第2話(中編2)――「男になっても弟子は弟子」
レオンは目の前の老人を見つめたまま、勧められた椅子へ座ることも忘れていた。
白髪の混じった髪も、少し日に焼けた顔も、茶碗を持つ手つきも覚えている。日本で働いていた占い店の主人と同じ姿だったが、ここはローデン領の迷宮地下10階である。日本にいるはずの老人が、どうしてこんな場所にいるのか。
老人はレオンの驚いた顔を見て、面白そうに笑った。
「何をそんなに驚いておる。せっかく来たんだから、座って茶でも飲んでいけ。立派な服を着ているが、ずいぶん若返ったじゃないか」
「爺さん……本当に爺さんなのか? 日本で占い店をやっていた、あの爺さんだよな?」
「ほかに誰がいる。わしの顔を忘れたのかと思ったぞ。まあ、お前の顔の方がよほど変わっているがな」
「そりゃあ変わるだろう。こっちは男になっているんだぞ。それに、私が誰だか分かっているような話し方をしているけど、どうしてなんだ?」
老人は茶碗を卓へ置き、レオンの顔から服装、腰に下げた剣へと視線を移した。
「なるほど、見事に男になったものだな。背も高いし、顔立ちも悪くない。おまけに、身なりからすると金にも困っておらんらしい。昔のお前からは想像もできんな」
「感心している場合じゃないだろう。爺さんが本当に私の知っている人なら、昔の私の名前を言ってみてくれよ」
老人は呆れたように笑った。
「高瀬真理子。日本では48歳だった。離婚してから仕事を転々として、ようやくわしの店に来た女だ。最初は受付と掃除だけのつもりだったくせに、占いを教えてみたら案外筋がよかった。客の話を聞くのは上手だったが、覚えたばかりのカードを使う時には、いつも難しい顔をしておったな」
レオンは返事ができなかった。
老人は名前ばかりか、店で働き始めたころの事情まで覚えていた。もちろん、その話し方も前世で聞き慣れたものと変わらない。
「本当に爺さんなんだな……」
「まだ疑うか。なら、ほかの者が知らん話をしてやろう」
老人は卓に置かれたタロットカードを手に取り、何枚かをめくってから、黒い鎧をまとった骸骨が描かれたカードを抜き出した。
「お前が占いを覚え始めたころ、店の休みの日に練習をしたことがあったな。わしが客の役をやって、お前に将来を占わせた。ところが、お前はこのカードを引いた途端、顔色を変えおった」
老人が見せたのは「死神」のカードだった。
レオンはその絵柄を見て、懐かしい失敗を思い出した。
「あれは、まだカードの意味をろくに覚えていなかったころだろう。爺さんが死ぬんじゃないかと思って、慌てたんだよ」
「そうとも。それでお前は、わしに見せる前にカードを裏返して、なかったことにしようとした。わしが気付いて問い詰めたら、『このカードは縁起が悪いから、店では使わない方がいいんじゃありませんか』と言い出したんだ」
「そこまで覚えていなくてもいいだろう!」
老人は声を上げて笑った。
「わしは、死神のカードが必ずしも人の死を意味するわけではなく、物事の終わりや新しい始まりを表すこともあると教えた。そうしたらお前、安心した途端に『それなら最初から死神なんて名前にしなければいいのに』と文句を言い始めたじゃないか」
「だって、占いを覚えたばかりの人間には、あの絵柄は怖いんだよ。よりによって爺さんの将来を占っている時に出てきたんだからな」
レオンもとうとう笑ってしまった。
あの日は店の休業日で、2人だけで占いの練習をしていた。他人に聞かせたことのない失敗談まで覚えているのだから、目の前の老人が本人であることは間違いなかった。
「まったく、爺さんにはかなわないな。あんな失敗をしたことまで覚えているなんて」
「弟子の失敗を忘れる師匠がどこにおる。それに、お前は妙に心配性だったからな。客へ悪い結果を伝える時にも、どう言えば相手を傷つけずに済むか、いつも考え込んでおった」
老人は死神のカードを束へ戻し、レオンの前に茶碗を置いた。
「もっとも、顔を見ただけで真理子だと分かったわけではないぞ。扉が開く前に、誰かが訪ねてくる気配があったので占ってみたんだ。昔の弟子に関わる結果が出たから、あの『愚者』のカードを見えるところへ置いておいた。お前が来た時は、もしやと思ったが、まさか男になっているとはな」
「そうだったのか。私もあのカードを見つけなければ、こんな場所に日本と関係のあるものがあるなんて思わなかったよ」
「お互い、随分変わったところで再会したものだな。まあ、昔話はそれくらいにして、今度はお前の話を聞かせてもらおうか。立派な若者になったようだが、何があったんだ?」
レオンはようやく椅子に腰を下ろし、勧められた茶に手を伸ばした。
口に含むと、日本で飲んでいた緑茶に似た香りが広がった。
「爺さん、これ、日本のお茶じゃないのか?」
「似たような葉が手に入るんだ。少し味は違うが、飲み慣れれば悪くないぞ。それより、今のお前は何歳になった?」
「18歳だよ。こっちへ来た時は16歳だった。気が付いたら、貧しい士族の倅になっていたんだ」
「48歳から16歳とは、随分思い切って若返ったものだな。しかも男か。わしが占いでそんな結果を出したら、昔のお前なら信用せんかっただろう」
「当たり前だよ。私だって、こんなことになるとは考えもしなかったんだからな」
レオンは茶碗を置き、改めて老人を見た。
「でも、爺さんこそ、どうしてここにいるんだ? 日本で占い店をやっていたはずだろう。私と同じように、この世界へ転生したのか?」
老人はしばらく考えてから答えた。
「お前とは少し事情が違う。わしは以前から、世界の境というものに関心があったんだ。占いを長く続けているうちに、普通の人間には説明しにくい出来事にも何度か出くわした。そして、ある時、実際に別の世界へ渡ったことがある」
「爺さんは、自分の意思で日本からここへ来たのか?」
「最初から思いどおりに行けたわけではないぞ。むしろ、何も分からず苦労したことの方が多い。今も自由自在に行き来できるわけじゃないし、この扉の仕組みをすべて理解しているわけでもない」
老人は部屋の入口へ目を向けた。
「ただ、世界の境を越える道が存在することは知っている。あの扉も、その1つだ。どういう条件で開くのか、わしにも分からんことがある。お前はどうやって入ってきた?」
「占術で開く時刻を調べたんだ。最初は何も見えなかったけど、日時を絞って占ったら、今日の夕方に扉が開くところが見えた。それで昨日から待っていたんだよ」
老人は感心したようにレオンを見た。
「なるほど。昔は死神のカード1枚で大騒ぎしていた女が、今では未来の光景まで見られるようになったのか。そいつは大したものだ」
「こっちへ来てからは、占いが以前とはまるで違うものになったんだ。カードを使わなくても、未来の出来事が映像で見えることがある。それだけじゃなく、占いが的中すると新しい能力を覚えたり、持っている能力が強くなったりするんだ」
「そいつは面白いな。わしが教えた占いとは、随分違うものになっているらしい。どうやってそんな力を身につけたのか、詳しく聞かせてもらおうじゃないか」
老人は椅子へ座り直し、レオンの話を聞くことにした。




