第4話(中編2)――「王妹の離縁願」
そのころ、レオンは王宮でエレオノーラからの知らせを待っていた。
前日に占術で見たのは、アルベルトが書類を破り捨てるところだけだった。そのあと何が起きるのかまでは分からなかったが、エレオノーラが準備していれば、少なくとも大切な書類を失う心配はない。
やがて、侍女がエレオノーラの来訪を知らせた。
レオンが立ち上がると、エレオノーラが部屋へ入ってきた。今朝までの心配そうな表情とは違い、どこか晴れやかな顔をしている。
「レオン、あなたの占いが当たったわ!」
「やっぱり、アルベルトが書類を破ったんですか?」
「ええ。あなたが言ったとおりよ。私が問い詰めたら、腹を立てて紙を引き裂いてしまったの」
「それで、本物の書類は無事だったんですね?」
「もちろんよ。先に兄上のところへ届けておいたもの。あの人ったら、私がそう言った途端に顔色を変えたのよ」
エレオノーラは、思い出して笑った。
「今まであの人が私の前であれほど慌てたことなんて、ほとんどなかったわ。いつも自分の言うことが正しいと思っている人だから」
「それは見たかったですね。私も一緒に行けばよかったかな」
「ふふっ。それは駄目よ。あなたがいたら、きっとあの人はもっと怒っていたでしょうから」
レオンは苦笑した。
アルベルトが自分を嫌っていることは、十分に分かっている。もしあの場にレオンがいれば、妻の金の話などそっちのけで、自分に文句を言い始めたかもしれない。
そう考えると、今回はエレオノーラが1人で話をした方がよかったのだろう。
その時、レオンの視界に淡い文字が浮かび上がった。
《占術が的中しました》
《天命が1つ満たされました》
《身体適応が進みます》
レオンは表示を確認した。
新しい能力を得たわけではなかったが、今回も占術が的中したことで身体適応が進んだらしい。
迷宮の地下10階で再会した老人は、身体適応が進めば世界を渡るための力を得られるかもしれないと話していた。
その仕組みは、まだ分からない。
しかし、これからも占術を使い続ければ、いつか日本へ戻るための手掛かりが見つかる可能性はある。
今はそのことより、エレオノーラの問題を片付ける方が先だった。
「それで、アルベルトはお金を返すと言ったんですか?」
「家令に確認させると言っていたわ。でも、いつ返すのかは答えなかったの。それに、偽の署名についても、まるで説明できなかったわ」
「それなら、次は国王陛下に相談するんですね」
「ええ。もう決めているの。兄上に会って、きちんと事情を説明するつもりよ」
エレオノーラはレオンの手を取った。
「ありがとう。あなたのおかげで、今日は落ち着いて話すことができたわ」
「私は占っただけですよ。あの男に言いたいことを言ったのは、あなたです」
「でも、あなたが知らせてくれなかったら、あの書類を本当に破られていたかもしれないでしょう? そうなったら、ずいぶん困っていたと思うわ」
「役に立てたならよかったです。これからも、必要なことがあれば何でも相談してください」
エレオノーラは微笑んだ。
「ええ。でも、これからのことは、私自身で決めなければならないわね」
レオンは、彼女の決意を聞いて嬉しくなった。
エレオノーラは、これまで夫との関係に悩みながらも、公爵夫人としての立場を守ろうとしてきた。
しかし、今回の出来事で、これ以上アルベルトを信頼することはできないと考えるようになったらしい。
レオンは彼女の判断を尊重し、これからも力になりたいと思っていた。
◇ ◇ ◇
エレオノーラはその日の夕方、国王との面会を許された。
王宮の執務室へ入ると、国王は机の上に置かれた書類を見ていた。
エレオノーラが届けさせた、問題の承認書類である。
「エレオノーラ、よく来た。お前から届いた手紙は読んだぞ。何やら公爵家で困ったことが起きているそうだな」
「はい、兄上。今日はそのことでお願いがあって参りました」
国王は椅子を勧めた。
「まず、何があったのか聞かせてくれ。アルベルトが、お前の財産を勝手に使ったというのは本当なのか?」
エレオノーラは、これまでの経緯を説明した。
自分の財産から、承認していない金が支出されていたこと。その金がサルヴィ商会へ渡っていたこと。そして、本人が署名していない書類に、自分の名前と印章が使われていたことである。
国王は最後まで話を聞くと、改めて書類を手に取った。
「この署名は、本当にお前が書いたものではないのだな?」
「はい。間違いありません。私はそのような書類に署名しておりません」
「アルベルトは、何と言っていた?」
「公爵家の事業に必要だったと言い張るばかりで、何に使ったのかも説明しませんでした。それに、署名について尋ねると怒り出して、書類の写しを破ってしまったのです」
国王は驚いた。
「何だと? 書類を破ったのか?」
「ええ。でも、本物はこちらへ届けてありましたから、問題ありませんでした」
エレオノーラは、少し笑った。
国王も呆れたように顔をしかめた。
「まったく、アルベルトは何を考えているのだ。妻から金の使い道を尋ねられたなら、説明すれば済む話ではないか。それができないうえに、書類まで破るとは……」
国王は書類を机へ戻した。
「分かった。この件は私が調べさせよう。お前の財産が勝手に使われたのなら、返還させる。署名を偽造した者がいるのなら、その者にも責任を取らせねばならん」
「ありがとうございます、兄上」
「ただし、アルベルト本人がどこまで関わっていたのかは、調べてみなければ分からん。そこは理解しているな?」
「もちろんです。私も、誰が悪いのか決めつけるつもりはありません。でも、自分のお金を勝手に使われたことだけは、見過ごせないのです」
「それは当然だ。お前の財産なのだからな」
国王は側近を呼び、問題の金が何に使われたのか、誰が書類を作ったのかを調べるよう命じた。
そして、エレオノーラへ向き直った。
「金のことは私に任せておけ。ほかにも困っていることがあるのなら、この機会に話してみるといい」
エレオノーラは、しばらく考えた。
これから話そうとしていることは、財産の問題よりも、さらに大きな決断だった。
しかし、今日アルベルトと話したことで、自分の気持ちははっきりしていた。
「兄上、実はもう1つ、お願いがございます」
「何だ? 遠慮せず言ってみろ」
「私は、アルベルトと離縁したいと思っています」
国王は驚いた。
「離縁だと? お前は本気で言っているのか?」
「はい。もう、あの人を夫として信頼することはできません」
国王は妹の顔を見つめた。
エレオノーラは以前から夫との関係に悩んでいた。しかし、王妹としての立場もあり、簡単に婚姻を終えるとは言い出せなかったのである。
それが今日は、はっきり離縁したいと申し出ている。
「エレオノーラ、お前たちは長年連れ添った夫婦だ。簡単に決めてよいことではないぞ」
「分かっています。でも、もう十分に考えました。私の財産を勝手に使われたことも許せませんが、それ以上に、私の話を聞こうともしない夫とは、これ以上一緒に暮らしたくありません」
エレオノーラは続けた。
「私は公爵家の財産が欲しいわけではありません。自分の財産は自分で守りたいのです。それに、これからは自分の人生を自分で決めたいと思っています」
国王は、妹の決意が固いことを理解した。
「そうか。そこまで考えているのなら、無理に思いとどまらせるつもりはない。ただし、離縁を認めるにしても、アルベルトにも事情を聞かなければならんな」
「はい。それで結構です。私も、兄上に無理なことをお願いするつもりはありません」
「分かった。まずは金の使い道と偽の署名について調べよう。そのうえで、アルベルトにも話を聞く。お前の離縁についても、正式に進めることにしよう」
エレオノーラは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、兄上」
国王は妹の顔を見て、表情を和らげた。
「エレオノーラ、お前は王妹である前に、私の大切な妹だ。夫との暮らしがつらいのなら、無理に我慢する必要はない。今後のことは、私も力になろう」
その言葉を聞き、エレオノーラは嬉しくなった。
長い間、公爵夫人としての立場を守ろうと努めてきた。しかし、今は自分の意思で新しい人生を選びたいと思っている。
兄がその気持ちを理解してくれたことが、何よりありがたかった。
国王は、もう一度書類へ目を向けた。
「しかし、アルベルトには困ったものだ。公爵ともあろう者が、妻の金の使い道も説明できんとはな。しかも、本人が書いていないという署名まである。これは詳しく調べなければなるまい」
そして、側近に命じた。
「明日、グランツ公爵を王宮へ呼べ。妹の財産について、私から直接話を聞く」
側近は命令を受け、すぐに準備を始めた。
エレオノーラは、その様子を見ながら、自分の問題がようやく前へ進み始めたことを感じていた。
アルベルトがどんな言い訳をするのかは分からない。
しかし、今度は夫に怒鳴られたからといって、黙って引き下がるつもりはなかった。
自分のお金を取り戻し、夫との婚姻を終わらせる。
エレオノーラは、そのために必要なことを最後までやり遂げようと決めていた。




