第4話(前編1)――「承認した覚えのない署名」
翌朝、レオンは護衛を連れて王都へ向かった。
エレオノーラから届いた手紙によれば、彼女の財産から多額の金が支払われていたという。しかも、その支払いを承認したことになっている書類には、本人の署名まであったらしい。
エレオノーラは署名した覚えがないと言っている。
もし誰かが勝手に彼女の名前を使ったのなら、単なる金銭問題では済まない。レオンは、まずエレオノーラに会い、詳しい事情を聞くことにした。
王都に到着したのは翌日の午後だった。
レオンは王宮へ向かう前に軍務局へ立ち寄り、サルヴィ商会による納入妨害事件について調査の進み具合を確かめた。
以前、ローデン領から王軍へ運ばれる鉄製品をすり替えようとした男たちが捕まっている。さらに、輸送用の荷車にも細工がされていたことが分かっていた。
捕らえられた男たちは商会の責任者から命令されたと認めていたが、その背後に誰がいるのかについては、まだ調査が続いているという。
「ローデン子爵、今回の事件では、あなたの領地から出荷された鉄製品に問題がなかったことは確認できています。王軍への納入も予定どおり完了しておりますので、その点はご安心ください」
軍務官の説明を聞き、レオンは礼を言った。
「ありがとうございます。ただ、誰が妨害を命じたのかは気になります。何か分かりましたら、知らせていただけると助かります」
「もちろんです。王軍の物資に手を出した事件ですから、こちらも見過ごすつもりはありません。商会の責任者についても、引き続き調べております」
レオンは軍務局をあとにし、王宮へ向かった。
◇ ◇ ◇
王宮の小応接室では、エレオノーラがレオンを待っていた。
侍女に案内されて部屋へ入ると、エレオノーラは椅子から立ち上がり、嬉しそうにレオンを迎えた。
「レオン、来てくれたのね。手紙を出してから、ずっとあなたに会いたかったの」
「私も心配していました。あなたが承認していないお金が使われたというのは、本当なんですか?」
「ええ。私が結婚する時に持ってきた財産から得られたお金が、知らないうちに公爵家の事業へ回されていたの。しかも、支払われた先がサルヴィ商会だったのよ」
エレオノーラは、持参した帳簿の控えを卓の上に広げた。
そこには、まとまった金額が2度にわたって支払われた記録があった。
「ずいぶん大きな金額ですね。公爵家では、いつもこんな支払いをしているんですか?」
「公爵家の仕事には多額のお金が必要だけれど、私の財産から出す場合は、必ず用途を説明してもらうことになっているの。今回は何も聞かされていないわ」
「それはおかしいですね。しかも、相手があのサルヴィ商会とは……」
「そうなの。だから家令に書類を見せるよう求めたのよ。ところが、私が承認したことになっていると言い出したの」
エレオノーラは腹立たしそうに帳簿を指した。
「私はそんな承認をしていないわ。それなのに、私の署名と印章があるというのよ。明日、ようやくその書類を見せてもらえることになったの」
レオンは彼女の説明を聞きながら考えた。
アルベルトが妻の財産を勝手に使っている可能性は高い。しかし、書類の原本を見ていない以上、誰が何をしたのかまでは分からなかった。
それなら、明日の出来事を占ってみる価値がある。
「エレオノーラ、少し占術を使ってみてもいいですか?」
「もちろんよ。何か分かることがあるの?」
「明日、あなたが書類を確認したあと、アルベルトに説明を求めたらどうなるのか調べてみたいんです。あの男が何をするつもりなのか、先に分かれば準備できますからね」
「それは助かるわ。でも、未来が必ず占いどおりになるとは限らないのでしょう?」
「ええ。だから、危険なことが見えたら、それを防ぐために使うんです。未来を知っていて、わざわざ困るような目に遭う必要はありませんから」
レオンは、翌日エレオノーラがアルベルトに書類を見せ、説明を求める場面を思い浮かべて占術を使った。
しばらくすると、視界に公爵邸の一室が現れた。
そこにはエレオノーラとアルベルトがいた。
アルベルトは顔を真っ赤にして怒鳴っている。卓の上には何枚かの書類が置かれており、エレオノーラは夫に向かって何かを説明していた。
突然、アルベルトが卓の上の紙をつかんだ。
そして、両手で引き裂いてしまった。
破れた紙を床へ投げ捨てると、アルベルトはエレオノーラを睨みつけた。
そこで光景が途切れた。
レオンは占術を終え、エレオノーラへ向き直った。
「面白いものが見えましたよ。明日、アルベルトが腹を立てて、あなたの目の前で書類を破り捨てるようです」
「まあ! 私のお金を勝手に使っておいて、今度は書類まで破るつもりなの?」
「占いで見えたのはそこまでです。ただ、大事な書類を破られたら困りますね。あの男には原本を渡さない方がよさそうです」
エレオノーラは少し考えてから、楽しそうに笑った。
「それなら簡単よ。明日、家令から書類を受け取ったら、まず写しを作らせるわ。本物は大切に保管して、アルベルトには写しだけ見せればいいのよ」
「それがいいですね。どれだけ怒って破いても、本物が残っていれば困りませんから」
「ふふっ。レオン、あなたの占いは本当に便利ね。相手が何をするのか先に分かるなんて、こんなに心強いことはないわ」
「ただし、実際にアルベルトと話すのはあなたです。私の占いで分かることには限界がありますからね」
「もちろん分かっているわ。私のお金のことですもの。自分ではっきりさせるつもりよ」
エレオノーラは帳簿を閉じ、レオンの手を握った。
「ありがとう。あなたが来てくれて安心したわ。明日は、あの人に遠慮せず言いたいことを言うつもりよ」
レオンは、その手を握り返した。
「私も、できることなら一緒に行きたいんですけどね」
「気持ちは嬉しいわ。でも、今回は私だけで話す方がいいと思うの。あなたがいたら、アルベルトはきっと余計なことを言い出すでしょう?」
「確かに、あの男なら私がいることを理由に、金の話をそらしかねませんね」
「それに、いつまでもあなたに頼りきりではいられないわ。公爵夫人として、自分の財産くらい自分で守らなくてはね」
レオンは、彼女の顔を見て笑った。
「そういうところが好きなんですよ。あなたは自分の考えをしっかり持っている女性ですから」
「まあ、レオンったら。そんなことを言われたら、明日はもっと頑張らなくてはならないわね」
エレオノーラは嬉しそうに笑い、レオンの手を離した。
◇ ◇ ◇
翌日の午前、グランツ公爵邸。
エレオノーラの私室へ、家令と財務担当者が書類を持ってきた。
「奥様、お申し付けの書類をお持ちいたしました。こちらがサルヴィ商会への支出を記したものでございます」
家令は卓の上に何枚かの紙を並べた。
エレオノーラは順番に目を通した。
確かに、サルヴィ商会へ多額の金が支払われている。しかも、詳しく確認してみると、最初に見た帳簿の控えよりも支払いの総額が大きかった。
「これだけのお金を、一体何に使ったのですか?」
「運送に関する費用と、事業の準備金でございます」
「何を運ぶためのお金だったのか、分かっているのでしょうね?」
「それにつきましては、公爵様がお進めになっている事業と伺っております。詳しい内容までは、私どもには分かりかねます」
エレオノーラは呆れた。
「こんなに大きなお金を支払っておいて、何に使ったのか分からないというの?」
家令は返事に困った。
エレオノーラは次の書類へ目を移した。
そこには、本人が支払いを承認したという記載があり、エレオノーラの署名まで書かれていた。公爵夫人の印章も押されている。
しかし、その署名を見た瞬間、エレオノーラは不審に思った。
自分が書いた字とは少し違う。それに、何よりこんな書類に署名した覚えがない。
「家令、この署名は私のものではありません」
「奥様、そのようなはずは……」
「私は、この書類を見たこともありません。もちろん、署名した覚えもないわ。誰がこれを書いたのか調べてください」
家令は困り果てた様子で財務担当者を見た。
しかし、財務担当者も署名された場面には立ち会っていなかった。
「奥様、私どもは正式な書類として受け取ったのでございます。まさか偽物だとは思いませんでした」
「それなら、誰から受け取ったのか調べればいいでしょう。私が署名したというのであれば、その書類を私のところへ持ってきた人がいるはずよ」
家令は頭を下げた。
「承知いたしました。改めて確認いたします」




