第4話(後編)――「公爵が来る」
6月下旬、レオンは再びハルベル伯爵家の城へ呼ばれた。
管理棟へ入ると、農地を担当する管理役だけでなく、仕事中のゲオルグも待っていた。いつもの飼料や農地の相談とは違うらしい。
「父さんまでいるのか。今日は何の話なんだ?」
ゲオルグは卓に置かれた書類へ目を向けた。
「来月、王都から高位の貴族が西部へ来る」
管理役がその名を告げた。
「アルベルト・フォン・グランツ公爵閣下だ」
レオンの記憶によれば、グランツ公爵家はアルディナ王国でも有数の大貴族である。広い領地と多くの兵を持ち、国王へ直接意見できる立場にある。ハルベル伯爵にとっても、はるかに上位の相手だった。
「その公爵が、どうしてハルベル伯爵領へ来るんですか?」
ゲオルグが答えた。
「西部の領地と軍備を視察して回るらしい。正式な日程はまだ届いていないが、伯爵領にも立ち寄る可能性が高い」
管理役は別の書類をレオンの前へ置いた。
「公爵閣下を迎えるとなれば、本人だけが来るわけではない。護衛や従者を含めれば大人数になり、城の厩舎にも多くの馬が入る。その分の飼料を今から確保しておきたい」
「この前の干し草だけでは足りないんですね」
「普段の伯爵家だけなら十分だ。だが、公爵一行を長く滞在させることになれば余裕がなくなる」
管理役は南の村から届いた見積もりを示した。
「干し草を荷車20台分買う話がある。ただ、今の値段で契約すべきか、しばらく待つべきか判断したい。そこを占ってもらいたい」
レオンは書類へ目を通した。
以前、自分の銅貨で薪を買って売った時と理屈は似ている。ただし今回は伯爵家が荷車20台分を買う。値段が少し違うだけでも、動く金額は大きく変わる。
「南の村では、もう牧草の刈り取りを始めているんですか?」
「始まっている。ただし、まだ最盛期ではない」
「分かりました。いつ買うのがよいか見てみます」
レオンは南の村から運ばれてくる干し草と、これからの値動きを意識した。
頭の中に何台もの荷車が現れた。
荷台には現在より多くの干し草が積まれている。続いて売値を示す札が見え、数字は今より低くなっていた。
最後に残ったのは10日という感覚だった。
「今は契約しない方がいいと思います」
管理役が書類から顔を上げた。
「どのくらい待つべきだ?」
「10日ほどです。そのころには南の村から出てくる干し草が増えて、今より安くなるはずです」
「値下がりの幅までは分かるか?」
「そこまでは見えませんでした。ただ、10日ほど待つ方が安く買えることは、かなりはっきりしています」
横で聞いていたゲオルグが口を開いた。
「荷車20台分となれば、外れた場合の影響も大きくなります。それでも待つのですか?」
管理役はうなずいた。
「もちろんレオンの占いだけで決めるわけではない。南の村へも人を出す。刈り取りの進み具合と相場を調べ、その報告も合わせて判断するつもりだ」
「それなら私も異存はありません」
レオンもその方がよいと思った。
占いが当たり続けているからといって、伯爵家の金をすべて自分の言葉だけで動かされるのは重い。現地の情報と合わせて使う方が安全である。
◇ ◇ ◇
それから10日後、南の村では晴天が続いたことで牧草の刈り取りが一気に進んだ。
市場へ出る干し草が増え、伯爵家が改めて値段を問い合わせたところ、最初に提示された額よりかなり安くなっていた。荷車20台分をまとめて購入しても、当初の見積もりより銀貨数十枚を節約できたという。
結果を知らされたレオンが城へ行くと、管理役は銀貨の入った袋を卓へ置いた。
「今回は銀貨8枚だ」
「8枚もいただけるんですか」
「もっと出しても構わないところだが、お前の父親が隣で難しい顔をしそうなのでな」
ゲオルグがすぐに顔をしかめた。
「私の1か月分の給金と同じではありませんか」
「だから面白いんだろう」
「息子と父親の給金を比べて楽しむのはやめてください」
管理役が笑い、レオンも袋を受け取った。
その瞬間、視界に文字が現れた。
《占術が的中しました》
《天命が1つ満たされました》
《身体適応が進みます》
《能力【礼法Ⅰ】を獲得しました》
「礼法か……」
思わず口にすると、管理役が聞き返した。
「何か言ったか?」
「いえ、独り言です」
剣術や弓術を得た時のように、身体へ力が加わった感覚はない。
しかし管理役とその後の話をしているうちに、レオンは違いに気付いた。立つ位置、相手へ礼をする角度、身分が上の者へどこまで丁寧な言葉を使うべきかといったことが、以前より自然に判断できる。
礼儀作法の本を読んだわけでも、誰かに長く習ったわけでもない。それでも、今までなら迷ったであろう振る舞いが身体になじんでいた。
公爵が来るという話を聞いた日に礼法を得たことまで考えると、妙に都合がよすぎる気もする。
仕事の話が終わると、管理役は書類を片付けながら別の話をした。
「そういえば、公爵閣下が来られた時には、お前も城へ呼ばれるかもしれん」
レオンは管理役を見た。
「俺もですか?」
「伯爵様は、お前が天気や相場を何度も言い当てていることをご存じだ。公爵閣下の耳へ入れば、実際に会ってみたいと言われる可能性はある」
ゲオルグは息子より先に心配した。
「レオン、公爵閣下の前で市場の商人と同じ口を利くなよ」
「さすがにそこは分かってるよ」
「本当に分かっているならいいが、お前は相手が馬商人でも伯爵家の管理役でも、あまり話し方が変わらんからな」
「今までみたいな話し方はしないよ」
「それならいいが、本番で忘れるなよ」
管理役が2人のやり取りを聞いて笑った。
城を出ると、レオンはゲオルグと並んで丘を下った。
「父さん。グランツ公爵って、伯爵様よりどのくらい上なんだ?」
「伯爵様御自身が礼を尽くして迎える相手だ。それで十分分かるだろう」
「父さんも当然、頭を下げるんだな」
「当たり前だ。お前も呼ばれたなら、きちんと礼をしろ」
「分かってるよ。貴族相手は面倒そうだな」
「だから、お前は貴族ではない」
「士族だったな」
ゲオルグは歩きながら息子を見た。
「だが、このまま占いの仕事が大きくなれば、今まで会えなかったような相手と話す機会は増えるだろう。剣や弓だけ覚えていれば済む話ではない。相手に合わせた言葉遣いや礼儀も身に付けておけ」
「分かった。俺もその方がいいと思ってる」
今なら、以前より自然にできるはずだった。
レオンは丘を下りながら、一度だけ背後の城を振り返った。
春には市場で銅貨を稼ぎ、リナへ肉を食わせることを考えていた。それが3か月ほどの間に、伯爵家から直接仕事を頼まれ、銀貨を受け取るようになった。来月には、王国内でも有数の大貴族と顔を合わせる可能性まである。
もちろんローデン家の暮らしが急に豊かになったわけではない。借金も残っており、レオン自身もハルベル伯爵家に仕える士族の倅である。
それでも、占いを頼んでくる相手の立場は上がり、1度の仕事で動く金も確実に大きくなっていた。
そしてレオンは、まだ知らなかった。
アルベルト・フォン・グランツ公爵という男が、高瀬真理子として生きていたころの自分と深く関わっていた人物であることを。




