第5話(前編1)――「王妹を失う男」
アルベルトとセシリアが退室したあと、国王は椅子に腰を下ろした。
「まったく、情けない話だ。公爵ともあろう者が、妻の財産を勝手に使い、いざ追及されると第二夫人や会計係へ責任を押しつけるとはな」
エレオノーラは、兄へ深く頭を下げた。
「兄上、ありがとうございました。おかげで、ようやく事情が分かりました」
「礼には及ばん。お前の財産が勝手に使われていたのだ。当然のことをしたまでだ」
国王はしばらく妹の顔を見てから尋ねた。
「それで、昨日の話だが……。アルベルトと離縁したいという気持ちは、今も変わらぬのか」
エレオノーラは迷わず答えた。
「はい。今日の2人の姿を見て、なおさら決心が固まりました。もう、あの人を夫として信じることはできません」
国王は頷いた。
「そうか。確かに、今日のアルベルトの態度では、これからも夫婦として暮らせとは言えんな」
「私は、公爵家の妻としてできる限りのことをしてきたつもりです。でも、もう十分です。これからは自分の人生を大切にしたいのです」
「分かった。離縁の手続きを進めよう。アルベルトにも正式に知らせる必要があるが、お前の意思は尊重する」
エレオノーラは、もう一度礼を言った。
「ありがとうございます、兄上」
国王はレオンへ目を向けた。
「ローデン子爵、今日もお前の占いには驚かされたぞ。会計係が逃げるところまで見えていたとはな」
「今回は、うまく役に立ちました。あの男が証拠を持って逃げてくれたおかげで、かえって話が早くなりましたね」
レオンが笑うと、国王も苦笑した。
「まったくだ。悪事を隠すつもりが、自分から証拠を持って逃げるとは愚かなことをしたものだ」
エレオノーラも笑った。
「でも、レオンが占ってくれなければ、本当に逃げられていたかもしれません。そう考えると、今日はあなたのおかげでもあるのよ」
「私は占っただけですよ。実際に逃げる男を捕まえたのは兵士たちですし、アルベルトを問い詰めたのは国王陛下ですから」
「それでも、大事な仕事をしてくれたことに変わりはない」
国王はレオンを見て頷いた。
「今後も軍務局の事件について調査が続く。サルヴィ商会が何を企んでいたのか、引き続き確かめる必要があるな」
「はい。私も王軍への納入妨害については、最後まで調べたいと思っています」
国王は了承した。
エレオノーラの財産問題については、すでに偽の署名が作られていたことが分かった。
しかし、サルヴィ商会が王軍の物資に細工をした事件については、まだ公爵夫妻が命じたという証拠はない。
今後は、両方の事件を調べながら、必要な事実を明らかにしていくことになる。
◇ ◇ ◇
国王との話を終えたレオンとエレオノーラは、王宮の庭園へ出た。
秋の風が木々を揺らし、庭園には色づいた葉が落ち始めていた。
エレオノーラは、レオンの隣を歩きながら言った。
「今日は、ずいぶん気分が軽くなったわ。今まであの人に遠慮していたのが、馬鹿らしく思えてきたの」
「そうでしょうね。国王陛下の前で、あれだけ言い争っていたんですから。私も見ていて呆れましたよ」
「本当にそうね。アルベルトはセシリアへ責任を押しつけ、セシリアはアルベルトへ責任を押しつける。あの人たちは、自分たちが何をしたのか、少しも反省していないのよ」
エレオノーラは、レオンの顔を見て笑った。
「でも、あなたの占いは本当にすごいわね。昨日は書類を破るところを当てて、今日は会計係が逃げるところまで当ててしまったのだから」
「今回は、うまくいきましたね。私も、あの男が本当に逃げ出したと聞いた時には、少し笑いそうになりましたよ」
「まあ、レオンったら。兄上の前で笑ってしまったら大変だったわね」
「そうですね。さすがに、あの場で笑うわけにはいきませんから」
2人は顔を見合わせて笑った。
しばらく歩いたところで、エレオノーラはレオンの手を取った。
「レオン、私、アルベルトと離縁することに決めたわ。兄上も、私の気持ちを認めてくださったの」
「よかったですね。これまで随分悩んでいましたから」
「ええ。でも、これからどう暮らしていくのか、まだ考えなければならないこともあるわ」
レオンは、彼女の手を握り返した。
「そのことなら、私にも少し考えていることがあります。でも、今はまず、離縁の手続きを終わらせましょう。あなたが自由になってから、ゆっくり相談したいんです」
エレオノーラは嬉しそうに笑った。
「ええ。そうしましょう。私も、これからはあなたと一緒に将来のことを考えたいわ」
レオンは彼女の顔を見ながら、心の中で決意していた。
エレオノーラが離縁したら、正式にローデン領へ迎えたい。
そして、いずれは妻として、一緒に暮らしていきたい。
その日が来るのを、レオンは楽しみにしていた。
◇ ◇ ◇
一方、グランツ公爵邸へ戻ったアルベルトは、執務室で怒りを爆発させていた。
「まったく、何ということだ! あの会計係め、余計な書類を残しおって!」
セシリアも、いつもの愛想のよい顔をしていなかった。
「旦那様こそ、私に責任を押しつけようとなさったではありませんか。あの場で私が黙っていたら、全部私のせいにされていたでしょう?」
「黙れ! お前が余計なことを喋ったせいで、陛下にまで疑われたのだぞ!」
「余計なことですって? 最初に私の名前を出したのは旦那様ではありませんか!」
セシリアも負けずに言い返した。
アルベルトは苛立って椅子へ腰を下ろした。
今日の一件で、エレオノーラの財産を勝手に使っていたことが明らかになり、国王から返還を求められることになった。
しかも、署名を偽造した会計係が捕まり、セシリアが指示したことまで知られてしまった。
国王は今後も調査を続けるという。
このままでは、公爵家の信用に大きな傷がつく。
アルベルトは、何とか事態を収める方法を考えた。
「エレオノーラにも困ったものだ。夫婦の間のことを、わざわざ国王陛下へ持ち込むとは……」
「お姉様は、最近すっかり態度が変わってしまいましたわ。以前なら、旦那様にあれほど逆らうことはなかったのに」
「まったくだ。誰かが余計なことを吹き込んでいるのかもしれんな」
セシリアは、すぐにレオンの顔を思い浮かべた。
「きっと、あのローデン子爵ですわ。お姉様は最近、あの若造と親しくしていらっしゃるでしょう?」
アルベルトは不愉快そうに顔をしかめた。
「レオンか……。確かに、あの男が現れてから、エレオノーラの様子がおかしくなった」
「それに、今日も国王陛下のそばにいたではありませんか。どうして私たちの家の問題に、あの男が口を出せるのでしょう」
「王軍への納入妨害の件があるからだろう。だが、あの男が同席していたのは面白くない」
アルベルトは拳を握りしめた。
国王からも評価され、軍でも功績を挙げ、豊かな領地まで手に入れた若い子爵。
しかも、自分の妻であるエレオノーラまで、あの男を頼りにしている。
それがアルベルトには我慢ならなかった。
「旦那様、エレオノーラ様は本当にお屋敷を出ていかれるのでしょうか?」
セシリアが尋ねた。
「まだ分からん。だが、昨日は夫婦のこれからについて考えるなどと言っておった。まさか、本当に離縁するつもりではあるまいな……」
アルベルトは不安になった。
エレオノーラは国王の妹である。
彼女と離縁すれば、王家との強い結び付きまで失ってしまう。公爵家の信用も、今までどおりとはいかなくなるだろう。
そんなことだけは、何としても避けなければならなかった。
しかし、セシリアは別のことを考えていた。
「旦那様、もしエレオノーラ様が本当に離縁なさったら、私が正妻になれるのではありませんか?」
アルベルトは呆れてセシリアを見た。
「お前は何を考えているのだ! エレオノーラがいなくなれば、王家との縁まで失うのだぞ!」
「でも、私だって旦那様の妻ですわ。今までずっとおそばにいたではありませんか」
「お前とエレオノーラでは立場が違う! あの女は国王陛下の妹なのだ!」
セシリアの顔色が変わった。
「旦那様……。それでは、私よりエレオノーラ様の方が大切だとおっしゃるのですか?」
「今はそんな話をしている場合ではない! 公爵家が危うくなっているのが分からんのか!」
セシリアは黙り込んだ。
アルベルトは、エレオノーラを愛しているから失いたくないのではない。国王の妹という身分と、彼女の財産が惜しいのである。
セシリアにも、そのことがようやく分かった。
しかし、アルベルトは妻の不満など気にしていなかった。
彼の頭には、レオンの顔が浮かんでいた。
王軍への納入契約を手に入れ、金銀の採掘で豊かになり、今では国王の信頼まで得ている若い子爵。
あの男さえいなければ、エレオノーラもここまで強気にはならなかったかもしれない。
「レオンめ……。あの若造が余計なことをしなければ、こんなことにはならなかったものを」
アルベルトは、憎々しげに呟いた。
セシリアも、その言葉に同意した。
「本当にそうですわ。あの男さえいなければ、お姉様も旦那様に逆らったりしなかったでしょうに」




