第2話(中編1)――「扉の奥にいた老人」
翌日の午後、レオンは予定どおり迷宮へ向かった。
今回は大人数を連れていく必要はないと判断し、護衛の隊長と数人の兵、それに鉱山技師だけを伴った。
地下10階では前日の指示が守られ、石壁の周囲の採掘は中断されていた。通路には見張りの兵が配置され、関係者以外は近づかないようにしてある。
レオンが石壁を確かめると、前日と変わったところは見当たらなかった。中央の継ぎ目は閉じたままで、取っ手や鍵穴らしいものもない。右側の細い隙間からのぞいてみると、木の卓とカードが昨日と同じ位置に置かれていた。
鉱山技師は前日から石壁が動いた形跡はなく、周囲の岩盤にも新しい亀裂は見つかっていないと説明した。
「見張りの兵にも確かめましたが、昨夜から今まで異常な音や揺れはなかったそうです。石壁の状態も変わっておりません」
「分かった。占いでは夕方に開くようだったから、もう少し待ってみよう。動き始めた時に何が起きるか分からないし、全員、壁から離れていてくれ」
地下10階では地上の明るさが分からないため、迷宮入口から伝えられる時刻と守備隊の交代予定を目安にしていた。地上では、そろそろ日が傾き始めるころだという。
レオンは扉の正面から離れ、護衛たちとともに待機した。
しばらくしても変化はなかったが、占術で見た光景には、誰かが扉を操作する様子は映っていなかった。今は無理に触れず、石壁が動き始めるかどうかを確かめる方がよい。
護衛の1人が壁の近くへ進もうとしたため、レオンは不用意に近づかないよう注意した。
「左右へ開くとしても、動き始めてからどうなるのかまでは見えていないんだ。壁の前に立っていたら危ないかもしれないから、ここで待っていてくれ」
護衛たちはさらに距離を取り、鉱山技師も道具を持って後ろへ下がった。
地上から夕方の交代時刻を知らせる連絡が届いたあとも、しばらくは何も起きなかった。鉱山技師がレオンへ声をかけようとした時、石壁の奥から、重いものが擦れ合うような音が聞こえた。
全員が顔を向けると、中央の継ぎ目から細かな砂が落ち始めていた。続いて左右の石がわずかに動き、今までほとんど見えなかった境目が少しずつ広がっていく。
「子爵様、本当に動き始めました! 誰も触れていないのに、石壁が左右へ開いていきます!」
鉱山技師は驚きながらも、石の動きを確かめようと身を乗り出した。レオンはその場から動かないよう指示し、自分も石壁の様子を注意深く見守った。
左右の石は一定の速さで移動していた。岩盤の中へ収まっていくように見えるが、周囲の岩が崩れたり、新たな亀裂が入ったりする様子はない。
やがて人が通れるほどの隙間ができると、向こう側に部屋が現れた。
レオンは、前日の占術で見たとおりに扉が開いたことを確かめた。
その時、視界に淡い文字が浮かび上がった。
《占術が的中しました》
《天命が1つ満たされました》
《身体適応が進みます》
《能力【探索Ⅰ】が【探索Ⅱ】へ強化されました》
レオンは表示された内容を確認した。今度は【探索Ⅰ】が【探索Ⅱ】へ強化されたらしい。
以前の能力でも魔物の足跡や壁の傷などを見つけやすくなっていたが、今はそれに加え、通路の構造や石の組み合わせについても、以前より細かな違いを見分けられるようになっていた。
試しに扉の周囲を調べると、左右へ動いた石が岩盤の中に隠された溝へ収まっていることが分かった。床と壁の境目も正確に加工されており、石が擦れて欠けた部分はほとんど見当たらない。
ただし、これほど大きな石を何の力で動かしているのかまでは分からなかった。
「よくできた仕組みだな。石がどこへ動いているのかは分かるけど、何が動かしているのか見当もつかないよ」
レオンが話すと、鉱山技師も興味深そうに扉の構造を眺めた。
「これだけ大きな石を動かすのでしたら、普通は何人もの力が必要でございます。それなのに取っ手も綱もなく、誰も触れていないのに動くとは驚きました。私には、どのように造られたものなのか分かりません」
「中を調べれば何か分かるかもしれない。ただし、まだ安全だとは言えないから、ここで待っていてくれ。扉の仕組みについては、あとで改めて調べよう」
レオンは開いた扉の向こうへ目を向けた。
入口から見える範囲には木の卓と椅子があり、その奥には本棚らしい家具も並んでいる。床は平らで、明らかな障害物や罠らしいものは見当たらなかった。
【魔物察知Ⅱ】にも反応はないが、人間がいるかどうかまでは、その能力で判断できない。部屋の奥に誰かが隠れている可能性もあるため、レオンは警戒を緩めなかった。
「隊長、兵たちは入口を守っていてくれ。私が先に中を確認する。もし扉が閉まり始めたら、無理に追いかけず、この場所で待機するんだ」
「子爵様お1人では危険ではございませんか。向こう側に何があるのか分からない以上、せめて私も同行させていただきたいのですが」
「心配してくれるのはありがたいけど、部屋の中まで何人も入って、突然扉が閉まったら困るだろう。まずは私が入口の近くを調べてみるよ。危険がありそうなら、無理をせず戻ってくる」
隊長はなおも気遣わしそうだったが、レオンの指示を了承した。兵たちは扉の左右に分かれ、必要があればすぐに動けるよう待機する。
レオンは剣を携えたまま、開いた扉をくぐった。
◇ ◇ ◇
扉の向こうは、迷宮の岩壁とはまるで違う造りになっていた。
床は平らで、壁にも岩肌が露出した部分はない。天井には淡い光を放つ部分があり、松明を持ち込まなくても部屋の中を見渡せるほど明るかった。
入口から少し進んだところには木製の卓と椅子が置かれ、壁際には本棚が並んでいた。棚には大小さまざまな本が収められているが、背表紙に書かれた文字までは、まだよく見えない。
レオンはまず扉の内側を確かめ、足元や壁に異常がないことを確認した。それから入口の方へ振り返り、護衛たちが待機しているのを見て、さらに室内へ進んだ。
卓の上には、昨日レオンが隙間からのぞいたタロットカードがあった。
木箱に立てかけられた「愚者」のカードは、前世の占い店で使っていたものと同じ絵柄である。隣には何枚ものカードを重ねた束があり、そのそばには陶器の茶器も置かれていた。
ここまで近づいて見ると、迷宮の地下10階にあるとは思えないほど、家具も道具も普段の生活に使われているような様子だった。特に木製の卓と茶器は、前世の日本で見慣れたものによく似ている。
レオンは卓に触れず、周囲を見渡した。
誰かがこの部屋を使っているのだろうか。そうであれば、いったいどのような人物が、これほど深い迷宮の中で暮らしているのか。
警戒しながら奥へ進もうとした時、本棚の向こうから声が聞こえた。
「入ってきたのなら、そんなところに立っていないで、こっちへ来たらどうだ」
レオンは足を止め、声のした方を見た。
本棚の向こうにも卓があり、そこに1人の老人が座っていた。
白髪の混じった髪を後ろへなでつけ、古びた上着を着ている。老人は茶碗を手にしたまま、入口から入ってきたレオンを眺めていた。
その顔を見た瞬間、レオンは驚いた。
前世で48歳だったころ、真理子が働いていた占い店の主人にそっくりだったのである。
顔だけでなく、話し方も覚えている。客がいない時には茶を飲みながら冗談を言い、占いを間違えた真理子には遠慮なく注意してきた、あの老人と同じだった。
レオンは、思わず相手の顔を見つめた。
日本の占い店で世話になった老人が、なぜ異世界の迷宮にいるのだろうか。そもそも、老人までこちらの世界へ来ているというのなら、自分と同じように転生したのか、それとも別の方法があるのか。
聞きたいことはいくつも浮かんだが、あまりに意外な再会だったため、すぐには言葉が出てこなかった。
老人は立ち尽くすレオンを眺め、楽しそうに笑った。
「ずいぶん立派な格好で来たじゃないか。まあ、そこへ座れ」
レオンは老人に勧められた椅子へ目を向けたが、すぐには動けなかった。
聞き覚えのある声と、昔と変わらない話し方だった。
目の前に座っているのは、前世の高瀬真理子に占いを教えてくれた、あの店主としか思えなかった。




