第3話(後編)――「ローデン男爵」
傷のあるオーガは、谷を抜けたあとも岩山の奥へ走り続けた。
身体には何本もの矢が刺さり、右脚からも血が流れている。それでも足は速く、岩の多い場所へ入られれば騎兵では追えなくなる。
「馬が走れる者だけ先へ出てください。転ぶほど無理に追う必要はありません!」
40人の騎兵が左右へ広がった。
レオンは逃げるオーガの先を見ながらブラウンを走らせた。
岩壁が曲がった先に、黒い洞穴が現れた。
入口は大きく、荷車が2台並んでも通れそうな幅がある。地面には何度も大きな足で踏まれた跡が残っていた。
オーガはそこへ入ろうとしている。
レオンは洞穴から少し離れた場所でブラウンを止め、馬を降りた。
「20人は一緒に来てください。残りは入口の周囲を押さえて、ほかの魔物が来たら近づけないようにしてください」
騎兵たちも馬を降り、槍と剣を持って進む。
頭目のオーガは、洞穴まであとわずかなところで振り返った。
このままでは逃げ込めないと判断したらしい。
地面から人間の頭より大きな石を拾い、こちらへ投げつけてきた。
「避けろ!」
石が兵の間を抜け、凍った地面へ激突した。
続いてオーガ自身が走ってくる。
「槍を構えろ! 正面で力比べをするな!」
兵が左右から槍を突き出した。
オーガは1本を腕で払い、別の槍を握って兵ごと引き寄せようとする。数人が横から槍を入れたため手を離したが、それでも勢いは止まらなかった。
レオンも剣を抜いて前へ出た。
近くで見る頭目は、想像していた以上に大きかった。太い腕をまともに受ければ、今の身体でも無事では済まない。
オーガが兵を振り払った直後、その腕がレオンへ向かった。
【危険察知Ⅱ】が先に危険を知らせる。
レオンは後ろへ飛び退かず、拳が通る線から横へ外れた。大きく振った腕の内側へ入り、両手で握った剣を右膝の裏へ振り下ろす。
刃が食い込み、オーガの右脚が崩れた。
片膝をついた巨体へ兵たちが槍を突き込む。
頭目はそれでも倒れず、レオンを掴もうと左腕を伸ばした。
その動きも見えていた。
レオンは腕の届く場所から外れ、右側へ回り込んだ。傷を負った脚では身体の向きを変えるのが遅い。
「今だ。槍で押さえてください!」
3本の槍がオーガの胴と腕へ入った。
頭目が槍を払おうとした隙に、レオンは首の横へ剣を振り下ろした。
最初の一撃で深く切れたが、まだ倒れない。
兵がもう一度槍を突き込んだところへ、レオンも同じ場所を狙って剣を入れた。
巨体が前へ傾き、地面へ倒れた。
すぐには近づかず、槍の穂先で動かないことを確かめる。
頭目はもう起き上がらなかった。
周囲の兵から声が上がった。
谷の方でも戦闘終了を知らせる角笛が鳴っている。
頭目を失った後、魔物の群れはまとまりを失った。森へ逃げた灰狼もいたが、多くは谷の中で倒され、オーガも頭目を含めて7体が討たれていた。
王国軍側にも死傷者は出た。死者は4人、負傷者は30人を超えている。
それでも600人を森の奥へ入れず、広い場所へ追い出してから戦ったことで、前回までの討伐とは違う結果になった。
百人隊長の1人が報告に来た。
「北の村への被害はありません。家畜も無事です。残った魔物は森へ散りました」
「追わなくて構いません。明るくなってから、巣や通り道を調べましょう。森の奥まで追い続ける必要はありません」
「承知しました」
その時、レオンの視界へ文字が現れた。
《占術が的中しました》
《天命が1つ満たされました》
《身体適応が進みます》
《能力【反射Ⅱ】を獲得しました》
頭目が岩山の洞穴を目指して逃げるという占いも、その通りになった。
【反射Ⅰ】が【反射Ⅱ】へ上がったことで、身体を動かすまでの感覚がさらに軽くなっている。先ほどのような近距離での戦いになれば、わずかな差が生死を分ける。
レオンは倒れたオーガを見た。
できれば、次からは能力を試すために同じ大きさの相手と殴り合うような真似はしたくなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝、レオンは猟師と兵50人を連れ、頭目が逃げ込もうとした洞穴を調べた。
入口には夜のうちに兵を置いていたが、中へ入った者はいない。
松明を持って進むと、通路は緩やかに地下へ下っていた。
奥からは冷たい風が流れてくる。壁の一部には自然に割れた岩とは違い、刃物か道具で削ったような平らな跡もあった。
年配の猟師が周囲を見た。
「入口は昔から知られています。ただ、村の人間は中へ入りません」
「魔物がいるからですか?」
「それもあります。昔、この中へ入った者が何人か戻らなかったと伝わっています。私が生まれるより前の話です」
レオンは松明の届かない奥を見た。
【魔物察知Ⅰ】が反応している。
距離までは分からないが、さらに地下に魔物がいることは間違いなかった。それも1体や2体ではない。
「今日は戻ります」
同行していた兵が奥を見た。
「調べなくてよいのですか?」
「50人しかいないのに、何がいるか分からない地下へ入る必要はありません。入口の位置と中の様子だけ記録して、王都へ報告します。調べるなら準備をしてからです」
「承知しました」
討伐の目的は、村を襲う魔物の群れを止めることだった。それはすでに果たしている。
ただしレオンは、洞穴のことを忘れるつもりはなかった。
頭目のオーガは、最後にここへ逃げ込もうとした。地下に何かがある可能性は高い。
外へ出ると、レオンは洞穴の位置を地図へ書き加えた。
◇ ◇ ◇
王都へ戻ったレオンは、王宮で国王へ討伐結果を報告した。
今回は軍務官だけでなく、数人の重臣も執務室へ集まっている。
国王はすでに現地から届いた報告書を読んでいた。
「600人を連れて行き、魔物を森から谷へ追い出して討ったそうだな」
「森の中では灰狼の方が動きやすいですから。600人いるのに、向こうが得意な場所で戦う必要はないと思いました」
「以前の討伐隊は、それをやって12人負傷している。お前は同じことをしなかったわけか」
「失敗した方法が分かっているなら、別の方法を試した方がいいでしょう」
「そのうえ、群れを率いていたオーガまで倒した」
「俺だけではありません。兵が槍で押さえてくれなければ危なかったです」
国王は報告書を閉じた。
「その兵たちへの褒賞も出す。だが今日は、お前自身への褒美もある」
重臣の1人が書類を持って前へ出た。
「レオン・ローデン。陛下の前へ」
呼ばれたレオンは姿勢を正し、国王の前まで進んだ。
「お前はハルベル伯爵家の士族として働き始めてから、軍務で続けて功績を挙げている。王都へ来てからも500人、今回は600人を任せ、それぞれ結果を出した」
国王は用意されていた文書へ手を置いた。
「これまでの功績を合わせ、本日よりレオン・ローデンを男爵に叙する」
レオンはさすがにすぐには答えられなかった。
「俺が男爵になるのですか?」
「そうだ。今日からレオン・ローデン男爵だ。要らぬというなら取り下げてもよいぞ」
「いえ、いただきます」
返事が早かったため、重臣の何人かが笑った。
国王も楽しそうに聞いた。
「少しくらい考えなくてよいのか?」
「爵位をいただけるのに断る理由がありません。それに、男爵になれば今までよりできることも増えるでしょう」
「金だけでなく地位にも欲が出てきたか」
「使えるものなら欲しいです」
「お前らしい答えだな」
国王は続いて別の地図を卓へ広げた。
「爵位だけを与えて終わりにはしない。男爵としての領地も与える」
今度はレオンも地図へ身を乗り出した。
「どこをいただけるのですか?」
「今回お前が守った4つの村と、その周囲の王領だ」
レオンが数日前まで歩いていた地域が、太い線で囲まれていた。農地だけではなく、森、牧草地、北側の岩山まで含まれている。
「かなり広いですね」
「広さだけならな」
国王の言い方に、レオンは事情を察した。
「つまり、収入はあまり多くない土地なんですね」
「耕地は少なく、道もよくない。4つの村を合わせても人口は約2,000人だ。山と森林が面積の多くを占め、冬には雪も降る。王領としての税収も高くない」
「だから今まで誰かの領地にしなかったのですか?」
「それだけが理由ではないが、欲しがる貴族が少なかったのは確かだ」
「魔物も出ますしね」
「その魔物を減らした本人が言うか」
レオンは地図の上を目で追った。
農地が少ないことも、道が悪いことも知っている。一方で、広い森林、小川、牧草地があり、山にはまだ調べられていない場所が多い。
そして北の岩山には、あの地下へ続く洞穴があった。
「陛下、境界の中にある森や山も俺の管理になるのでしょうか?」
「そうだ。木材や石材、地中から得られる鉱物についても、王国法で定める税を納める限り、領主であるお前が開発して構わん」
「北の洞穴も入りますか?」
「あれも境界内だ。古い記録には、あの一帯に迷宮があるという記述も残っているらしい。ただし王家でも詳しく調査したことはない」
レオンはもう一度地図を見た。
農業だけを考えれば豊かな領地とは言えない。
だが、森にも山にも何があるのか分かっていない。地下には魔物が住みつくほど大きな迷宮まである。
占術を使えば、何を育てるべきか、どこを開発すべきか調べられる。
「この領地、いただきます」
「先ほどの爵位よりうれしそうだな」
「今まで自分の家の借金を返すところから始めたんです。それが今度は、4つの村と山と森を持つことになるんでしょう。うれしくないわけがありません」
「領地は財産だが、同時に責任でもある。道が壊れれば直さねばならん。凶作になれば領民を食わせる方法を考え、魔物が出れば守るのも領主の仕事だ」
「分かっています。だったら、ちゃんと稼げる領地にします。領民も豊かになった方が、俺に入る税も増えるでしょう」
国王が笑った。
「普通なら、そこは立派な領主になると答えるものだ」
「領民が食えて、仕事が増えて、俺にも金が入るなら、その方が長く続きます」
「それも一理ある」
こうして17歳のレオン・ローデンは、士族の倅から男爵になった。
王宮を出る時には、叙爵を示す文書と、新しい領地の地図を持っていた。
4つの村しかない貧しい土地だと聞かされているが、何があり、何を育てれば金になるのかは十分に調べられていない。広い山と森林があり、その地下には王家さえ詳しく調べていない古い迷宮まで残っている。
レオンは地図を見ながら、次に現地へ行った時に調べる順番を考え始めた。
領地をもらった以上、貧しいままにしておくつもりはなかった。




