第1話(中編)――「士族なのに腹が減る」
食卓に着いたレオンは、朝食を見て家の暮らし向きを理解した。
1人分は、黒っぽいパンが1切れと、豆を煮た薄いスープだけである。
父のゲオルグは43歳で、広い肩を持つ大柄な男だった。腰には剣を下げているが、着ている上着には何度も繕った跡がある。
向かいには母のエルザ、その隣には12歳の妹リナが座っていた。
「兄さん、食べないの?」
リナに言われ、レオンはパンを手に取った。
「ああ、食べるよ」
硬いパンをちぎり、スープへ浸して口へ運ぶ。腹が減っていたので味は悪く感じなかったが、量が少ない。
「肉はないのか?」
エルザが申し訳なさそうに答えた。
「次の給金が出たら買いましょう。あと10日だから」
レオンはリナの皿を見た。妹も同じパンと豆のスープだけである。
前世でも金に困った時期はあったが、肉を食べるために10日後の給料を待つ生活まではしていなかった。
ゲオルグが言った。
「今年は仕方がない。伯爵家も支出を抑えている」
「父さんの給金は、今いくらなんだ?」
ゲオルグが息子を見た。
「急にどうした」
「家の暮らしが気になっただけだよ」
エルザが代わりに答えた。
「今月は銀貨8枚よ。そこから家賃と薪代も払うの」
「士族でも、それしかもらえないのか」
ゲオルグの顔が少し険しくなった。
「ローデン家は6代にわたってハルベル伯爵家に仕えている。給金の額と、士族としての役目は別だ」
レオンの中には、この世界の士族についての知識も残っていた。
士族は貴族ではない。代々武器を持つことを認められ、特定の貴族に仕える家柄である。城門警備や護衛、伝令、徴税の付き添いなどを務め、戦争になれば兵として戦う。
ローデン家もその1つだった。ただし、家を楽に維持できるほどの土地は持っておらず、ゲオルグが伯爵家から受け取る給金が主な収入である。
レオンは残ったパンをスープへ浸した。
前世で仕事を失った時にも嫌というほど思い知らされたが、肩書きだけでは腹は膨れない。
「俺も稼げばいいんじゃないか?」
口にしてから、自分が自然に「俺」と言ったことに気付いた。
今朝ほど抵抗がない。
エルザは別の意味で驚いていた。
「急にどうしたの?」
「俺も16歳なんだろ。家に金がないなら、何かできるんじゃないかと思って」
ゲオルグは首を振った。
「お前はまず剣を覚えろ。士族の男が武器を扱えなければ、仕事を任せてもらえん」
「剣は習うよ。でも、剣の稽古をしたら肉を買えるようになるのか?」
「レオン」
「父さんを馬鹿にしてるんじゃない。士族として必要なら剣も覚える。ただ、家に金がないなら、稼ぐ方法も考えた方がいいだろ」
ゲオルグはすぐには答えなかった。
48歳まで生きた感覚が残っているレオンには、家計が苦しいと分かっていながら何もしない方が落ち着かなかった。
エルザが息子を見る。
「今日はずいぶん大人びたことを言うのね」
「俺もそう思う」
それ以上は説明しなかった。
自分の中身が48歳まで女として生きていた人間だと話したところで、信じてもらえるとは思えない。
朝食が終わると、ゲオルグは伯爵家の城へ向かう支度を始めた。
玄関先で父が腰の剣を確かめる姿を見ていたレオンは、胸の奥に妙な引っ掛かりを覚えた。
ゲオルグが西門へ向かう姿を思い浮かべると、その感覚が強くなる。直後、頭の中に横倒しになった荷馬車と暴れる馬、慌てて道端へ逃げる人々の姿が一瞬だけ浮かんだ。
「父さん」
「何だ?」
「今日は西門の街道を通らない方がいい」
ゲオルグが手を止めた。
「理由を聞いてもいいか?」
「西の街道で事故が起きる気がする。荷馬車が倒れるところが見えた」
「夢でも見たのか?」
「分からない。でも、今日は南門から行ってくれ。遠回りでもそっちの方がいい」
ゲオルグは息子の顔を見た。
「城へ遅れるわけにはいかん」
「今から出れば間に合うだろ」
「それはそうだが……」
しばらく迷った末、ゲオルグは南へ向き直った。
「分かった。今日はお前の言う通りにしてみる」
「ありがとう」
父が出ていったあと、レオンは先ほど頭に浮かんだ光景について考えた。
前世でも占い師として客を見ていたが、未来そのものが映像で見えていたわけではない。カードや人相、会話の内容を手掛かりに相手の事情を考え、その人に必要な言葉を選んでいただけである。
今の感覚は、それとはまるで違った。
答えは昼過ぎに出た。
西門へ続く街道で荷馬車が横転し、驚いた馬が暴れた。通りかかった3人が怪我をしたという話が近所まで伝わってきたのである。
夕方、帰宅したゲオルグは家へ入るとすぐレオンを呼んだ。
「西街道で本当に事故があった。お前はどうして分かった?」
「俺にも分からないよ。朝、父さんが西へ行くところを考えたら、荷馬車が倒れるのが見えたんだ」
「そんなことが今までにもあったのか?」
「いや。初めてだ」
その時、レオンの視界へ淡い文字が現れた。
《占術が的中しました》
《天命が1つ満たされました》
《身体適応が進みます》
《能力【体力Ⅰ】を獲得しました》
「何だ、これ……」
ゲオルグが眉を寄せた。
「どうした?」
どうやら父には文字が見えていない。
「いや、何でもない」
「何でもない顔には見えんぞ」
「急に目の前が変な感じになっただけだよ。もう消えた」
文字は数秒で消えた。
同時に、身体の感覚が変わった。
レオンは椅子から立ち上がり、腕や脚を動かした。筋肉が急に太くなったわけではないが、朝まであった身体の頼りなさが少し薄れ、足腰へ力が入りやすくなっている。
16歳の少年の身体が、ほんの少しだけ自分になじんだように感じた。
「本当に大丈夫なのか?」
「ああ。むしろ朝より身体が軽いくらいだ」
ゲオルグは納得していない様子だったが、具合が悪そうには見えないため、それ以上は聞かなかった。
レオンは黙って自分の手を見た。
父を事故から遠ざけた直後に文字が現れ、実際に身体まで変わった。
占いが当たれば、何かが起きる。
偶然で片付けるには、出来すぎていた。




