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沈む世界と、Artifact-1453

 アラビア海を抜け、インド洋を東へ進む巨大な船影があった。

 全長三百メートルを超えるその船は、外見こそ錆びついた大型オイルタンカーだが、甲板はフラットに改修され、複数のヘリパッドと格納庫、さらには対空レーダーまで備えた極東支部の移動拠点——洋上ヘリ空母であった。


 夜明け前。ジャックたちを乗せたUH-60が甲板に着艦すると、待ち構えていた医療チームが慌ただしくセレンをストレッチャーに乗せ、船内の隔離区画へと運んでいった。


「……まるで、最初からこうなることが分かっていたような手際ね」

 ヘルメットを脱ぎ、潮風に黒髪を揺らしながらクロエ・ナギが呟いた。その声には、疲労よりも明らかな不信感が混じっている。


「俺たちは『財団』だからな。あらゆる終末を想定して動くのが仕事だ」


「民間人を見捨てて? 眼下の街では何万人も死んでいたのよ。私たちは彼らを助けるだけの火力と輸送力を持っていた。なのに、助けたのは名前も分からない少女一人だけ。これがあなたの言う『仕事』なの?」


 クロエの鋭い視線がジャックを射抜く。彼女は元々、国家の対テロ特殊部隊に所属していた人間だ。財団に引き抜かれたとはいえ、その根底には「市民を守る」という矜持がある。


「俺たちだけじゃ世界は救えない。それに、俺たちが最優先で救うのは人間の命じゃない。人類の『歴史』そのものだ」


 ジャックが感情のない声でそう返すと、クロエは忌々しそうに舌打ちをした。


「歴史を保護して、それを語り継ぐ人間が死に絶えたら何の意味があるのよ」


 彼女は銃を乱暴に肩に担ぎ直し、船内へと消えていった。ジャックは彼女の背中を見送りながら、小さく息を吐いた。彼女の言うことは正論だ。だが、正論で生き残れるほど、今の世界は甘くない。



 ジャックは一人、艦橋構造物の下層に設けられた作戦司令室(CIC)へと向かった。

 窓のない分厚い隔壁に守られたその部屋は、壁一面を覆う大型モニター群が放つ青白い光だけで薄暗く照らされている。絶え間なく流れる電子音と、オペレーターたちの低い報告の声が響く中、部屋の中央の戦術テーブルの前に極東支部長であるヴィクター・ヴァンスが立っていた。


 軍服の上に仕立ての良いコートを羽織った、初老の威厳ある男だ。ジャックの育ての親でもある。


「帰還しました、ボス。対象は無事です」


「ご苦労だった、ジャック。これで極東支部の撤退作戦はすべて完了した」


 ヴィクターは振り返り、壁面のメインモニターを指差した。そこには、世界地図に無数の赤いバツ印が点滅している。


「三時間前、国連および主要先進国の政府機関からの公式な通信が完全に途絶した。人類の文明は、事実上終了したと言っていい」


「……でしょうね。で、生き残りは?」


「我々財団の各支部や、正規軍の残党が協力し、急造の防衛網を敷いている。開発が遅れていた離島や、海上の石油リグなどに避難民を誘導し、世界各地に点々と生き残りのコミュニティが形成されつつある状況だ。だが、陸地から完全に切り離されたわけではない。物資がいつまでもつかは分からんし、感染者の群れが海を渡ってこないという保証もない」


 ヴィクターは葉巻を取り出し、ゆっくりと火を点けた。紫煙がモニターの光に照らされて立ち上る。


「我々極東支部は、これより太平洋上にある管轄区——『Artifact-1453』へ向かう。あそこにはすでに遺跡の研究基地と、大規模な港湾施設が整っている。周辺海域の避難民や、合流できた他国の軍人たちも、あの孤島へ集結させる手はずだ」


「了解しました。……それで、ボス」


 ジャックは声を少し潜めた。


「アリシアは? 本部の状況はどうなっています」


 ヴィクターはわずかに目を細め、デスクの端末を操作した。画面が切り替わり、無菌室のベッドで静かに眠る少女のバイタルデータが表示される。


「安心しろ。大西洋にある石油プラントに偽装した財団本部も、防衛ラインを維持している。お前の妹は無事だ」 「……そうですか。なら、俺はまだ財団の犬として働けますよ」


 ジャックが自嘲気味に笑うと、ヴィクターは静かに葉巻の煙を吐き出した。


「無理はするな。お前は私の部下である前に、私の息子のようなものだからな」



 ——数日後。


 タンカーは太平洋を東へ進み、目的地である孤島までおよそ三海里(約五キロ)の海域に到達していた。 


 甲板で海風に当たっていたジャックは、ふと、船内の医療ブロックから微かな、しかし確かな異常な気配を感じ取った。空気がビリビリと震えているような、静電気に似た感覚。


「……なんだ?」


 同時刻。隔離室のベッドに寝かされていたセレンの身体に、突如として淡く発光する幾何学的な『文様』が浮かび上がった。彼女は虚空を見つめ、何かに呼ばれるように身をよじらせる。


 直後、ジャックの視界の先——水平線の向こうにある孤島の中心から、天を貫くような巨大な「青白い光の柱」が立ち上がった。


 視点は変わり、太平洋の孤島——Artifact-1453の研究基地。


 考古学者のハル・フォスターは、分厚い眼鏡をずり上げながら、目の前の光景に息を呑んでいた。


 ジャングルを切り開いた盆地の中央部に鎮座する、巨大な遺跡群。その最奥にあるのは、古代の巨石を精巧に組み合わせた四角形の構造物だった。高さと幅は、装甲車や羽を畳んだヘリコプターがギリギリ一台通れる程度の、無骨な「枠」。


 財団がこの島を発見して以来、何十年も沈黙を保っていたその石の枠に向かって、突如として猛烈な強風が吹き込み始めたのだ。周囲に設営されていたテントや観測機材が次々と吹き飛ばされ、ハルは近くの鉄柱に必死にしがみついた。


「おいおいおい、嘘だろ……! エネルギー反応が計測限界を振り切ってるぞ!」


 ハルが腰のトランシーバーに向かって叫んだ瞬間、石の枠の内側に、まばゆい光が満ちた。


 それは扉が開いたわけではなく、まるで重力に逆らって垂直に波打つ「水面」のようだった。青白く発光する液状の膜が、四角形の枠の中に急速に形成されていく。空間そのものが歪み、別の次元と接続されたような、圧倒的な存在感。


 数千年の時を超え、Artifact-1453——異世界への『門』が開いた瞬間だった。



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