第1話(前編)――「48歳、16歳の男になる」
高瀬真理子は、前夜まで48歳のバツイチ占い師だった。
朝、目を開けると、見知らぬ板張りの天井があった。
「……どこ、ここ」
口から出た声が低い。
何度か声を出してみたが、聞き慣れた自分の声には戻らなかった。
上半身を起こして周囲を見る。太い梁がむき出しの木造の部屋で、寝ていたのは布団ではなく、薄い敷物を載せただけの寝台だった。小さな窓から冷たい空気が入り込み、壁際には古びた机と椅子が置かれている。
昨夜はいつも通り仕事を終え、アパートへ帰った。スーパーの弁当を食べ、缶酎ハイを2本飲んで寝たはずである。
夢にしては、背中に当たる寝台の硬さも、窓から入る冷気もはっきりしすぎていた。
「何よ、これ……」
両手を見ると、見慣れた48歳の手ではない。指は若く、手の甲には細い筋が浮いている。腕も細いが、明らかに自分の身体ではなかった。
胸元へ目を落とし、寝間着の上から両手で確かめた。
48年間あったはずの膨らみがなくなっている。
「……ないじゃない」
そこで下半身にも違和感があることに気付いた。
嫌な予感がした。
布団の中へ手を入れて確かめると、前の身体には存在しなかったものが指先に触れた。
慌てて手を離したものの、何かの間違いであってほしくて、もう一度確かめる。
「あるじゃない!」
思わず大声を上げると、部屋の扉が勢いよく開いた。
「レオン!」
40歳ほどの女が入ってきた。
「朝から何を叫んでいるの!」
反射的に布団を胸まで引き上げる。
「誰……?」
そこで、もう1つ妙なことに気付いた。
耳に入ってくる言葉は、日本語ではなかった。それなのに意味はそのまま頭へ入ってくる。自分が返した言葉も、考える必要なく相手に通じていた。
不思議に思う間もなく、相手の顔を見た瞬間、頭の中へ自分のものではない記憶が流れ込んできた。
目の前の女はエルザ。母親である。
自分はレオン・ローデン。16歳。アルディナ王国西部、ハルベル伯爵領に暮らす士族の長男で、父はゲオルグ、妹は12歳のリナ。
見たこともない家族の顔や、この家で暮らしてきた記憶が、以前から知っていたことのように頭へ入ってくる。
言葉が通じる理由も分かった。この世界で16年間生きてきたレオンの記憶が残っているため、こちらの言葉を聞くことも話すことも自然にできるらしい。
それでも、高瀬真理子として生きた48年間の記憶は消えていなかった。
10年前、夫の浮気が原因で離婚した。慰謝料は10万円。その後は仕事を転々とし、半年前になってようやく占い店で働き始めた。
最初は受付や掃除をするつもりだったが、店主に勧められてカード、人相、簡単な星占いを覚えた。客の話を聞き、その人が何に困っているのかを考える仕事は思いのほか自分に合い、最近では指名客まで付くようになっていた。
ようやく長く続けられそうな仕事を見つけたところだった。
レオンは額を押さえた。
「ちょっと待って……」
エルザが寝台へ近づいた。
「どうしたの? 頭でも痛い?」
「いや……」
自分の口から出た声は、やはり若い男のものだった。
布団から出ている手を改めて見る。どこから見ても16歳の少年の手であり、48歳だったころの身体は残っていない。
「私……」
エルザが眉を寄せた。
「私?」
「あ……いや」
レオンの記憶によれば、普段の一人称は「俺」である。
分かってはいても、48年間使ってきた言葉を目覚めて数分で変えられるものではなかった。
布団の下へ目を向けると、先ほど確かめた感触まで思い出してしまう。
「どうして男なのよ……」
「レオン?」
「何でもない」
エルザは納得していない様子だったが、息子の額へ手を当てた。
「熱はないわね。朝食にしましょう。お父さんもリナも待っているわ」
「朝食……」
その言葉を聞いた途端、腹が鳴った。
前の身体とは比べものにならないほど腹が減っている。
レオンは寝台から降りた。脚が長く、立った時の目線も以前とは違う。自分で身体を動かしているのに、まだ借り物を扱っているような感覚があった。
部屋を見回せば、裕福な家ではないことも分かる。机も椅子も古く、床に敷かれた布は端が擦り切れていた。
ようやく人生が落ち着くと思った翌朝、見知らぬ世界で16歳の男になっている。
レオンは自分の低い声を聞きながら言った。
「また最初からかよ……」
口にしてから気付いた。
今度は自然に、男の言葉が出ていた。




