第2話(前編)――「銀の耳飾り」
4月に入ると、ハルベル伯爵領の町にも春らしい暖かさが戻ってきた。冬の間に凍っていた道は乾き始め、市場には近隣の農村から野菜や卵、薪を積んだ荷車が集まっている。
レオンは母のエルザと一緒に市場へ出た。
異世界へ来てから1か月近くが過ぎ、16歳の少年の身体で暮らすことにもだいぶ慣れている。【体力Ⅰ】と【握力Ⅰ】を得たこともあり、家から市場まで歩いても疲れず、エルザが買った野菜の袋も苦労せず持てるようになった。
それでも、ローデン家に金がないことは変わらない。
エルザは何軒もの店を回り、銅貨1枚でも安い品を探していた。パンを買う時も大きさと値段を比べ、隣の店まで見てからようやく1つを選んだ。
「母さん、店によってそんなに違うのか?」
「少しずつでも違うわ。毎日使うお金だから、1か月も続けば大きな差になるのよ」
その感覚はレオンにもよく分かった。前世ではスーパーの値引き時間を待ったこともあれば、特売日に洗剤や米をまとめて買ったこともある。収入が少ないほど、わずかな値段の差も馬鹿にはできない。
「俺もそろそろ何か稼がないとな」
「本当に占いで稼ぐつもりなの?」
「そのつもりだけど、今の俺に金を払ってくれる人がいるかどうかだな」
エルザは否定しなかった。
家族にはすでに2度、占いが当たるところを見せている。しかし市場の人間から見れば、レオンは貧しい士族の16歳の倅にすぎない。道端で占い師を名乗ったところで、すぐに客が付くとは思えなかった。
前世の占い店では店そのものに信用があり、経営者が客を集めてくれた。自分で一から商売を始めるなら、まずは他人にも分かる実績が必要になる。
どうすればよいか考えながら歩いていると、市場の中央付近に人だかりができていた。
「この辺に落としたはずなのよ。もう一度よく見てちょうだい」
40歳前後の女が、荷車の周囲を探していた。服や身に着けている物を見る限り、暮らしには余裕がありそうである。付き添いの若い女も、野菜籠の下や車輪の周りを調べていた。
エルザと顔見知りらしい八百屋の主人が事情を教えてくれた。
「布屋の奥さんが耳飾りをなくしたんだ。銀製らしい」
布屋の妻を見ると、左耳には銀色の耳飾りが付いているが、右耳には何もない。市場へ来てから片方を落としたらしい。
レオンは少し考えてからエルザに声を掛けた。
「母さん、俺が探してみてもいいか?」
「占うの?」
「ああ。見つからなかったとしても、今より悪くなるわけじゃない」
「それはそうだけど、相手に失礼な言い方はしないのよ」
「分かってる」
エルザも止めはしなかった。
レオンは人の輪へ入り、布屋の妻に声を掛けた。
「銀の耳飾りを探しているんですよね?」
「そうなの。ここへ来た時には付けていたはずなんだけど、いつの間にかなくなっていてね」
「俺が見つけたら、少しだけ礼をもらってもいいですか?」
女はレオンの顔と着ている服を見たあと、少し笑った。
「本当に見つけてくれるなら、銅貨5枚あげるよ。みんなで探しても見つからないから、簡単ではないと思うけどね」
「それで十分です」
後ろにいたエルザが心配そうに息子の袖を引いた。
「本当に分かりそうなの?」
「やってみるよ」
レオンは布屋の妻から、最後に耳飾りを確認した場所と、その後に歩いた道を聞いた。それから頭の中で、銀の耳飾りがどこにあるのかを問い掛けた。
家で占った時とは違い、市場はひどく騒がしい。商人の呼び声が飛び交い、荷車の車輪が石を踏む音や家畜の鳴き声まで重なっている。焼いたパンや干し草、馬や豚の匂いも混じり、意識を集中させるまで少し時間がかかった。
やがて頭の中に、大きな荷車の車輪が浮かんだ。その脇には木箱があり、箱の縁から青い葉がはみ出している。
レオンは目を開け、周囲を見回した。
「野菜を積んだ荷車の辺りだと思う。探してみる」
何台か並ぶ荷車の中に、葉物野菜を詰めた木箱を積んだものがあった。
レオンは車輪の横へしゃがみ込み、泥と藁の間を探した。荷車の内側へ手を伸ばすと、指先に硬い物が触れる。
「これじゃないですか?」
拾い上げた物を見せると、布屋の妻がすぐに駆け寄ってきた。
「それよ! 間違いないわ」
銀の耳飾りだった。
女は受け取って傷がないことを確かめると、約束した銅貨5枚をレオンへ渡した。
「助かったわ。でも、どうしてあそこにあると分かったの?」
「占ったんです。まだ自分でも、どこまで分かるのか試しているところですけど」
「占いで失せ物まで見つけられるのね」
女は不思議そうにレオンを見たものの、なくした耳飾りが戻った喜びの方が大きかったらしく、それ以上は問い詰めなかった。
レオンが銅貨を受け取ると、見慣れ始めた文字が視界に浮かんだ。
《占術が的中しました》
《天命が1つ満たされました》
《身体適応が進みます》
《能力【俊敏Ⅰ】を獲得しました》
文字が消れたあと、人混みを歩いてみると、身体の向きを変える時の反応が以前より速くなっていた。正面から来る人を避けても足がもつれず、狭い隙間を抜ける時にも身体が自然に動く。
「今度は俊敏か」
そばにいたエルザが聞き返した。
「何か言った?」
「いや、何でもない。それより母さん、見てくれ」
レオンは銅貨5枚を手のひらへ載せた。
「あなたが稼いだお金でしょう。自分で持っていなさい」
「じゃあ、1枚だけ使ってもいいか?」
「何を買うの?」
レオンは先ほどエルザが値段を比べていたパン屋へ行き、銅貨1枚で小さな白いパンを買った。
半分に割って母へ渡そうとしたが、エルザは受け取る前に笑った。
「家へ持って帰れば、リナにも分けられるわよ」
「それもそうだな。じゃあ家族で食べよう」
2人は白いパンを布袋へ入れて持ち帰った。
家に着くと、リナは白いパンを見ただけで喜んだ。その日の夕食にはいつもの黒パンも並んだが、レオンが初めて稼いだ金で買った白いパンを家族4人で分けた。
1人分はわずかだった。それでも、自分で稼いだ金が食べ物に変わり、家族が喜んでいる。
何より、占いを使えば金を稼げると分かったことが、この日の一番の収穫だった。




