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死者の声と、森の観察者


 Artifact-02——通称「帝国世界」に前線基地(FOB)が構築されてから、三日が経過していた。


 ゲート周辺の広大な平原はすっかり様変わりし、土嚢と有刺鉄線で囲まれた半円状の陣地の中には、プレハブの仮設テントがいくつも立ち並んでいる。孤島から引き込まれた太い電力ケーブルが地を這い、ディーゼル発電機の低い唸り音が、異世界の風の音を掻き消すように響き渡っていた。


 そのテントの一つ、仮設の解剖室兼研究室として割り当てられた空間で、調査班のハル・フォスターは分厚い眼鏡をずり上げながら、顕微鏡とタブレット端末を交互に睨みつけていた。


「……驚異的だ。骨格筋の密度がホモ・サピエンスの約一・三倍。視神経の構造も特異で、おそらく夜間視力は猫科の動物に匹敵する」


「で? そいつは俺たちの弾を弾き返せるのか?」


 テントの入り口から、コーヒーの入った紙コップを二つ持ったジャックが入ってきた。


「まさか。物理的な耐久力は人間と大差ないよ。5.56mm弾が胸部を貫通した痕跡がそれを証明している」  ハルはコーヒーを受け取ると、徹夜の疲労で充血した目を輝かせた。


「ジャック、君たちが『使い捨てのゲリラ』と呼んだ彼らは、人間じゃない。耳の軟骨構造が極端に発達し、メラニン色素の分布も地球のどの人種とも違う。ファンタジー小説の言葉を借りるなら、文字通りの『ダークエルフ』だ」


「エルフね。おとぎ話の世界に迷い込んだってわけか」


「おとぎ話なんて生易しいものじゃないよ」


 ハルはテントの隅に積まれた、回収された遺留品の山を指差した。銀色の甲冑の破片、装飾の施された長剣、そして粗末なクロスボウが乱雑に置かれている。


「あの銀色の鎧を着ていた兵士たちが持っていた羊皮紙の切れ端……まだ完全には解読できていないが、ラテン語の文法構造に似た言語規則がある。彼らには高度な階級社会があり、おそらくこの『ダークエルフ』たちを奴隷か下級兵士として使役している。これは文明と文明の衝突……いや、一方的な支配の痕跡だ。しかも、火薬を持たない中世レベルの技術力で、これほど強固な社会基盤を維持しているなんて」


 ハルの声には、未知の文明に対する抑えきれない好奇心と興奮が混じっていた。


「報告書をまとめるのに苦労してるみたいだな」


「ああ。死体と遺留品だけじゃ限界がある。彼らが何を信じ、どう生きているのか……生きた情報が喉から手が出るほど欲しいよ」


 ハルがコーヒーをすするのを見て、ジャックは小さく息を吐いた。


「生きた情報はともかく、死体の方は片付けさせてもらうぞ。いつまでも放置しておけば、疫病の原因になる」


「わかっているさ。サンプルは十分採った。あとは君たち警備班に任せるよ」


   * * *


 FOBの防衛線の外側、ゲートから少し離れた平原の端で、重機の駆動音が響いていた。


 孤島から持ち込まれた小型のショベルカーが土を掘り返し、巨大な長方形の穴を二つ作っている。

 

 一つは帝国兵の遺体のため。


 もう一つは、ダークエルフたちの遺体を埋葬するためのものだ。


「……本当に全部埋めるつもり? 三百人以上いるのよ」


 シャベルを手にしたクロエが、額の汗を拭いながらジャックに尋ねた。彼女の顔には疲労の色が濃い。


「放置すれば腐敗して病原菌が湧く。それに、血の匂いは野生動物を引き寄せる原因になるからな。基地のすぐそばに腐肉の山を置いておくわけにはいかない」


 ジャックは遺体袋に入れられた帝国兵の死体を、隊員たちと共に穴の底へ並べながら答えた。


「ジェイソンたちの遺体は?」


「すでに神殿経由で孤島の拠点へ送り返した。ボスが手配して、財団の規定通りに弔われるはずだ。……彼らの遺体を、こんな見知らぬ異世界の土に埋めるわけにはいかないからな」


「そう。衛生管理と、身内の弔い。財団らしい冷徹で合理的な理由だわ」


 クロエは皮肉めいた口調で言ったが、その視線はジャックの手元に向けられていた。


「それだけじゃない」


 ジャックは手を止め、無造作に転がっているダークエルフの遺体——粗末な革鎧を着た、まだ若い少年のような死体を見下ろした。


「どんな理由で俺たちを襲ったにせよ、死ねばただの肉だ。彼らには彼らの帰るべき場所があったはずだ。せめて、彼らが生まれ育ったこの世界の土に還してやるくらいの敬意は払っても、罰は当たらないさ」


 ジャックは少年の遺体をそっと抱え上げ、ダークエルフ用の穴へと丁寧に安置した。その動作には、財団の「異常存在を管理する」という冷たいマニュアルにはない、純粋な人間としての温かさがあった。


 クロエは少し驚いたようにジャックを見つめ、やがて小さく微笑んだ。


「あなたって、時々財団の人間らしくないことを言うわよね。……でも、嫌いじゃないわ」


「お褒めにあずかり光栄だ。手を動かせ、日が暮れるぞ」


 財団の兵士たちは、黙々と遺体を穴に並べ、上から土を被せていった。最後にジャックが、帝国兵の折れた長剣と、ダークエルフのクロスボウを、それぞれの墓標の代わりに土に深く突き刺した。




 ——その光景を、森の奥深く、鬱蒼と茂る木々の枝の上から見つめている二つの影があった。


 「兄さん……あの緑の服の人たち、何をしているの?」


 森の民らしい軽装に身を包んだダークエルフの少女、アリアが、木葉の隙間から双眼鏡のように両手で輪を作って覗き込んでいた。彼女の大きな耳が、不安げにピクピクと動いている。


「……埋葬だ」


 隣に潜む青年、ギルが、信じられないものを見るような低い声で答えた。


「我ら一族の遺体だけでなく、彼らを襲った帝国兵の遺体までも、丁寧に土に埋めている」


 ギルの瞳には、深い驚愕と、ある種の熱のようなものが宿っていた。


 ロウル帝国において、彼らダークエルフは「穢れた蛮族」であり、「肉の盾」であった。戦場で死ねば野晒しにされて獣の餌になるのが当然であり、帝国兵でさえ、身分の低い者はまともな墓など作ってもらえない。それがこの世界の常識だった。


 だが、あの恐るべき「雷の魔法」と「鉄の獣」を操る異邦人たちは違う。自らを殺そうとした敵に対してすら、死者としての敬意を払い、労力をかけて土に還しているのだ。


「アリア。彼らは、帝国のような野蛮な侵略者ではないのかもしれない」


 ギルは幹に手を当て、身を乗り出すようにして呟いた。


「圧倒的な力を持ちながら、死者を悼む高潔さを持っている。……もし、彼らと対話ができれば。彼らの力を我らの味方につけることができれば、我ら一族は、何百年も続く帝国の支配から解放されるかもしれない」


「えっ? でも、言葉も通じないし、あんな怖い武器を持ってるのに……」


 アリアは怯えたように首を振った。あの「鉄の獣」が帝国兵を赤い霧に変えた光景が、彼女の脳裏に焼き付いているのだ。


「だからこそだ。我々には、あのような絶対的な力が必要なんだ。帝国の鉄の鎧を打ち砕く力が」


 ギルの声には、切実な響きがあった。長年、帝国に一族の若者をすり潰されてきた彼にとって、ジャックたちの行動は「救済者」の条件を満たしているように見えてしまったのだ。


・・・それが、後に悲劇的なすれ違いを生む、過大すぎる期待であるとも知らずに。ギルは異邦人たちの姿を、祈るような目で見つめ続けていた。



   * * *



 夕刻。埋葬作業を終え、泥だらけになったジャックがFOBの指揮テントに戻ると、ハルが待ち構えていた。


「ジャック、次の作戦について提案がある」


「なんだ? 俺は疲れてるんだが。シャワーもないこの環境で、泥と血の匂いを落とす方法を考えていたところだ」


「明日予定されている、河川への水源確保作戦だ。僕たち調査班も同行させてほしい」


 ハルはタブレットを机に置き、真剣な顔で言った。


「ダメだ。まだ周辺の安全が完全に確保されたわけじゃない。あの帝国軍の残党が潜んでいるかもしれないし、野生の猛獣の危険もある。非戦闘員を森に連れて行くリスクは冒せない」


 ジャックは即座に却下した。


「だが、水源の近くには現地の生態系が集中する。それに、あのダークエルフたちの集落が森の奥にある可能性が高い」


 ハルは一歩も引かなかった。


「死体や遺留品からの推測はもう限界だ。彼らの言語、文化、そして帝国との関係性……それを知るには、生きた彼らとの『接触』が絶対に必要だ。僕の言語学の知識が役に立つはずだ。それに、財団本部も『現地の知的生命体に関する詳細なレポート』を要求してきている」


 ジャックは腕を組み、ハルの目を見つめ返した。


 ハルの言う通り、いつまでも引き籠っているわけにはいかない。孤島の水不足を解消するためには川へのルート確保と浄水設備の設置が急務であり、そこに現地の住民がいるなら、遅かれ早かれ接触は避けられない。


 そして何より、財団という組織は「未知の情報を収集すること」を至上命題としている。


「……いいだろう」


 ジャックは深く息を吐き、首の後ろを揉んだ。


「同行を許可する。ただし、条件が二つある。一つ、俺たち警備班の指示には絶対に従うこと。少しでも危険を感じたら、お前たちだけでもすぐにFOBへ引き返せ。二つ、もし現地住民と接触しても、こちらから敵対行動は絶対にとらないことだ。いいな?」


「約束するよ。ありがとう、ジャック。最高のフィールドワークになりそうだ」


 ハルは子供のように顔をほころばせ、準備のためにテントを飛び出していった。


「やれやれ……学者の好奇心ってやつは、弾丸より厄介だな」


 ジャックは誰もいなくなったテントで一人呟き、壁に掛けられた地図に目をやった。ドローンが上空から撮影した、広大な森と河川の航空写真だ。


 未知の森、未知の言語、そして未知の住民。


 翌朝、ジャックたちはFOBのゲートを開き、水源を求めて深い森へと足を踏み入れることになる。


 そこで待っているのが、帝国という巨大な支配の現実と、運命的な出会いであることを、彼らはまだ知らなかった。



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