作文が苦手っていうか、将来の夢とか発表するのが苦手なんだ。特に夢なんてないし」
「公務員とかって、テキトーに書いとけばいいんじゃないのか?」
突然、隣から原田が話に入ってきた。
数日前に席替えをして、たまたま隣の席になったのだ。
「テキトーにって言うけど、どうして公務員になりたいか、理由とかもそれらしく書かないといけないだろ」
「うん、だから、それらしく書けばいいんじゃないの?」
簡単に言われた内容に、守流は顔をしかめた。
「テキトー」とか「それらしく」とかいうのは、守流が一番苦手なものだ。
どの程度が「適当」であって、「それらしく」見えるものなのか、よく分からないので迷ってしまうのだ。
そして、結局何もできなくなってしまう。
朝美は呆れたような顔で原田を見た。
「もう、原田くんってば、いい加減なんだから」
「えー? だってさ、今書いたことを絶対将来の目標にしなきゃならないってわけじゃないだろ。しっかり夢があるなら書けるけど、ないなら無難にまとめるしかないし」
「そうだけど……」
原田が言うことも、分からないでもない。
目の前の課題に躓いているのなら、そういう手もあるということだ。
しかし、だからといって全く思ってもいない将来をもっともらしく書くのも違う気がして、守流は曖昧に笑った。
「締め切りまでまだ時間があるし、もう少し考えてみるよ」
「そっか、門脇は真面目だなぁ」
「原田くんが不真面目なの!」
朝美の言葉に、「え〜、おれ生徒会役員なのに」と原田が大袈裟に反応して、三人は一緒に笑った。
帰り道、紺色の傘の上でバラバラと雨音が鳴る。
秋雨前線が停滞しているとかで、この数日は雨続きだ。
今日はそれ程でもないが、昨日は昼間一時的に大雨になって、教室の窓から見た外の景色は真っ白だった。
橋の上まで来て、守流は足を止める。
大人の背の高さ程深さがある用水路は、半分まで水位が上がっていた。
茶色く濁った水が勢いよく流れて、時々落ち葉やゴミ屑のような物を押し流していく。
「こんな濁流じゃ、喜八もゴミ拾えないな…」
思わずそんな言葉を漏らして、守流はブルと首を振った。
喜八はもうここにはいない。
あれから何度か用水路に向かって声を掛けたが、一度だって反応があったことはない。
―――悔しい。
そう思って、守流は、ふと瞬いた。
喜八が別の場所に行ってしまうのは、とても寂しいと思っていた。
でも、それ以上に悔しさを感じている……。
夏休みに、ここで掃除をするのをやめろと言われた時みたいだった。
仕方ないよねと諦めたように笑っていた喜八。
あの時は、一緒に掃除をすると言えた。
でも、今回は何もできなかった。
喜八が望む場所にいられるようにしてあげられなかった、無力な自分が、悔しい。
そして、唐突に気付いた。
何の手助けも出来ないでいるのに、ただ別れたくない、寂しいと主張していた守流に、悲しい別れの場面を作りたくなくて、喜八はあっさり去って行ったのではないか、と。
一番寂しかったのは、また一人になる喜八だったのかもしれないのに……。
勘じいちゃんと、ケンカをしたようになったまま別れて、六年前の守流は後悔して泣いた。
それなのに、喜八にも、ちゃんと言えていないではないか。
守流は用水路を見つめて、傘の柄をギュッと握る。
『ありがとう』も『大好きだよ』も、喜八に何も伝えていない。
―――伝えられていないのに。




