第7話(前編)「初めて人を斬る」
9月上旬、ハルベル伯爵領では麦の収穫が終わり、各地の村から伯爵家へ納める穀物が運び出されていた。
大量の麦を積んだ荷車が城へ向かうこの時期は、それを狙う者にとっても稼ぎ時になる。北街道の盗賊を討伐してから日が浅いというのに、今度は伯爵領の南西部で武装した男たちが目撃されるようになっていた。
ある朝、レオンはゲオルグとともに城へ呼ばれた。
兵の詰所へ入ると、以前の盗賊討伐を指揮した隊長が待っていた。卓上には伯爵領南西部の地図が広げられ、村から城へ続く街道の数か所に印が付けられている。
「今度は何があったんですか?」
レオンが尋ねると、隊長は地図の1本の道を指した。
「明日、南西にある3つの村から麦を運ぶ。荷車は12台だ」
「その護衛ですか?」
「そうだ。ただ、この辺りで武装した連中が何度か目撃されている」
相手は旅人から財布を奪う程度の物盗りではないらしい。剣や槍だけでなく弓まで持っており、村人が遠くから見ただけでも10人以上いたという。
「北街道の盗賊の仲間ですか?」
「その可能性も調べたが、捕らえた連中は知らないと言っている。別の集団と考えた方がよさそうだ」
ゲオルグが尋ねた。
「護衛は何人出すのですか?」
「俺を含めて16人だ。御者は別にいる」
「相手が10人ほどなら足りるでしょう」
「本当に10人ならな」
隊長はレオンへ顔を向けた。
「今回はお前にも同行してもらう」
ゲオルグがすぐに反応した。
「今回は最初から戦闘になるかもしれません」
「分かっている」
「それでも連れていくのですか?」
「前回は逃げてきた盗賊を1人取り押さえた。剣、弓、槍も使えて、馬にも乗れると聞いている。士族の倅なら、いつまでも後ろへ置いておくわけにもいかん」
隊長はレオンへ尋ねた。
「実戦で剣を使ったことは?」
「ありません。父さんとは毎日稽古していますけど、人を相手に斬り合ったことはないです」
「なら、そのことは忘れるな。稽古と実戦は違う。できないことまでできると思い込む方が危険だ」
「分かりました」
レオンも、今回はこれまでとは違うと分かっていた。
北街道では後方に置かれ、自分のところへ逃げてきた盗賊を倒しただけだった。今回は武装集団が現れる可能性を承知したうえで、最初から護衛の一員として加わる。
ゲオルグはまだ不安そうだった。
「父さんも行くんだろ?」
「ああ」
「それなら俺も行くよ」
「軽く考えるなよ」
「そのつもりはないよ」
ゲオルグは息子を見たが、それ以上は止めなかった。
隊長は話を進めた。
「出発は明日の朝だ。その前に見てほしい。荷車が襲われるとしたら、どこになる?」
「やってみます」
レオンは街道を目で追った。
南西の村を出た荷車は、小さな森と丘の間を通り、石の多い坂道を越えて城へ向かう。
12台の荷車がその道を進むところを意識して占うと、やがて頭の中に大きな白い岩が浮かんだ。
道の右側には人の背丈を大きく超える白い岩があり、左側には木の生えた斜面が続いている。先頭の荷車が岩を過ぎたところで斜面から矢が飛び、その直後には前方にも武装した男たちが現れて道を塞いだ。
レオンは地図へ目を戻した。
「大きな白い岩がある坂です」
「ほかに何か分かるか?」
「右側に白い岩があって、左は木の生えた斜面です。俺たちが坂へ入ったところで左から矢が飛んできます。そのあと前の道も塞がれます」
ゲオルグが地図の一点を指した。
「白岩坂でしょう。道幅が狭くなるところです」
「ほかの道へ回れるか?」
「回れますが、荷車12台では半日以上遅れます」
「なら避ける必要はない。襲ってくる場所が分かっているなら、こちらが先に備える」
隊長は兵の配置を決めた。
荷車は予定通り白岩坂を通る。ただし坂へ入る前に兵8人を先行させ、林の中を通って襲撃者の後ろへ回らせる。残りの兵は荷車とともに進み、襲撃が始まったところで前後から挟む作戦だった。
「レオンは荷車の中央だ。敵が見えても勝手に飛び出すな」
「分かりました」
翌朝、麦を積んだ12台の荷車が村を出た。
麻袋を満載した荷車が土の道を進み、車輪の軋む音が続く。レオンは伯爵家から借りた馬に乗り、列の中央付近を進んだ。
腰には本物の剣を下げている。
父との稽古で使ってきた刃を潰した剣とは違う。鞘から抜けば、人を傷つけ、命を奪うことのできる武器だった。
前を進んでいたゲオルグが振り返った。
「怖いか?」
「少しね」
「それでいい」
「父さんも怖いのか?」
「実戦の前に何も感じなくなったら、その方が危ない」
「そうか」
レオンは腰の剣へ手を触れた。
昼を過ぎたころ、一行の前方に占いで見た白い岩が現れた。
「ここです」
レオンが隊長へ知らせると、先行した兵はすでに林の中へ回っているという。
荷車は速度を落とさず、そのまま坂へ入った。
レオンは左側の斜面を見た。
木々の間には何も見えない。それでも【危険察知Ⅰ】が働いているのか、誰かが潜んでいるという感覚が強くなっていく。
「来ます」
レオンが言った直後、林の中で弦の鳴る音がした。
「伏せろ!」
隊長の声と同時に、斜面から数本の矢が飛んできた。
そのうち1本がレオンへ向かってくる。
考えるより先に上体を低くすると、矢は肩の上を通り過ぎ、後ろの荷車へ突き刺さった。
その瞬間、視界に文字が現れた。
《占術が的中しました》
《天命が1つ満たされました》
《身体適応が進みます》
《能力【反射Ⅰ】を獲得しました》
斜面から武装した男たちが飛び出した。
「荷車を止めるな! そのまま進め!」
隊長の命令で御者たちが馬を進める。
前方にも男たちが姿を現したが、その背後から先行していた伯爵家の兵が飛び出した。
「伯爵家の兵だ! 武器を捨てろ!」
襲撃者たちは、自分たちが逆に挟まれたことに気付いた。それでも斜面と前方にいた者を合わせれば20人近くおり、すぐには逃げなかった。
街道のあちこちで剣と剣がぶつかった。
道幅が狭いため、レオンは馬から降り、荷車を背にして剣を抜いた。
「レオン、荷車から離れるな!」
「分かってる!」
ゲオルグも剣を抜いて前へ出る。
すぐ近くでは兵と襲撃者が斬り合っていた。
稽古なら、剣が当たりそうになれば止められる。今向かってくる刃は止まらない。受け損なえば、本当に身体を斬られる。
その時、1人の男が兵の間を抜け、荷車の列へ入り込んだ。
「邪魔だ、小僧!」
男はレオンより大きく、片刃の剣を横薙ぎに振った。
レオンは後ろへ退いてかわした。
男の肩が動く。次にどこから剣が来るのか、以前より早く分かった。【反射Ⅰ】を得たことで、相手の動きを見てから身体を動かすまでの時間が明らかに短くなっている。
2撃目を受け流し、相手の腕が伸びたところへ踏み込んだ。
父との稽古で何度も繰り返した形だった。このまま剣を振れば、相手の腕を斬れる。
そこで一瞬、迷いが出た。
稽古ではない。本当に人間を斬ることになる。
その隙を見逃さず、男が剣を引き戻した。
レオンが距離を取ろうとした時、右側からゲオルグが別の男と打ち合いながら下がってきた。
目の前の男がゲオルグへ顔を向ける。
父の背中が空いていた。
「父さん!」
男が剣を振り上げるより早く、レオンは踏み込んだ。
身体で覚えた通りに剣を突き出す。
刃が男の胸へ入った。
手へ伝わった感触は、藁束を刺した時とはまるで違った。
男の身体から力が抜けた。
レオンが剣を引くと、男は数歩よろめき、そのまま街道へ倒れた。
「レオン!」
ゲオルグが息子の前へ入り、別の敵を追い払った。
「荷車の陰へ下がれ!」
レオンは言われた通り数歩下がった。
剣には血が付いている。
自分が人を刺したのだと理解すると、胃の辺りが強く締め付けられた。
それでも周囲ではまだ戦いが続いている。立ち尽くしている場合ではない。
レオンは剣を握り直し、荷車へ近づく者がいないか周囲を見た。
襲撃者たちは前後から挟まれたことで次第に崩れ、数人が武器を捨てた。林へ逃げようとした者も、回り込んでいた兵に追われた。
戦いは長く続かなかった。
襲撃者のうち7人が捕らえられ、何人かは傷を負った。逃げた者もいたが、12台の荷車はすべて守られ、麦もほとんど失われなかった。伯爵家側にも負傷者は出たものの、死者はいなかった。
戦いが終わると、レオンは自分が刺した男のところへ行った。
男は動かなかった。
隣へ来たゲオルグが言った。
「無理に見る必要はない」
「俺がやったんだ」
「ああ」
「死んでるのか?」
「ああ」
レオンは倒れた男を見た。
前世では人を殺すことなど、自分とはまるで関係のない話だった。それが今は、自分の剣で1人の命を奪っている。
「父さんを斬ろうとしてた」
「分かっている」
「考える時間がなかった」
「それでいい。あそこで迷い続けていたら、俺かお前が斬られていた」
ゲオルグは息子の剣を受け取り、布で血を拭った。
「人を斬ったことを喜ぶ必要はない。無理に忘れる必要もない。ただ、自分が何のために剣を使ったのかは覚えておけ」
レオンは父から剣を受け取り、鞘へ戻した。
「今になって怖くなってきた」
「それなら普通だ」
人を刺した感触は簡単には消えそうになかった。
それでも剣を捨てたいとは思わない。士族として生きるなら、また同じような場面に出会うことはある。家族や仲間を守らなければならない時に、何もできないよりは戦える方がよかった。
夕方、一行は12台の荷車をすべて連れて城へ戻った。
麦は守り切ったが、捕らえた男たちから話を聞いた隊長は、翌朝もレオンとゲオルグを詰所へ呼んだ。
白岩坂で戦った者たちは、武装集団の一部にすぎなかった。




