第5話(前編2)――「国王からの離縁通知」
アルベルトは机の上に置かれた書類を見た。
そこには、王軍への納入に関する情報もあった。
ローデン領からは、今も大量の鉄製品が王軍へ運ばれている。
サルヴィ商会を使った計画は失敗したが、王軍への輸送そのものは続いている。
アルベルトは、しばらくその書類を眺めていた。
今の自分を追い詰めたのは、エレオノーラとレオンだ。
しかし、自分たちが悪かったとは考えなかった。
むしろ、レオンへの憎しみがますます強くなっていた。
そのころ王宮では、エレオノーラの離縁に向けた準備が、国王の命令によって進められようとしていた。
アルベルトは、まだそのことを知らなかった。
◇ ◇ ◇
グランツ公爵アルベルトのもとへ、国王から正式な書状が届いたのは、王宮で財産の不正使用を追及されてから3日後だった。
執務室で封を切ったアルベルトは、書状を読み進めるうちに顔色を変えた。そこには、エレオノーラが婚姻の解消を申し出ているため、本人の意見を聞きたいと書かれていた。
「離縁だと! エレオノーラは本気でそんなことを言っているのか!」
妻が自分との暮らしに不満を抱いていることは知っていた。先日も、これからの夫婦関係について考えると言い残している。しかし、国王へ正式に離縁を申し出ているとは思わなかった。
アルベルトは書状を握りしめ、しばらく考え込んだ。
エレオノーラは国王の妹である。その女性を正妻に迎えたことで、グランツ公爵家は王家との結び付きを強め、多くの貴族や商人から一目置かれる存在になっていた。
もし離縁が成立すれば、その強い結び付きが失われる。さらに、エレオノーラの持参金や所領からの収入も、公爵家では使えなくなる。すでに勝手に使った金の返還まで求められているのだから、アルベルトにとっては大損害だった。
すぐにセシリアを呼びつけると、アルベルトは国王の書状を見せた。
「エレオノーラが本当に離縁を申し出たそうだ。陛下から、婚姻を続ける意思があるのか確認したいと呼び出されている。何としても思いとどまらせなければならん」
セシリアは書状を読み終えると、思いがけず嬉しそうな顔をした。
「まあ、それなら、いよいよ私が正妻になれるのですね。お姉様がそこまでお決めになったのなら、無理に引き留めなくてもよろしいのではありませんか?」
「お前は何を考えているのだ! エレオノーラがいなくなれば、王家との縁も失うのだぞ。正妻が誰になるかなど、今はどうでもよい!」
アルベルトに怒鳴られ、セシリアは不満そうに口を閉じた。
彼女には、エレオノーラがいなくなれば自分が公爵家の女主人になれるという期待があった。一方、アルベルトが惜しんでいるのはエレオノーラの身分と財産であり、妻に対する愛情ではない。
それが分かっていても、自分よりエレオノーラを大切に扱われるのは腹立たしかった。
「でしたら、王宮でお姉様を説得なさればよろしいでしょう。旦那様が謝って、お金を返すとお約束すれば、気持ちも変わるかもしれませんわ」
「そんなことは分かっている。問題は、国王陛下まで妹の味方をしていることだ。まったく、夫婦の問題を王宮へ持ち込むとは、余計なことをしてくれたものだ」
アルベルトは書状を机へ置き、翌朝の出頭に備えるよう家令へ命じた。
セシリアは、執務室を出る前にもう一度夫の顔を見た。アルベルトは自分のことなど忘れたように、国王へ何を説明するか考え込んでいた。
◇ ◇ ◇
翌日、アルベルトは王宮へ出頭した。
面会の部屋には国王とエレオノーラがいたが、レオンの姿はなかった。今回は夫婦の婚姻について話し合う場であり、レオンもエレオノーラ自身の判断に任せることにしていた。
国王はアルベルトを着席させると、妹が離縁を求めていることを改めて伝えた。
「アルベルト、お前にも言い分があるだろうから、今日はその話を聞こうと思って呼んだ。エレオノーラはすでに決心しているが、お前は婚姻を続けたいのだな」
「もちろんでございます、陛下。今回の金の問題については謝罪し、必要な額は返還するつもりでおります。夫婦の間には行き違いもございますが、それだけで長年の婚姻を解消するのは、あまりにも性急ではございませんか」
アルベルトは、できるだけ穏やかに話そうと努めていた。前回のように国王の前で怒鳴れば、ますます不利になると分かっていたからだ。
しかし、エレオノーラの返事は変わらなかった。
「あなたがお金を返してくださるのは当然です。でも、私はもう公爵家へ戻るつもりはありません。お金の問題だけではないと、先日も申し上げたはずです」
「エレオノーラ、私も悪かったと思っている。これからはお前の財産を勝手に使わぬと約束しよう。今までどおり公爵夫人として暮らしてくれれば、何の問題もないではないか」
夫の言葉を聞き、エレオノーラは呆れた。
アルベルトは、金を返すと約束すれば妻が戻ってくると思っているらしい。これまで自分がどれほど妻を軽んじてきたのか、少しも分かっていなかった。
「あなたにとっては、それで済む話なのでしょう。でも、私はもうあなたを信用できません。私に黙って財産を使い、偽の署名まで作られていたのに、最後まで説明していただけませんでした。それどころか、あなたは私の目の前で書類を破り捨てたのですよ」
アルベルトは言い返しかけたが、国王の視線に気付いて思いとどまった。
「それは……私も少し感情的になってしまった。だが、長年連れ添った夫婦なのだから、やり直す機会くらい与えてくれてもよいだろう」
「これまで何度も、あなたに話を聞いてほしいと思ってきました。そのたびに、あなたは私の意見を退けてきたではありませんか。今になってやり直そうと言われても、私にはもうその気持ちがありません」
エレオノーラは夫の顔を見て、はっきりと告げた。
「私は離縁します。これからは、自分の人生を自分で決めて生きていきたいのです」
国王は、妹の返事を聞いてアルベルトへ向き直った。
「アルベルト、これ以上説得しても無駄であろう。私も、妹が望まぬ婚姻を続けるよう命じるつもりはない。お前たちの婚姻は王家の承認を受けて結ばれたものだから、解消についても私が判断することになる」
「陛下、どうかお待ちください! 私どもの婚姻は、公爵家と王家の結び付きにとっても大切なものでございます。それを、このような理由で解消してしまってよろしいのでしょうか」
国王は眉をひそめた。
「お前は先ほどから、公爵家と王家の関係ばかり気にしているな。エレオノーラがお前と暮らしたくないと言っていることについては、どう考えているのだ?」
「もちろん、妻の気持ちも尊重したいと思っております。しかし……」
「本当に尊重しているのなら、本人の意思を認めてやることだ。妹は、お前の地位や財産を守るためだけに生きているのではない」
アルベルトは返事に詰まった。
国王は側近に向かい、婚姻解消の手続きを進めるよう命じた。王家の承認を得た婚姻については、離縁を望む理由と双方の言い分を確認したうえで、国王が解消を認めることになっている。
難しい話ではない。妻が離縁を望み、夫の説明も聞いたうえで、国王がその願いを認めたのである。
「アルベルト、妹との婚姻は解消する。ただし、エレオノーラの財産を勝手に使った件については、これからも調査を続ける。離縁したからといって、金を返さずに済むわけではないからな」
アルベルトは深く頭を下げるしかなかった。
王家との結び付きを失うという、最も恐れていた事態が現実になろうとしていた。




