第6話(前編)――「女の目が変わった」
8月上旬、レオンは市場で占いの仕事を続けていた。
夏の日差しは強く、昼が近づくと石を敷いた道から熱が上がる。市場には夏野菜や果物が増え、収穫した麦を詰めた袋を積む荷車も目立つようになっていた。
午前中はゲオルグと武器の稽古をし、午後は市場へ出る。そんな生活は変わらなかったが、町の者がレオンを見る目は数か月前とは違っている。失せ物だけでなく、商売や天気を当て、伯爵家からも仕事を頼まれるようになったことで、占い師として名前を知られるようになっていた。
この日も市場へ入って間もなく、布を扱う商人から声を掛けられた。
「レオン、少し時間をもらえないか」
「何かなくしたのか?」
「いや。娘のことで相談したい」
商人の隣には18歳になる娘のアンナがいた。普段から父親の店を手伝っており、レオンも何度か顔を見ている。
アンナは父親に促され、事情を話した。
「結婚を申し込まれているの」
「その相手のことを占えばいいのか?」
「私と本気で結婚したいと思っているのか知りたいの」
相手は同じ町で桶や樽を作る職人の息子だった。20歳で、父親の仕事を手伝いながら独立するための金を貯めているという。
布商人が腕を組んだ。
「俺も反対しているわけじゃない。ただ、まだ自分の店も持っていない男だ。娘と結婚したいのか、うちの商売を当てにしているのか、それが分からん」
「本人には確かめたんですか?」
「聞いたさ。娘が好きだから結婚したいと言っている」
「それなら、本心までは俺にも分からないと思います」
「そこを何とか見られないかと思って、お前に頼んでいるんだ」
人の心そのものを占えと言われても、今のレオンにできるかどうかは分からない。
そこでアンナへ向き直った。
「アンナは、その男と結婚したいと思っているのか?」
「本気で私との暮らしを考えてくれているなら、もう少し待ってもいいと思ってる」
「分かった。本人の気持ちじゃなく、この先どう動くのかを見てみるよ」
レオンはアンナと相手の男が、この先どうなるのかを意識した。
しばらくすると、木を削る仕事場で働く若い男が頭の中に浮かんだ。仕事を終えたあと、小さな革袋へ銅貨を入れている。場面が変わると、その男は父親らしい中年の職人とともに布商人の店を訪れていた。
手には小さな箱を持っている。
時期は3日後だった。
「今日すぐに返事をせず、3日だけ待ってみたらどうだ?」
アンナがレオンを見た。
「3日待てば何かあるの?」
「3日後の夕方、相手が父親と一緒にこの店へ来る。小さな箱も持っていた。正式に結婚の話をしに来るんじゃないかな」
布商人が身を乗り出した。
「箱の中身まで分かるか?」
「そこまでは見えませんでした」
アンナは父親と顔を見合わせた。
「本当に来るのかしら」
「俺にはそう見えた。今日断るつもりだったなら、3日待ってから決めても遅くないだろ」
アンナは少し考えてからうなずいた。
「分かった。待ってみる」
3日後の夕方、桶職人の息子は父親とともに布商人の店を訪れた。
若者が持ってきた小箱には、銀で作った小さな指輪が入っていた。独立資金とは別に少しずつ金を貯めて買った物で、父親も息子の結婚を認めているという。
その場で婚約が決まったわけではないが、両家は正式に話し合いを始めることになった。
翌日、アンナは市場でレオンを見つけると、銀貨1枚を差し出した。
「これ、父さんから」
「銀貨1枚も?」
「結婚するかどうかはこれからだけど、あなたが言った通りになったからって」
「それなら、ありがたくもらうよ」
レオンが銀貨を受け取ると、視界に文字が現れた。
《占術が的中しました》
《天命が1つ満たされました》
《身体適応が進みます》
《能力【異性魅了Ⅰ】を獲得しました》
《血縁者を除く異性から好意を持たれやすくなります》
レオンは最後の1行を読み返した。
「……何だ、これ」
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
剣術や弓術なら、士族として役に立つことはすぐに分かる。乗馬や地形把握も仕事で使える。しかし、異性から好かれやすくなる能力を何に使えばよいのか、レオンには見当がつかなかった。
表示された説明からすると、相手を思い通りに操るような力ではなく、以前より好印象を持たれやすくなる程度らしい。
「これも士族に必要な能力なのか……」
もちろん、答えは返ってこなかった。
ところが、その日のうちに効果らしいものが現れた。
果物を売る若い娘から梨を買うと、娘は同じ値段の中から少し大きな実を選んで渡してくれた。
「こっちの方が甘いと思うよ」
「ありがとう」
レオンが受け取ると、娘はうれしそうに笑った。
パン屋でも、店を手伝っている娘がレオンを見るなり声を掛けてきた。
「今日は白パンがまだ残ってるよ」
「それなら2つもらう」
「こっちの方が焼き色がいいから、レオンにはこれをあげる」
市場を歩いていても、同じ年ごろの娘たちから以前より視線を向けられている気がする。
本当に【異性魅了Ⅰ】の効果なのかもしれなかった。
しかし、レオンが戸惑ったのは周囲の女性の反応だけではない。
前世では48年間、女性として生きてきた。異世界へ来たばかりのころは、16歳前後の少女を見ても、自分より30歳以上年下の子供にしか感じられなかった。
ところが最近は、その感覚が少しずつ変わっている。
パン屋の娘が笑った時、レオンは素直にかわいいと思った。
相手を自分と同年代の少女として意識していることに気付き、【異性魅了Ⅰ】を得たこと以上に驚いた。
「俺の方も、だいぶ変わってきたんだな」
その日の夕食では、リナが兄の買ってきた梨を食べながら口を開いた。
「兄さん、今日も女の人に話しかけられてたね」
「見てたのか?」
「市場で母さんと買い物してたから」
エルザも笑った。
「最近、若い娘さんがレオンに声を掛けることが増えたわね」
「たまたまだよ」
ゲオルグが酒の入った杯を卓へ置いた。
「妙なことをして恨みを買うなよ」
「何もしてないって」
「女のことで揉めると面倒だからな」
その言葉だけは、前世の経験からもよく分かっていた。
「それは知ってる」
ゲオルグが怪訝な顔をした。
「お前の歳で、どうしてそんなに実感がこもるんだ?」
「父さんの気のせいだよ」
レオンは梨を食べながら話を終わらせた。
異性から好かれやすくなる力を得ても、それを利用して次々に女を口説くつもりはない。前世で夫の不倫によって苦しんだ記憶は、今もはっきり残っていた。




