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零戦乗りは異世界で生まれ直す  作者: よみ はじめ


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分かってきたこと

第三話 分かってきたこと


 生まれて一か月が経ったと思う。


 俺なりに、この世界がどんなところなのか分かってきた。


 まず、この家には電気がない。


 夜になると、サライが壁に掛けられた灯りへ火を入れる。


 蝋燭に似ているが、燃えているのは油らしい。


 小さな炎が揺れるたび、天井や壁に家族の影が大きく伸びる。


 水道もない。


 水は家の外にある井戸から汲んでくる。


 サライが木の桶を持って出ていき、しばらくすると水の音を立てながら戻ってくる。


 だが、何もかもが粗末というわけではない。


 天井には太い木の梁が渡され、白い壁は土か漆喰のようなもので丁寧に塗られている。


 床には隙間なく板が張られ、窓にはガラスまで入っていた。


 ガラスは少し波打っていて、外の景色がわずかに歪んで見える。


 それでも、ガラスを作る技術はあるらしい。


 家具もほとんど木製だ。


 机。


 椅子。


 棚。


 寝台。


 どれも飾り気は少ないが、造りはしっかりしている。


 釘や蝶番には金属が使われていた。


 俺がいた時代より、ずっと昔に近い暮らしだ。


 だが、未開の世界というわけでもない。


 少なくとも、腕のいい職人はいる。


 食事もなかなか魅力的だった。


 焼きたてらしいパン。


 野菜の入ったスープ。


 表面を香ばしく焼いた肉。


 ときどき、甘い匂いのする果物まで並ぶ。


 食卓へ料理が運ばれるたび、いい匂いが部屋中に広がった。


 だが残念ながら、今の俺には関係ない。


 俺の主食は、当分の間、母親の乳らしい。


 こればかりは、どうしようもない。


 早く普通の飯を食べられるようになりたいものだ。


     ◇


 窓の外には、土の道が伸びている。


 朝になると、人や荷車がときどき通った。


 荷車は木製で、車輪の外側には鉄が巻かれている。


 引いているのは馬によく似た動物だ。


 体つきも大きさも馬に近い。


 だが、頭には短い角が一本生えていた。


 最初に見た時は、見間違いかと思った。


 だが、二頭目にも角があった。


 どうやら、この世界ではあれが普通らしい。


 道の向こうには何軒もの家が並び、その先には畑が広がっている。


 さらに遠くには、深い森が見えた。


 朝になると、鶏に似た鳴き声が聞こえる。


 だが姿を見ると、羽の色が青く、尾がやけに長い。


 見たことのない鳥だった。


 道を歩く人間の服も、俺が知っているものとは違う。


 男は丈夫そうな布の上着に革の帯。


 女は丈の長い服を着ている。


 腰に短い剣やナイフを下げている者も珍しくない。


 ユートも、外へ出る時は剣を持つ。


 家の壁にも、本物らしい剣が一本掛けられていた。


 飾りではない。


 刃には曇りがなく、柄もよく手入れされている。


 いつでも使えるように置かれている。


 つまり、この世界では剣がまだ実用品として生きている。


 それが誰に対して使われるものなのかは、まだ分からない。


 人間か。


 獣か。


 それとも、俺の知らない何かか。


 分からないことは多い。


 だが、ここが以前の世界ではないことだけは、もう疑いようがなかった。


     ◇


 もう一つ。


 この一か月で、家族の言葉もほとんど理解できるようになった。


 最初は意味のない音の連なりにしか聞こえなかった。


 それでも、同じ言葉を毎日何度も聞いていれば、少しずつ分かってくる。


 物を指しながら話す。


 同じ場面で同じ言葉を使う。


 顔や声の調子も手掛かりになる。


 前後の会話を繋げれば、意味は自然と絞られていった。


 今では、サライとユートが話していることも、アニーが俺に話しかけてくることも、ほとんど理解できる。


 話すことは、まだできない。


 だが、声は出せる。


「あう」


「うー」


「あー」


 言葉にはならないが、出すタイミングくらいは選べるようになった。


 手も動く。


 嬉しければ腕を伸ばす。


 気に入らなければ押し返す。


 目の前に何かあれば掴もうとする。


 思い通りにならないことも多いが、最初の頃よりはずいぶんましになった。


「カイト、おはよう」


 朝、サライが俺を抱き上げた。


 俺は顔を向ける。


「あう」


「まあ。今日も元気ね」


 サライは笑いながら、俺の頬へ指を当てた。


 その顔は、やはり前の母によく似ている。


 髪も瞳の色も違う。


 それでも、俺を見る目と、笑う時の口元が重なる。


 最初は戸惑った。


 前の母を思い出すたび、胸の奥が苦しくなった。


 だが、今は少し違う。


 この人は、この世界で俺を産んでくれた母親だ。


 別の人間だ。


 それでも、俺の母であることに変わりはない。


「お腹が空いたの?」


 まだ大丈夫だ。


 俺は口を閉じたまま、サライを見た。


「眠い?」


 それも違う。


 俺は腕を動かし、窓の方へ手を伸ばした。


 外から、木剣が風を切る音が聞こえている。


 ヒュッ。


 少し間を置いて。


 ヒュッ。


 毎朝同じ時間に始まる音だ。


 サライが俺の視線を追った。


「お父さんを見たいの?」


「あう」


 俺はもう一度、窓へ手を伸ばした。


 サライの笑顔が止まった。


「……カイト?」


 俺の名を呼ばれたので、顔を戻す。


「お父さんのところへ行きたいの?」


「あう!」


 今度は少し強く声を出した。


 窓の方へ両手を動かす。


 サライは俺と窓を交互に見た。


「……やっぱり」


 小さな声だった。


 何がやっぱりなのか。


 俺には分かる。


 最近、サライは俺の反応を試している。


 腹が減ったのか。


 眠いのか。


 抱いてほしいのか。


 外を見たいのか。


 質問を変えながら、俺がどう反応するかを見ている。


 そして俺も、つい正直に反応してしまう。


 赤ん坊のふりをするつもりはある。


 だが、目の前で父親が剣を振っていれば、見たくなるのは仕方がない。


 サライは俺を抱いたまま窓辺へ移動した。


 外がよく見える。


 庭ではユートが木剣を構えていた。


     ◇


 ユートの素振りを見るのは、毎朝の日課になっていた。


 最初は、ただ剣を振っているだけだと思った。


 だが、毎日見ているうちに、少しずつ分かってきた。


 ユートは腕の力だけで振っていない。


 足で地面を踏み、腰を回し、その力を肩から腕へ流している。


 最後に、すべての力が剣先へ集まる。


 零戦の操縦にも似ている。


 操縦桿だけを乱暴に動かしても、機体は思うようには動かない。


 速度。


 姿勢。


 風。


 エンジンの力。


 すべてを繋げて、初めて思い通りに飛ぶ。


 ユートも同じだ。


 身体の一部だけではなく、全身を一つにして剣を振っている。


 剣術のことは分からない。


 だが、この人が長い間、同じ動きを繰り返してきたことは分かる。


 無駄が少ない。


 呼吸も乱れない。


 一振りごとの速度も、ほとんど変わらない。


 真面目な人だ。


 おそらく、毎日欠かさず続けている。


 ヒュッ。


 木剣が振り下ろされる。


 俺は足を見る。


 次に腰。


 肩。


 腕。


 剣先。


 もう一度。


 同じ流れ。


 だが、わずかに違う。


 さっきより踏み込みが浅い。


 何かを確かめているのか。


 ユートの動きが突然止まった。


 俺も視線を止める。


 ユートはこちらを見ていた。


 目が合う。


 あの日と同じ、静かな目だった。


 俺が指を握った時。


 力で逆らわず、引かれる動きに身体を預けた俺を、ユートはじっと見ていた。


 あれ以来、ユートは俺をただの赤ん坊として見ていない。


 そんな気がする。


 ユートが木剣を構え直した。


 今度は、ゆっくりと振る。


 俺は動きを追う。


 足。


 腰。


 肩。


 腕。


 途中で、木剣の軌道が変わった。


 振り下ろすと見せて、横へ払う。


 俺の視線も横へ動く。


 ユートは木剣を止めた。


 しばらく俺を見つめる。


「……やはり、見ているな」


 小さな声だった。


 だが、窓辺まで聞こえた。


 サライが首を傾げる。


「何を?」


「いや」


 ユートはそれだけ答え、再び木剣を構えた。


 しかし、その後の素振りは先ほどまでとは少し違った。


 一つ一つの動きを、俺に見せるようにゆっくり振っていた。


     ◇


 アニーは、朝から元気だった。


「カイトー!」


 声が聞こえたと思った時には、もう顔が目の前にある。


 今日も笑っている。


 姉さんは本当によく笑う。


 朝起きて笑い。


 食事をして笑い。


 俺を見て笑う。


 一日に何度、俺の頬をつつけば気が済むのだろう。


「カイト、見て!」


 アニーは布で作られた人形を俺の前へ差し出した。


 丸い頭。


 短い手足。


 顔には目と口らしきものが縫いつけられている。


「これ、カイトなの」


 俺なのか。


 まったく似ていない。


 だが、アニーは得意そうだ。


「こっちが私!」


 もう一つの人形が現れる。


 違いは髪の色くらいしかない。


「一緒に遊ぶの!」


 アニーは二つの人形を俺の胸の上で歩かせ始めた。


「山を越えて、森へ行って、悪い狼をやっつけるの!」


 ずいぶん勇ましい話だ。


 俺は近づいてきた人形へ手を伸ばした。


 指先が布に触れる。


 そのまま握る。


「あっ!」


 アニーが目を輝かせた。


「カイトが取った!」


「あう」


「遊びたいの?」


「あうあう」


 アニーが声を上げて笑う。


「お母さん! カイトが返事した!」


 サライがこちらを振り返った。


「本当?」


「うん! 遊びたいって!」


 そこまでは言っていない。


 だが、アニーが喜んでいるので訂正する必要もない。


 人形を握ったまま腕を動かすと、アニーはさらに喜んだ。


「ほら! カイト、分かってるよ!」


 サライは俺をじっと見つめた。


 その目には、笑顔と一緒に小さな驚きが浮かんでいた。


     ◇


 その日の昼。


 俺はサライの腕の中にいた。


 ユートは椅子に座り、木剣の表面を布で拭いている。


 アニーは床に座り、人形を並べていた。


「ねえ、あなた」


 サライが口を開いた。


「この子、私たちの話していること、全部分かっているみたいなのよ」


 やはり、その話か。


 ユートは手を止めなかった。


「俺も、そう思っている」


 サライが驚いた顔をする。


「あなたも?」


「ああ」


「どうして?」


 ユートは布を動かしながら、俺を見た。


「剣を振るたびに、視線を感じる」


「カイトの?」


「ただ動くものを追っているわけじゃない」


 ユートは木剣を膝の上へ置いた。


「足から腰、肩、腕。それから剣先まで見ている」


「そんなことが分かるの?」


「今日、途中で動きを変えた」


「それで?」


「目がついてきた」


 サライは腕の中の俺を見下ろした。


 俺もサライを見る。


「カイト」


「あう」


 返事をすると、サライの目がさらに大きくなった。


「ほら」


 ユートは何も言わない。


 だが、俺から目を離さなかった。


 アニーだけは、いつもと変わらない。


「カイトは賢いんだよ」


 人形を並べながら、当然のように言った。


「だって、私の弟だもん」


 どういう理屈だ。


 だが、アニーは満足そうに頷いている。


 サライが笑った。


 ユートも、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 俺も手を動かした。


 アニーがすぐにその手を握る。


「カイト、お姉ちゃんのこと分かる?」


「あう」


「ほら!」


 アニーは勝ち誇ったように二人を見る。


 サライは笑いながら俺の頭を撫でた。


 ユートは静かにこちらを見ている。


 この家。


 この家族。


 この世界。


 まだ分からないことは多い。


 剣を持つ理由。


 角の生えた馬。


 森の向こうに何がいるのか。


 そして、なぜ俺がここに生まれ直したのか。


 だが。


 俺をカイトと呼ぶ三人が、俺を大切にしていることだけは分かる。


 それなら、今は十分だ。


「カイトー」


 アニーがまた顔を近づけてきた。


「一緒に遊ぼうね」


「あう」


 今度は、はっきり返事をした。


 アニーの笑顔が、部屋いっぱいに広がった。

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