第8話(前編)――「自分の馬」
10月上旬、レオンは1人でハルベル伯爵家の城へ通うようになっていた。
以前はゲオルグと一緒に呼ばれることが多かったが、今は違う。占いで敵の動きを当てるだけでなく、剣や槍を使って実戦を経験し、兵を率いて武装集団の頭領まで捕らえたことで、伯爵家の者たちもレオンをゲオルグの息子としてではなく、1人の士族として扱うようになっている。
白岩坂から続いた一連の任務を終えたあと、レオンは報酬として受け取った銀貨50枚を家へ持ち帰った。エルザはそのうち30枚を家の金として受け取ったが、残る20枚は息子へ返した。
「これは自分のために使いなさい」
「家の方はもう大丈夫なのか?」
「借金は8月に返し終わったでしょう。冬に備えるお金も残してあるわ。それに、あなたが仕事へ出るたびに馬や剣を借り続けるわけにもいかないもの」
ゲオルグも妻の意見に賛成した。
「一人前の士族として仕事をするなら、自分の装備くらい持っておけ」
「父さんまでそう言うなら、今回は使わせてもらうよ」
「俺に言われる前に使え。いつまでも家のことばかり気にしていたら、仕事に必要な物まで揃わんぞ」
「前は家へ入れろと言っていたのに、今度は使えと言うのか?」
「借金が残っていて、家に金がなかったころの話だ。今とは事情が違う」
「それなら遠慮しないことにする」
レオンは以前から自分で残していた銀貨5枚も合わせ、25枚を自由に使えることになった。
最初に買うものは決まっていた。
馬である。
市場へ行くと、5月に馬の買い時を占った時の商人が、数頭の馬をつないだ一角にいた。
「久しぶりだな。最近は城の仕事ばかりしているそうじゃないか」
「市場にも来ているよ。今日は占いをしに来たんじゃない。客として馬を見に来た」
「とうとう自分の馬を買う気になったのか?」
「ああ。任務のたびに借りるのも面倒になってきた」
「それなら、今いる中から使えそうな馬を見せてやる」
商人は売りに出している馬を1頭ずつ見せた。
以前のレオンなら、馬を眺めてもどこが良いのかほとんど分からなかった。だが今は【乗馬Ⅰ】があり、実戦でも何度か馬を使っている。脚の太さや背中の形、歩かせた時の癖くらいなら、自分でも見られるようになっていた。
商人が鹿毛の去勢馬を指した。
「6歳だ。速さだけならもっと上がいるが、性格が落ち着いている。長く乗るつもりなら悪くない」
「値はどのくらいになるのか?」
「銀貨18枚だ」
「ずいぶん取るな」
「自分の馬を買うんだ。薪みたいに値切るな」
「同じ物なら安く買った方がいいだろ」
「そこは相変わらずだな」
商人が笑っていると、別の男が3頭の馬を連れてきた。
30歳ほどの見慣れない男だった。
「馬を探しているなら、こっちも見てくれ。急いで売りたいから安くするぞ」
商人は3頭を見回した。
「見ない馬だな。どこから連れてきたんだ?」
「北の方だ。少し事情があって、すぐ金に換えたい」
「3頭とも手放すつもりなのか?」
「ああ。まとめて買ってくれるなら、さらに安くしてもいい」
男が提示した値段は相場より安かった。
商人も興味を持ったようで、3頭の脚や口、背中を順番に調べた。それからレオンへ顔を向けた。
「せっかくだ。こいつらも占ってくれないか?」
「馬の良し悪しではなく、買って問題がないかを見ればいいのか?」
「そういうことだ」
馬を連れてきた男が嫌そうな顔をした。
「馬を買うのに占いまで使うのか?」
商人は気にしなかった。
「前にこいつの占いで、馬を銀貨6枚安く買えた。俺にとっては十分信用する理由になる」
「勝手にしろ」
レオンは3頭の馬と、目の前にいる男を意識して占った。
少しすると、頭の中に夕方の市場が浮かんだ。
灰色の髪をした中年の男が数人の兵を連れて現れ、3頭のうち栗毛の馬へ駆け寄っている。その一方で、馬を売りに来た男は市場の出口へ向かって走っていた。
レオンは占いを終えた。
「この3頭は買わない方がいい」
商人は馬を見回した。
「馬そのものに問題があるのか?」
「そうじゃない。この男から金を払って買うのがまずい」
馬を連れてきた男が声を荒らげた。
「どういう意味だ?」
「夕方まで待てば分かる。あんた、この3頭の持ち主じゃないだろ」
「ふざけるな!」
男は怒鳴ったが、商人は金を出そうとしなかった。
「悪いが、話がはっきりするまで金は払わん。本当にお前の馬なら、夕方まで残っていても困らないだろう」
「付き合っていられるか!」
男は3頭を連れて市場を離れようとした。
レオンは近くにいた市場の見張りへ声を掛けた。
「門にも知らせてくれ。この男は、ここで一度止めた方がいい」
「何か問題でも起きたのか?」
「盗まれた馬を売ろうとしている可能性がある」
その言葉を聞いた途端、男は馬の手綱を放して走り出した。
「逃げたぞ! 捕まえろ!」
見張りが声を上げた。
市場の出口にいた兵が追いかけ、男を取り押さえた。
逃げ出した時点で十分怪しかったが、夕方になると占いで見た通り、灰色の髪をした男が兵を連れて市場へ現れた。
3日前、宿場から馬を3頭盗まれた商人だった。
焼き印や身体の特徴も一致し、3頭は本来の持ち主へ返されることになった。
馬商人はレオンへ銀貨4枚を渡した。
「危なかった。安いと思って3頭まとめて買うところだったぞ」
「夕方まで待つどころか、自分から逃げてくれたけどな」
「あそこまで分かりやすく逃げれば、占いがなくても怪しい」
「その前に金を払わずに済んだのは、俺が止めたからだろ」
「分かっている。だから銀貨4枚も払っているんだ」
レオンが銀貨を受け取ると、視界に文字が現れた。
《占術が的中しました》
《天命が1つ満たされました》
《身体適応が進みます》
《能力【観察眼Ⅰ】を獲得しました》
文字が消えたあと、目の前にいる馬を見ると、先ほどまでは気付かなかったところまで自然に目へ入ってきた。
身体の大きさや脚の太さだけではない。足の置き方、耳の向き、呼吸の速さ、毛並みのわずかな乱れまで分かる。
レオンは先ほど見せてもらった鹿毛を改めて見た。
「この馬、左の後ろ脚を少しかばって歩いているな」
商人が驚いた。
「そこまで分かるのか。昔少し傷めたんだ。今はもう治っている」
「普通に走らせる分には問題ないんだな?」
「ああ。競走馬にするなら勧めんが、お前が乗って仕事へ行く程度なら問題ない」
「なら、俺はこいつにする」
「銀貨18枚だ」
「17枚なら今ここで払う」
「さっき銀貨4枚も稼いだだろ」
「それと馬の値段は別の話だ」
「18枚だ」
「17枚に銅貨を少し付けても駄目なのか?」
「18枚」
「本当に頑固だな」
「それをお前に言われる筋合いはない」
結局、レオンは銀貨18枚で鹿毛を買った。
鞍と手綱など必要な道具に銀貨4枚、実戦に使える剣と鞘に銀貨3枚を使い、最初に用意した25枚はすべて使った。ただし、先ほど占いで得た銀貨4枚はそのまま手元に残った。
レオンは鹿毛に鞍を付け、自分で手綱を握った。
「そういえば、この馬には名前があるのか?」
「俺はブラウンと呼んでいた」
「それなら、そのままでいい。今さら変える必要もないだろ」
「馬は名前を変えたくらいで困らんと思うぞ」
「俺が新しい名前を考えるのが面倒なんだよ」
レオンはブラウンへ乗り、市場を出た。
城から借りた馬ではない。自分で稼いだ金で買った、自分の馬である。
家へ着くと、リナが真っ先に外へ飛び出してきた。
「兄さんの馬?」
「今日からな」
「乗せて!」
「父さんか母さんから許可をもらってこい」
「兄さんの馬なのに?」
「お前が落ちたら、怒られるのは俺なんだよ」
あとから出てきたゲオルグは、馬の脚や口元を確かめた。
「悪くない馬だな」
「銀貨18枚だった」
「少し高かったんじゃないか?」
「馬商人と散々値段をやり合ったあとで、父さんまで同じことを言うのか?」
ゲオルグは笑った。
「自分の馬に、自分の剣か。ようやく格好だけは一人前だな」
「格好だけは余計だ」
「なら手入れも全部自分でやれ。それができて一人前だ」
「そのくらい分かっている」
任務へ出るたびに城から馬と武器を借りる必要は、もうなかった。
次からはブラウンに乗り、自分の剣を腰へ下げて仕事へ向かうことができる。




