第7話(後編)――「公爵夫人が頼る男」
グランツ公爵邸の工事は、北側の雨水対策から始めた。
傷んだ雨樋を直し、集めた水を排水路へ流して建物から離す。基礎の近くには石と砂利を入れ、水が壁際に溜まりにくいよう地面の高さも調整した。
地下室には換気口を増やし、湿りやすい壁には石灰を使った仕上げを試した。
台所の煙突は中に溜まった煤を掃除したうえで高さを増し、煙を引きやすくした。
公爵夫妻には目立たない場所ばかりだったが、使用人の反応は早かった。
「風向きが変わっても、煙が前ほど戻ってきません」
料理人にそう言われ、レオンは洗濯場や使用人の寝室についても困っていることを聞かせた。
大きな屋敷で快適に暮らすには、客間だけを立派にしても意味がない。厨房や貯蔵室で働く者の仕事が楽になれば、公爵家にとっても得になる。
西棟では、地下を使う換気設備の工事を進めた。
前世ではアースチューブと呼ばれていた仕組みである。
庭の木陰へ雨除け付きの吸気口を作り、金網と交換できる布を取り付ける。そこから太い鉄管を地下およそ3メートルまで下げ、庭の下を通して西棟へ伸ばした。
管にはわずかな勾配を付け、一番低い場所に結露した水を集める枡を設けた。地上から開けられる点検口も作り、水抜きや掃除ができるようにしてある。
室内側では床近くから空気を入れ、暖まった空気を外へ出す排気筒を屋根より高い位置まで伸ばした。
夏の日中は、日を受けた排気筒の中で空気が暖まり、上へ抜ける。その力で地下管から空気を引き込む。風がある日なら、屋根の上を流れる風も排気を助ける。
冬は暖炉や煙突による上昇気流も使える。
現代の送風機ほど強く空気を動かせるわけではないが、2部屋で試す規模なら十分だった。
鉄管にはかなりの費用が掛かった。
レオンの領地で一般の住宅へ広げる場合は、粘土から作った陶管を使えるか試すつもりでいる。うまくいけば鉄を大量に使わずに済む。
工事が終わったのは6月下旬だった。
その日は朝から晴れ、昼過ぎには庭に立っているだけで汗が出た。
レオンはエレオノーラと侍女たちを西棟の応接室へ案内した。
「今日は窓を全部開けずに試します。地下管の吸気口と、屋根へ抜ける排気筒を使います」
しばらく待つと、床近くの通気口からゆっくり空気が入り始めた。
エレオノーラが手をかざした。
「外の風より涼しいですね」
「庭から入った空気が、地下を通ってきています」
侍女が庭へ出て確かめてから戻ってきた。
「外はかなり暑いです。こちらへ入ってくる空気の方が涼しいです」
氷室から取り出した空気のように冷たいわけではない。
それでも窓から暑い外気を直接入れる場合とは違った。
西日の当たる窓には外側の日除けも設けているため、午後になっても以前ほど室温は上がらなかった。
「冬にもこの管を使えるのですよね?」
エレオノーラが尋ねた。
「使えます。冬は冷たい外気が地下を通る間に少し暖まります。それを暖炉のある部屋へ入れれば、外気を直接取り込むより暖房の負担を減らせます。ただ、本当の効果は冬になってから確かめます」
「夏だけでも、これなら十分です」
エレオノーラは満足そうに部屋を見回した。
「アルベルトは、古い屋敷なのだから暑さも寒さも仕方がないと言っていました」
レオンはアルベルトを批判しなかった。
「古い建物でも、手を入れれば良くなる場所はありますよ」
「あなたは、直せるところを見つけるのが好きなのですね」
「使える物を使わないのが嫌いなんです。建物でも領地でも同じですよ」
エレオノーラが笑った。
以前より話しやすくなっているのは、レオンにも分かった。
数日後、今度は彼女の方から東側の客室について相談された。
「冬になると、あちらの部屋がとても寒くなるのです。地下の管を増やせばよいでしょうか?」
「先に窓と壁を調べます。隙間から風が入っているなら、そちらを直す方が早くて安いです」
「では、一度見ていただけますか?」
「構いませんよ」
エレオノーラが自分から相談するようになったことは、レオンにとって悪い変化ではなかった。
だからといって、ここで急いで距離を縮めるつもりもない。
相手はアルベルトの正妻であり、国王の妹でもある。最初から下心を見せれば、警戒されて終わるだけだった。
ならば先に信頼を得た方がよい。
屋敷で困ったことが起きた時、相談相手の1人として自然にレオンを思い出す。それが続けば、いずれ話す内容も建物だけではなくなるかもしれない。
今はその程度で十分だった。
◇ ◇ ◇
公爵邸の改修は、思わぬところから新しい仕事にもつながった。
エレオノーラを訪ねた貴族夫人たちが西棟で過ごし、真夏でも外より涼しい空気が入ってくることに気付いたのである。
仕組みを知りたがる者が増え、1週間ほどで4つの貴族家から、自分たちの屋敷も見てほしいという依頼が届いた。
「公爵家は試験工事だったので利益を取りませんでしたが、次からはきちんと料金を取ります」
王都で報告を受けた管理官が笑った。
「やはり商売になりましたな」
「職人にも給金が要ります。それに、領地で作った石灰や煉瓦、陶管まで使えるようになれば、仕事の大部分をこちらで受けられます」
迷宮から採った資源をそのまま売るだけではなく、加工し、職人の技術と組み合わせて売る。
その方が領内に残る仕事も金も増える。
レオンは陶管を使ったアースチューブの試作も始めるよう、領地へ指示を出した。
数日後、地方から公爵邸へ戻ったアルベルトは、西棟と庭の変化に気付いた。
「庭を掘ったのは何の工事だ?」
「ローデン男爵にお願いしたの」
エレオノーラは西棟で使い始めた仕組みを説明した。
「庭から入れた空気を地下へ通してから部屋へ入れるのよ。西側の部屋がずいぶん過ごしやすくなったわ。地下室の湿気と台所の煙も見てもらったの」
アルベルトの顔から笑みが消えた。
「レオン・ローデンを、この屋敷へ入れたのか?」
「私がお願いしました」
「ほかにも建築に詳しい者はいるだろう。わざわざあの男へ頼む必要はない」
エレオノーラは夫を見た。
「でも、本当に良くなったのよ」
アルベルトが眉を寄せた。
「使用人たちも喜んでいます。費用も最初に聞いた範囲でしたし、ほかのお屋敷の方まで見に来ています。私は頼んでよかったと思っています」
エレオノーラは国王の妹である。
夫が不満を示したからといって、自分が正しいと思ったことまで簡単に引っ込める立場でも性格でもなかった。
「今後は、勝手にあの男を屋敷へ入れるな」
「東側の客室も見てもらう約束をしています」
「断れ」
「理由もなく断るつもりはありません」
アルベルトは黙った。
エレオノーラがレオンを庇ったことも気に入らなかったが、それ以上に、妻が自分の命令を当然のように拒んだことが面白くなかった。
そのやり取りを、レオンは知らない。
翌朝、公爵邸から1通の手紙が届いた。
東側の客室について相談したいので、都合のよい日にもう一度来てほしいと、エレオノーラ自身の名で書かれている。
レオンは手紙を読み終えると、訪問できる日を返事するよう使用人へ伝えた。
公爵夫人との関係を変えるには、まだ時間がある。
今はアルベルトが嫌がっているにもかかわらず、エレオノーラの方からもう一度レオンを屋敷へ呼んだ。
それだけで十分だった。




