6 チュートリアルはどこ
「クロヴィス王子、彼女をこちらに」
「すまない、お言葉に甘えさせてもらおう」
ひょいと持ち上げられ、足が地面から浮く。クロヴィスは慣れているといわんばかりに私を抱きかかえると、ソファーまで運んだ。
……いやだ待って、これこの前屋敷でもやってもらったばかり。
また迷惑をかけてしまった。ソファーに下ろされた私は、自分の失態に両手で顔を覆い隠す。
「まだ先日の風邪が後を引いているみたいなんだ」
彼の声が優しく上から降り注ぐ。温かな手が指先に触れ、顔を隠していた私の手をそっとはがされた。彼と目が合うが、見ていられず顔を逸らす。赤面している所を見られるなんて、これ以上の恥をさらしたくない。
「そうだったのですね……、私がお会いしたいとお願いしたからですわね」
リリーナの声が近づいて来た。王族でもない私が一人で彼らの前で横になっているなんて、そんな無礼な真似できない! 慌てて起き上がると頭を下げた。
「も、申し訳ございません、リリーナ様。アベル様も……いらっしゃると思わず。お会いできて光栄です」
「だ、大丈夫ですの、アメリアさん」
「いきなり起き上がって問題ないのか、アメリア嬢」
「は、はい。体調管理を怠るなんて、クロヴィス様の婚約者ともあろう者があるまじき姿です……申し訳ございません」
「気にすることはない。王国の気温は大分冷えて来ているようだしな。寒暖差が激しい地と聞いている。体調を崩すのも仕方あるまい」
あれ、優しい……?
思わずアベルの方を見遣る。声は平坦だったが、こちらを気遣ってくれているようだ。ゲーム内では堅物で、王国民を容赦なく切り捨てていた印象の彼だが……状況が違えば敵国の人間にも優しくしてくれるらしい。
突然、私の手に触れていたクロヴィスがぎゅっと握った。
「クロヴィス様……?」
彼を見れば、しゃがんだ体勢のままアベルを見上げている。
「クロヴィス王子、そろそろ開園時間だと思うがアメリア嬢はどうする」
「アメリアには申し訳ないけど、俺と一緒に観覧席まで移動してもらうよ。君の体調を気遣ってやれなくてすまないね」
「部屋の用意がないならここを使えばいい。演奏が終われば、我々はすぐに発つつもりだ。長居はしない」
「い、いえ、お気遣いなく……クロヴィス様、もう大丈夫です」
倒れてしまったのも想定外のことに驚いただけだ。体調は悪くない。
「参りましょう、クロヴィス様?」
床を踏む足に力は入っており、倒れる心配はなさそうだ。
「……アメリア、わかった。アベル殿下、リリーナ殿下、貴殿らの席だが俺達とは反対側の席を用意させて貰っている。マーカスに案内させよう。……マーカス、頼めるかな」
「はっ、クロヴィス様」
扉の側からマーカスの声が聞こえた。
いよいよゲームが始まってしまう。いないはずのアベルがいるこの状況、リリーナの誘拐事件は起こるのか。
これからプレイヤーが現れ、私達の運命が決まる……。
唇を固く結び、ドレスのスカートの上で両手を握った。
マーカスがリリーナ達を連れて行くのを見送る。部屋にはクロヴィスと二人きり。
「俺たちも向かおうか、アメリア」
「は、はい」
刻一刻と迫るチュートリアルの時間。もうなるようになれ。半ばやけになりながら、彼と観覧席に向かった。
ステージの幕が下がる。国立音楽団が奏でる生演奏の曲は、音楽に詳しくない私でもわかるほど柔らかくも芯のある音色であった。
大きな拍手に包まれる会場内。
「どうだった、アメリア?」
「……とても、素敵でした」
クロヴィスの問いに、少しぼうっとした思考で答える。聴き入っていたのもあり、開演中はあっという間に時間が溶けていた。
「行こうか。俺たちは通路が混む前に移動しないと。下の回の席の人達が動けないから」
「もう終わってしまったんですね……」
「ふっ……そんなに気に入ったのかい?」
「……はい」
深々と頷いた。無料で見てしまっていいのか、お金を払わせて欲しい。父の辺境伯が支払い済みかもしれないが。
「じゃあ、帰ろうか。アベル殿下達の見送りをしに行こう」
「……あ」
アベルとリリーナの見送りという言葉にハッとする。そういえば、リリーナの誘拐時間が起こっていないではないか。
脳内で「なんで?」という言葉がぐるぐると駆け巡る。
呆然としている私にクロヴィスが微笑みながら手を差し出した。
「……無事、演奏会は終わったみたいだね?」
チュートリアルはどうなったのだろう。
クロヴィスに連れられて外に出れば、アベルとリリーナ達は既に待機していた。マーカスが二人を案内したようで、側に彼の姿もある。
劇場の裏口には大きな馬車が着けられており、帝国の太陽を模した紋様が側面の扉に刻まれていた。
クロヴィスの前にアベルが歩み寄る。
「クロヴィス王子。今日の演奏会に招いてくれたこと、感謝する。妹も大層喜んでいた」
「ありがとうございますわ、クロヴィス殿下」
アベルの言葉に続き、リリーナが膝を折りながら感謝の言葉を並べる。
「気に入っていただけて何よりだ。また何か催しがあれば、招待させていただこう」
「まあ、嬉しい! ふふ、楽しみにしていますわね」
リリーナは心から喜んだように言うと、アベルの側にぴたりと寄り添った。見上げる仕草が小鳥のように可愛らしい。
「お兄様、楽しみですわね」
「リリーナ……はぁ」
両国の関係は好調とは言い難いかもしれない。だが今のリリーナ達の様子を見るに、これからゲーム本編が始まる未来など想像がつかなかった。
「アメリアお姉様も」
くるりとドレスの裾を翻しながら、リリーナがこちらを見る。
「またお会いしたいですわ」
ふわりとした笑みに、ドンっと胸に刺さる衝撃を喰らう。
これがゲーム内一の癒しキャラとされる、彼女の笑顔か……!
「は、はい、リリーナさま……」
可愛い。こんな妹、私も欲しい……。
手を振ってみれば、リリーナも振り返してくれた。
「……ではアベル殿下。次は来月の祝賀祭に会おう」
「……ああ、クロヴィス王子。それまでご健勝を」
「貴殿も」
冷たく張り付くような雰囲気を感じ、クロヴィスとアベルを交互に見遣る。アベルの表情は固いまま変わらないが、クロヴィスも笑みは浮かべつつも目元が笑っていない。
二人の探り合うような目。平和だと思っていたのは、私だけか。
馬車に乗り込む二人を見送る。護衛団が彼に続き劇場を去って行くのを、姿が見えなくなるまで見届けた。
行ってしまった……と、人がすっかり減ってしまった周囲にそんなことを思う。
「クロヴィス様、よろしいでしょうか」
「なんだ、マーカス」
途中から姿を消していたマーカスが現れた。彼は背中に何かを乗せている。それをズルズルと引きずりながら、彼はクロヴィスの前まで歩み出した。
「先ほど近くでこの者を見つけました。騎士団に突き出すべきでしょうが……貴方様に言われましたので」
「……え」
彼が連れていたのは、ぐったりと眠っている男だ。薄汚れた白いマント被っており、フードからは青みを帯びた髪がはみ出していた。
この人はもしや。私は見覚えのある服装にごくりと喉を鳴らす。
「怪我人か?」
「いいえ、見たところ外傷はなく眠っているだけのようです」
マーカスが彼を背負い直した時、男のフードがずれ落ちた。まだ幼さの残る顔立ちの青年の素顔があらわになる。
「……あ、あ」
思わず口元を手で覆う。
閉じられていた瞼がゆっくりと開き、緑色の瞳が現れる。
「あ、起きた。大丈夫かな? 俺の声が聞こえるかい?」
「あれ、ここは……」
呟く声は掠れており、寝ぼけたような眼がクロヴィスに向けられた。
この場面、知っている状況とは違うが今の状況はもしや……と、彼らの様子を見守りながら両手を握る。
すっ飛ばされたであろうチュートリアル。……マーカスがプレイヤーを保護してしまった!




