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零戦乗りは異世界で生まれ直す  作者: よみ はじめ


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新しい家族

第二話 新しい家族


 赤ん坊というものは、思っていた以上に不自由だった。


 目は霞み、遠くのものは輪郭しか見えない。


 耳に届く声も、意味の分からない音の連なりにしか聞こえない。


 手足に力を入れても、動くのはほんのわずか。


 首など、自分の意思では持ち上げることすらできなかった。


 零戦なら、操縦桿を数センチ動かすだけで進む方向を変えられた。


 だが今の俺は、自分の顔を横へ向けるだけでも一苦労だ。


 それでも、少しずつ分かってきたことがある。


 俺を抱いている女は、サライというらしい。


 何度も耳にした音だった。


 その顔は、やはり母によく似ている。


 俺を覗き込む目。


 頬へ触れる指先。


 泣けば胸へ抱き寄せ、眠るまで背中を優しく叩く仕草。


 顔立ちだけではない。


 その温かさまで、遠い記憶に重なった。


 そして、俺を抱くたびに繰り返される音がある。


「カイト」


 どうやら、それが今の俺の名前らしい。


 カイト。


 まだ自分の名という実感はなかった。


 だが、サライがその音を口にする時は、いつも笑っている。


 ならば、悪い名前ではないのだろう。


「カイトー」


 今度は、明るく弾む声がした。


 小さな顔が、視界いっぱいに飛び込んでくる。


 俺よりはずっと大きい。


 だが、まだ幼い少女だ。


 少女は毎日のように俺の寝床へやって来ては、頬をつつき、指を握り、意味の分からない言葉を次々と話しかけてくる。


「アニー、あまり触りすぎないの」


 サライがそう呼ぶと、少女は頬を膨らませた。


 アニー。


 どうやら、俺の姉らしい。


 アニーは俺の小さな手を取り、自分の指を握らせた。


 握ったつもりはない。


 触れたものへ、指が勝手に閉じただけだ。


 それでもアニーは目を輝かせた。


「見て! カイトが握った!」


 言葉の意味は分からない。


 だが、喜んでいることだけは分かった。


 俺は指の力を抜いた。


 するとアニーは、今度は反対の手を差し出してくる。


 何がそれほど楽しいのか。


 そう思いながら、もう一度その指を握った。


 アニーは声を上げて笑った。


 その声につられるように、サライも笑う。


 俺も笑おうとした。


 だが口元はうまく動かず、喉から妙な音が出ただけだった。


「あう……」


 二人の笑い声が、さらに大きくなった。


 どうやら、それでよかったらしい。


     ◇


 もう一人。


 この家には、ユートと呼ばれる男がいた。


 俺の父親だ。


 サライやアニーほど頻繁に話しかけてはこない。


 だが毎朝、決まった時間に外へ出る。


 そして庭から、乾いた音が聞こえてくる。


 ヒュッ。


 少し間を置いて、また。


 ヒュッ。


 木が空気を切る音だ。


 何度聞いても、同じ軌道。


 同じ速さ。


 呼吸の乱れもない。


 俺は寝床の中で、音のする方へ顔を向けた。


 見たい。


 何をしている。


 首へ力を入れる。


 だが頭は、わずかに動いただけで敷布へ落ちた。


 もう一度。


 今度は肩から力を抜き、頭だけを動かそうとせず、身体全体をわずかに傾ける。


 視界が少し動いた。


 窓の向こう。


 ぼやけた景色の中で、ユートが細長いものを振っている。


 木剣だ。


 足はほとんど動いていない。


 だが振るたびに、腰から肩へ力が途切れず流れている。


 ただ腕で振っているのではない。


 全身で斬っている。


 なかなかのものだ。


 そう思った直後、ユートの動きが止まった。


 こちらを見ている。


 目が合った。


 偶然ではない。


 ユートは木剣を下ろすと、家の中へ入ってきた。


 足音が近づく。


 寝床のそばへ腰を下ろし、俺の顔を覗き込んだ。


 静かな目だった。


 アニーのように頬をつつくことも、サライのように抱き上げることもしない。


 ただ、じっと見ている。


 俺も、その目を見返した。


 敵意はない。


 警戒もない。


 ただ、こちらが何を見ているのか確かめようとしている。


 そんな目だ。


 ユートが手を伸ばした。


 太い人差し指が、俺の掌へ触れる。


 指が勝手に閉じた。


 だが今度は、ただ握るだけではなかった。


 強く掴もうとすれば、今の指ではすぐに疲れる。


 だから力を入れず、触れている部分を逃がさないように指を添えた。


 ユートが、わずかに指を引いた。


 俺の腕も一緒に動く。


 逆らわない。


 引かれるまま、肩の力を抜く。


 指先だけは、離さない。


 ユートの眉が、ほんの少し動いた。


 もう一度、指が引かれる。


 俺は同じように身体を預けた。


 力で止めたわけではない。


 ただ、離れなかった。


 ユートは手を止めた。


 しばらく俺を見つめた後、口元をわずかに緩める。


「……面白い子だ」


 言葉の意味は、まだ分からない。


 だが、その低い声が不思議と心地よかった。


 俺はユートの指を握ったまま、ゆっくりと目を閉じた。

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