第21話
パラパラと窓に雨粒の当たる音がして、守流は机の上から視線を上げる。
日曜日の今日は、朝から雨だ。
ひどい雨ではないが、風が強い。
窓の外に見えるどんよりした空を見て、守流は溜め息をつく。
まるで、今の自分の気持ちのようだ。
数日前に喜八の決意を聞いてから、守流は毎日用水路に立ち寄って喜八と話した。
主には、どこにも行かないで欲しい、または、行ったとしても時々ここに戻ってきて欲しいという、守流の願いを伝えた。
けれども、返ってくる答えは変わらない。
そして喜八は、ただ申し訳ないような、少し困ったような笑みを浮かべてばかりだった。
それどころか、用水路を覗いて声を掛けなければ、姿を見せてくれないようになった。
今までは、守流が近くに来れば嬉しそうに出てきてくれていたのに…。
守流は、持っているシャーペンの背をカチカチと押しながら考える。
行かないで欲しいという気持ちは本当だ。
知り合ってまだ三ヶ月ほどだが、喜八は既に、とても大切な友達になっていた。
しかし、だからといって、喜八を引き止めても良いのかという迷いもある。
喜八は河童だ。
川の水をきれいにするという役目を持って存在している。
本人がそうしたいと言っているのに、寂しいからと引き止めるのは、とても勝手な要求かもしれない。
しかも自分には、人間の生活と家族や友達がいて、喜八はいつも独りぼっちだというのに……。
カチカチと音を立てていたシャーペンの先から、伸びていた芯がポトリと落ちた。
広げていた作文の原稿用紙の上を、軽く転がる。
原稿用紙には、まだ「将来の夢」というタイトルと、クラスと氏名しか書かれていない。
守流は今でも、これと言えるような夢がない。
ただでさえ苦手なテーマの作文だというのに、こんな気分で希望に満ち溢れた文など書けるはずがなかった。
守流はシャーペンを置いて立ち上がる。
気分転換に、何か温かいものでも飲もう。
そう思って自室を出た。
一階へ降りる階段の上に立つと、下から甘く香ばしい香りが上がってくる。
そういえば、今日は母さんと望果がクッキーを焼くと言っていた。
「新しい都市伝説?」
「そう。今、学校で噂になってるの。川に出てくるおばけの男の子!」
守流の耳に二人の会話が届いて、思わず降りかけていた階段の途中で止まる。
「小学校の体操服を着てて、あちこちの用水路に出てくるんだって。目が合うとにや〜って笑って、『掃除しろ』って水の中に引き込まれちゃうって!」
「ええ〜?」
「ね、お母さん、お兄ちゃんが夏休みに掃除したのって、おばけに引っ張られたからじゃないかな!?」
守流はカッとなって階段を駆け下りた。
驚いて振り向いた望果に、その勢いのまま言葉をぶつける。
「おかしな噂を立てるなよっ」
「わ、私が言い始めたんじゃないもん」
「でもそうやって広めてるんだろ! いい加減なこと言うな!」
「ちょっと、守流…」
止めようとした母さんの横で、望果はみるみる顔を赤くして目に涙を溜めた。
「お兄ちゃんのイジワル! ケチッ!」
ワッと泣いて、望果は持っていたクッキーを落とした。
母さんに抱きついてわんわんと大声で泣く。
窘めるような母さんの視線から逃げるように、守流は顔を背けて台所を出た。
望果の泣き声と、甘いクッキーの香りを置いて、玄関で傘をつかんで扉を開ける。
強い風に飛ばされた雨粒が、守流の頬を打った。
持った傘を差さないまま、守流は早足で用水路に向かう。
突然のお別れ宣言。
今までと変わった様子。
困ったような、曖昧な笑顔。
喜八の急な変化が、守流には不思議で堪らなかった。
いくら喜八に役目に対しての強い思いがあるのだとしても、あれ程一緒にいて楽しそうにしていたのに、そんなに急に変わるだろうか。
守流には、今その疑問の答えが分かった。
全てが腑に落ちた気がした。
ガードレールの切れ目から生活道路に降り、守流は用水路を覗き込んで喜八を呼ぶ。
一拍置いてそろりと姿を現した喜八が、一瞬周りを気にしたのを見て、守流は考えたことが間違いないと確信した。
「喜八、噂を気にして、ここを出ていくことにしたんでしょ?」
細目を一瞬見開いてから、喜八はハの字に眉を下げた。
「おばけの少年の噂。それが広まってるから、ここにいられないって思ったんじゃないの?」
「…………うん、そう」
喜八は申し訳ないような笑顔で、小さく頷いた。
「……本当はね、どこに行っても、こんな風に誰かと仲良くなったりしなかったよ。人間は優しくていい奴もいるけど、河童なんて気味悪いって反応する奴の方が、ずっと多いから。だからいつもササッと掃除して、すぐに他の所に移動してた」
そう言う喜八の目は、細くてはっきりとは分からなかったけれど、とても悲しそうに見えた。
「でも、マモルやタクト、町田のじいちゃんや、チヤコも……。みんな優しくて、オレ、ここにもっといたいって思っちゃった。ホントは、もっと早くいなくなるべきだったのに」
「そんなことないよ!」
「ううん、もう色んな人が噂してる」
「そうかもしれないけど! でも!」
守流が声を上げると、喜八はニカッと笑おうとして失敗したみたいに、微妙な笑顔になった。
それでも、その顔のままではっきりと言った。
「オレ、マモル達が大好き。だから、迷惑になるのだけはイヤなんだ」




