未知との遭遇
巨大な神殿の中央広場は、瞬く間に前線基地の様相を呈し始めていた。
孤島のゲートから太い電力ケーブルが何本も引き込まれ、仮設のハロゲン照明灯が青白い遺跡の闇を切り裂く。調査班が測量機材を運び込み、通信アンテナを設営する中、ジャックは自身の率いる警備第1班と、ジェイソン率いる本部直轄の強襲班、合わせて八名の隊員を【第2の門】の前に集結させていた。
「ハルのドローン調査によれば、この先は温暖な平原だ。大気成分も安定している」
ジャックがタクティカル・ベストのバックルを締め直しながら、作戦の最終確認を行う。
「目的は威力偵察、および前線基地(FOB)設営のための地理測量だ。先住民や野生動物との不必要な接触は避けろ。我々は侵略者じゃない、あくまで避難先を探しているだけだ」
「分かっているさ。辺境の警備員に指図されるいわれはない」
ジェイソンがアサルトライフルのボルトを乱暴に引き、鼻で笑った。筋骨隆々の巨体に、本部支給の最新型アーマーを着込んだ彼は、あからさまにジャックたちを見下していた。
「さっさと終わらせて、このカビ臭い遺跡からおさらばしようぜ。俺の班が先頭をもらう」
「……好きにしろ。だが、何が起きるか分からない。油断だけはするなよ」
ジャックは深くため息をつき、P90の安全装置を外した。
ジェイソンを先頭に、八名の隊員が青白く波打つ「水面」へと足を踏み入れる。
冷たいゼリーのような、あるいは高密度の静電気の壁をすり抜けるような奇妙な感覚。それを抜けた瞬間、彼らの視界は圧倒的な「色彩」と「生命の匂い」に包まれた。
見渡す限りの青空。
高く浮かぶ白い雲。
足元には膝丈まである青々とした草原が広がり、風が吹き抜けるたびに波のように揺れている。
遠方には深い原生林と、なだらかな山脈が見えた。
呼吸をすると、土と草の匂いが肺を満たした。
「……おいおい、ここは天国か?」
強襲班の若い隊員の一人が、思わず感嘆の声を漏らした。つい数時間前まで、炎と黒煙、そして腐臭を放つ感染者にまみれた地獄の都市を逃げ回っていた彼らにとって、そこはあまりにも平和で美しい世界だった。
だが、ジャックの目は周囲の警戒を解いていなかった。
「ジェイソン、待て。あれを見ろ」
ジャックが指差した先——ゲートのすぐ脇の草むらの中に、粗末な石を積み上げた祭壇のようなものがあった。そこには果実のような供え物と、線香に似た細い木片が立てられている。
「なんだこりゃ。原住民の祈り場か。未開の連中が、あの光る門を神様だとでも思って崇めてたんだろうよ」
ジェイソンは警戒する素振りも見せず、ずかずかと祭壇へと歩み寄った。
「……ついさっきまで、誰かいたな」
ジャックが目を細めた。木片の先端からは、まだ細い煙が立ち昇っている。風の強さを考えれば、火を点けてから数分と経っていないはずだ。
「ジェイソン、下がれ! ここは無人じゃ——」
ジャックの警告より早く、風切り音が空気を裂いた。
シュッ、という鈍く重い音。
直後、ジェイソンの首——強固なボディアーマーとヘルメットの僅かな隙間に、黒い矢羽のクロスボウの矢が深々と突き刺さった。
「……ガ、ァ……?」
ジェイソンは目を見開き、口からゴボリと血の泡を吹いた。彼の手から最新鋭のライフルが滑り落ち、巨体が糸の切れた人形のように草むらへと崩れ落ちる。頸動脈を完全に切断された即死だった。
「アンブッシュ(伏兵)だ!! 散開してカバーに入れ!!」
ジャックの怒号と同時に、遠方の森の境界から雨あられと矢が降り注いできた。
「ぎゃあっ!」
「腕が……ッ!」
前衛にいた警備班の隊員二名が肩や太腿を射抜かれ、悲鳴を上げて倒れ込む。ジャックは隣にいたクロエの肩を掴んで強引に引き倒し、ゲート周辺に点在する大きな岩の陰へと滑り込んだ。
「クソッ、ジェイソン隊長がやられた!」
「撃ち返せ! 森の縁だ!」
生き残った隊員たちが岩陰から銃口を突き出し、見えない敵に向かって盲撃ちを開始する。
——同時刻。平原を見下ろす森の境界。
ロウル帝国の属州軍を率いる百人隊長ザイラスは、木々の隙間からその光景を冷酷な目で見下ろしていた。
「よし。蛮族どもの矢が当たったぞ」
ザイラスの足元には、薄汚れた革鎧を着た色黒の亜人——ダークエルフたちが、震える手でクロスボウの弦を巻き上げ、次弾の装填を行っている。彼らは帝国に支配された植民地の民であり、最前線で使い捨てにされる「肉の盾」だった。
数時間前、邪教の聖域とされていたあの石の門から、青白い光と共に「巨大な羽虫」が飛び出してきたという報告を受けた。ザイラスは即座に討伐軍を率いて森に伏せ、異形の集団が現れるのを待っていたのだ。
(見たことのない緑色の服だが、魔法の障壁すら張れないただの人間だ。矢が刺されば死ぬ)
ザイラスは傲慢に笑い、腰の長剣を抜き放った。
彼の背後には、太陽の光を反射する銀色の板金鎧に身を包んだ、数百名の帝国重装歩兵たちが控えている。彼らはロウル帝国の誇る正規軍だ。
分厚い鋼鉄の盾と鎧は、蛮族の矢など容易く弾き返す。
あの奇妙な緑色の服を着た八人の小集団など、馬で踏み荒らすまでもなかった。
「蛮族の矢で奴らは混乱している! 一気に押し潰せ! 我らが皇帝陛下に、異邦人の首を捧げるのだ!」
「「「オオオオオォォォッ!!」」」
地鳴りのような雄叫びと共に、鉄の鎧に身を包んだ帝国軍の本隊が、森の中から平原へと雪崩れ込んでいった。
ザイラスもまた、部下たちと共に平原を駆けた。
勝利は確実だった。敵は岩陰に隠れて身動きが取れず、こちらは三百を超える重装歩兵。包囲して槍で突けば終わる、単純な仕事のはずだった。
ダダダダダッ!
突如として、耳を劈くような奇妙な破裂音が平原に響き渡った。
(なんだあの音は? 雷の魔術か?)
ザイラスは走りながら眉を潜めた。だが、魔術師が詠唱するような魔力の高まりは一切感じられない。
そもそも、あのような短い杖のような道具で発動できる魔術など、帝国にも存在しない。
次の瞬間、ザイラスの目の前を走っていた重装歩兵の身体が、見えない「何か」に激しく弾き飛ばされた。
ガァンッ!
という金属が砕ける音。
信じられないことに、帝国が誇る分厚い鋼鉄の盾に穴が開き、その奥の胸当てごと肉体が砕け散っていた。血飛沫がザイラスの頬を濡らす。
「な、何が起きた!?」
一人ではない。最前列を走っていた数十人の兵士たちが、不可視の打撃を受けて次々と薙ぎ倒されていく。盾も、鎧も、まったく意味を成していない。一人の兵士を貫通した「見えない魔弾」が、背後にいたもう一人の兵士の鎧をも貫き、二つの死体を同時に作り出していた。
(弓か?いや、矢など見えない!どんな魔術を使っているのだ!?)
未知の攻撃に、帝国軍の突撃の足が鈍る。最前列の惨状を見た兵士たちが、恐怖に顔を引きつらせて立ち止まりかけていた。
「怯むな!! 数は我々が圧倒している! 押し潰せぇ!」
ザイラスは恐怖に駆られそうになる己の心を叱咤し、狂ったように叫んだ。
どんなに強力な魔術であろうと、術者の魔力には限界がある。あれほどの威力の雷撃を連発していれば、すぐに魔力が枯渇するはずだ。現に、岩陰からの「雷撃」の頻度は、先ほどよりも明らかに減ってきている。
(魔力切れだ! 奴らも限界が近い!)
ザイラスの予想通り、異邦人たちの攻撃の手が緩んだ。敵との距離はすでに三十メートルを切っている。横に広がった帝国軍の陣形は、岩陰の異邦人たちを完全に左右から包囲しつつあった。
「いけるぞ!槍を構えろ!一匹残らず串刺しにしろ!!」
ザイラスは勝利を確信し、剣を高く掲げた。
あと十数秒で、異邦人たちの命は潰える。未知の魔術の杖は、皇帝陛下への良い献上品になるだろう。
だが、ザイラスが最後の一歩を踏み出そうとした、その時だった。
異邦人たちの背後にある、青白い光を放つ石の門。
その「水面」が、かつてないほど大きく、不気味に波打った。
ゴォォォォォォンッ!!
空気を、いや、大地そのものを震わせるような、聞いたこともない巨大な獣の咆哮が響き渡った。
ザイラスは思わず足を止め、目を見開いた。
青い膜を突き破って、門の向こう側から「何か」が飛び出してきたのだ。
それは、太陽の光を反射する、巨大な鉄の塊だった。
車輪のついた四角い鉄の箱。馬も繋がれていないのに、それは生き物のように重低音を響かせて動いている。そして、その上部に取り付けられた巨大な黒い筒が、ゆっくりと、ザイラスたち帝国軍の密集地帯へと旋回してきた。
「な……何だ、あれは……!?」
ザイラスの喉から、絶望に満ちた掠れ声が漏れた。
彼がその「巨大な鉄の獣」の正体を知る前に、黒い筒の先端が、地獄の業火を噴き上げた。




