第2話(後編)――「妹に肉を」
4月下旬になると、リナは食事のたびに兄の顔を気にするようになった。
何も言わなくても理由は分かっている。腹いっぱい肉を食わせると約束したのに、まだ果たしていなかったからだ。
朝食の席で、レオンは何度もこちらを見る妹に声を掛けた。
「そんなに見なくても、肉の約束は忘れてないよ」
「私、何も言ってないよ」
「顔を見れば分かる」
「兄さんは占い師だから分かるの?」
「これは占わなくても分かる」
ゲオルグが2人のやり取りを聞いて笑い、エルザもスープをよそいながら息子に言った。
「約束したなら守りなさい」
「そのつもりだよ。今日は市場へ行ってくる」
ゲオルグが黒パンをちぎりながら尋ねた。
「今度は何をするつもりなんだ?」
「肉を安く買える店がないか占ってみる。失せ物も見つけられたし、薪を買う場所も分かったから、これも試してみたい」
「そんなことまで分かるのか?」
「やってみないと分からない」
失せ物の場所と、その日に値上がりする品は当てられた。ならば肉を安く買える場所を探すこともできるかもしれない。
レオンは市場へ行く前に、家の裏で占ってみた。
今日、肉を安く買える場所はどこか。
意識を集中すると、頭の中に赤い布と南門が浮かび、続いて豚肉を切る大きな包丁が見えた。差し込む光の強さから考えると、時刻は昼を過ぎたころらしい。
レオンは昼前に家を出て、南門へ向かった。
南門の周辺には、近隣の農村から直接品物を運び込む者が多い。中央市場ほど店の並びは整っておらず、道の両側に野菜、鶏、卵、革、木工品などを扱う露店が続いていた。
その中に、赤い布を軒先へ掛けた肉屋があった。
店へ近づくと、台の上にはいつもより多くの豚肉が並んでいる。
「今日は安いぞ。夕方まで残したくないんだ」
肉屋の主人が通行人へ声を掛けていた。
話を聞くと、近くの村から予定より多くの豚が持ち込まれたため、仕入れた肉をその日のうちにできるだけ売り切りたいらしい。この世界では生肉を何日も保存できない。夕方が近づくほど、売り手も値を下げざるを得なかった。
レオンは脂身の付いた豚肉を指した。
「これを家族4人分買いたいんだけど、いくらになる?」
主人が示した値段は、レオンの記憶にある普段の価格よりかなり安かった。
「これだけまとめて買うから、もう少しまけてもらえないか?」
「これでも十分安いぞ」
「夕方まで残ったら困るんだろ?」
「若いのに痛いところを突くな」
「こっちも金がないんだ」
主人は苦笑しながらも値引きに応じた。
レオンは市場で稼いだ金の一部を使い、家族4人が十分に食べられる量の豚肉を買った。
肉を布で包んでもらったところで、視界に文字が現れた。
《占術が的中しました》
《天命が1つ満たされました》
《身体適応が進みます》
《能力【短剣術Ⅰ】を獲得しました》
レオンは文字を見たあと、腰の辺りへ手をやった。
自分用の短剣はまだ持っていない。それなのに【短剣術Ⅰ】を得た途端、刃物をどう握り、相手との距離をどの程度取れば動きやすいのかが感覚として分かった。
前世では包丁を料理以外に使ったことなどない。それが今は、短い刃物を武器として扱う動きが身体の中に入っている。
「今度は武器か」
これまでに得た体力、握力、俊敏、腕力に続いて短剣術まで加わった。新しい能力は、レオンの身体を士族の男として戦える方向へ変えているようだった。
どの能力を得るかは自分では選べない。ただ、今のところ無駄になるものは1つもなかった。
家へ戻ると、玄関を開けたレオンが持つ包みを見て、リナがすぐに寄ってきた。
「兄さん、その包みは何?」
「母さんに開けてもらえ」
エルザが布をほどき、中の豚肉を見て目を見張った。
「こんなに買ってきたの?」
「安く買える店を占ったら当たった。全部使ったわけじゃないから、金もちゃんと残してあるよ」
家計を預かる母が最初に気にするのはそこだと思い、レオンは先に説明した。
「本当に占いでこんなことまで分かるのね」
「今のところは当たってる」
リナは母と兄の話より、包みの中の肉が気になるらしい。
「今日、これ全部食べる?」
「全部食べたら明日の分がなくなるでしょう」
エルザに止められると、リナは見るからに残念そうな顔をした。
「でも、今日はいつもより多めに焼きましょう。レオンが約束していたものね」
「やった!」
夕方になると、家の中に肉を焼く匂いが広がった。
エルザは豚肉を厚めに切り、少量の塩を振って鉄板で焼いた。脂が落ちるたびに音が立ち、普段は豆のスープの匂いが中心だった家に、焼けた肉の香りが満ちていく。
食卓には黒パンと豆のスープも並んだが、この日は1人ずつ十分な大きさの豚肉が皿に置かれた。
リナは待ちきれない様子で肉を切り、口へ運んだ。
「おいしい!」
「慌てて食べると喉につまるぞ」
レオンに注意され、リナは肉を噛みながら何度も頷いた。
ゲオルグも一口食べてから息子を見た。
「お前が稼いだ金で買った肉か」
「そうだよ」
「俺が16歳のころは、親に食わせてもらうことしか考えていなかったぞ」
「俺だって最初は肉が食いたかっただけだよ」
レオンは自分の皿の肉を切りながら答えた。
前世では、スーパーへ行けば豚肉は珍しい食べ物ではなかった。値引きされた肉を買って帰り、1人で焼いて酒のつまみにしたことも何度もある。
それが今では、家族4人で肉を食べるだけで食卓の空気がまるで違っている。
リナは大事に食べるつもりだったらしいが、皿の肉はすでに半分以上なくなっていた。エルザも普段よりよく食べ、ゲオルグは久しぶりに少量の酒まで出してきた。
自分で稼いだ金によって家族の暮らしを少し良くできたことは、前世で占いの客から礼を言われた時とは違う喜びだった。
食事が終わると、ゲオルグが息子を家の裏へ呼んだ。
「レオン、少し付き合え」
「剣の稽古か?」
「今日は短剣だ」
父は物置から練習用の短剣を持ち出した。
「お前は金を稼ぐことばかり考えているが、士族の男なら武器も扱えなければならん。そろそろ少しずつ教えるつもりだった」
レオンは差し出された短剣を握ると、右足を少し引き、刃先を相手へ向けた。柄を強く握り込みすぎず、前後へすぐ動けるように腰を落とす。まだゲオルグから何も教わっていないのに、それが最も動きやすい構えだと身体で分かった。
その構えを見たゲオルグが眉を上げた。
「その構えは誰に教わった?」
「誰にも教わってないよ」
「なら、どこで覚えたんだ」
レオンは返答に困った。
占いが当たるたびに能力を得ていることまで、今のところ家族へ話すつもりはない。父には占いそのものだけでも十分に不思議がられている。
「短剣を持ったら、こう構えるのが動きやすい気がしたんだ」
「気がしただけで、その構えになるものではないんだがな」
ゲオルグは短剣を一度受け取り、改めて持ち方や足の位置を説明した。その後、簡単な突き方と避け方を教えたが、レオンは父の動きを見ればかなり正確に再現できた。
何度か稽古を続けたあと、ゲオルグは短剣を受け取った。
「占いだけかと思っていたが、お前は武器の方も見込みがありそうだ」
「そう見える?」
「ああ。明日から少し本気で教える。途中で嫌になったと言って逃げるなよ」
「分かったよ」
家へ戻っていく父を見送りながら、レオンは自分の手を確かめた。
異世界へ来たばかりのころは、16歳の身体を借り物のように感じていた。それが1か月ほどの間に体力と力が増し、足の動きも速くなり、短剣を握っても以前ほど違和感を覚えなくなっている。
家の中からは、明日も残った肉を食べられると喜ぶリナの声が聞こえてきた。
レオンはその声を聞きながら、占いで家族を食わせるという最初の目標が、少しずつ形になり始めたことを実感していた。




