EP 8
ポポロ村の頭脳、現る(金の匂いと異世界交渉)
「アホちゃうか、キャルル。あんな見ず知らずの男から貰った甘いもんに、ホイホイ釣られてからに」
草むらを掻き分けて現れた猫耳の青年——ニャングルは、呆れ顔でため息をつきながら、相棒である魔石の算盤をパチパチと弾いた。
「ニャ、ニャングル! 違うの、これは罠じゃないわ! だってすっごく美味しいんだもの!」
「お嬢様、お怪我がなくて何よりです。しかし、地面に座り込んでお口の周りを汚されるとは……淑女としてのマナーが足りませんな。後ほど、礼儀作法の再レッスンの時間を設けさせていただきます」
ニャングルの隣に立つ、完璧な燕尾服に身を包んだ長身の男——リバロンが、懐から純白のハンカチを取り出し、恭しい手つきでキャルルの口元を拭った。
「うげっ、リバロンの地獄のレッスン……。いや、でもこの甘味のためなら耐えられるわ!」
キャルルはウサ耳を垂れ下げて怯えたものの、口の中に残るチョコの余韻にすぐさま幸せそうな顔に戻る。
(……なんだ、この妙なコンビは)
信長は警戒を解かず、油断なく二人を観察した。
関西弁を喋る商売人風の猫耳の男と、異世界には似つかわしくない完璧な身なりの執事。だが、信長の『レンジャーとしての勘』が、この二人がただ者ではないと強烈に告げていた。
特に、優雅に微笑む執事の奥底から漏れ出す闘気のプレッシャーは、先ほどのキャルルにも匹敵、あるいはそれ以上かもしれない。
「……そちらの方々。ルナミス帝国軍の斥候かと思いましたが、見慣れぬ迷彩装束ですね。それに、その構えている鉄の杖からは、魔法の気配すら感じられません」
リバロンが、スッと細めた目で信長たちを射抜く。
「俺たちはルナミス帝国じゃない。『日本』という国から来た。俺は陸上自衛隊の坂上信長だ」
「ニホン? ジエイタイ? 聞いたことのない国やな」
ニャングルが怪訝な顔で首を傾げる。
信長は、威圧感を与えないようゆっくりとライフルを下げ、言葉を選びながら続けた。
「俺たちの国は、不測の事態でこの世界に国ごと『漂流』してきた。今は食料が決定的に不足している。……俺たちは、食料を分けてくれる『交渉相手』を探しに来たんだ」
「交渉、やと?」
その言葉を聞いた瞬間、ニャングルの空気が一変した。
やる気のない猫のような瞳が、獲物を狙う猛禽類のように鋭くギラつく。彼はツカツカと信長に歩み寄り、信長が着ている『防弾チョッキ(ケブラー繊維)』を遠慮なくベタベタと触り始めた。
「ちょっ、おい! 何すんだ!」
「……なんやこの繊維。ドワーフのミスリル編みより軽くて、アホみたいに丈夫そうやんけ。裁縫の継ぎ目も均一すぎて気味が悪い。職人の手作業やないな」
さらにニャングルは、信長の足元に落ちていたチョコの包装紙(アルミ蒸着フィルム)を拾い上げ、太陽の光にかざした。
「この包装紙も……魔法の気配が全くせえへんのに、水も油も完全に弾いとる。それにこの光沢……。未知の素材や。大陸屈指の『ゴルド商会』に籍を置く俺の目利きでも、作り方が全く想像つかん」
ニャングルはゴクリと唾を飲み込み、手の中の算盤を強く握りしめた。
「こ、これ……とんでもない儲けの匂いがプンプンするで……!」
完全に商人の顔(金の亡者の顔)になったニャングルを見て、リバロンが静かに一歩前に出た。
「お客人。我が村の財務担当が、貴方様の持ち物に強い『価値』を見出したようです。商談をご希望であれば、まずは後ろの部下の方々の武器を下げていただきましょうか」
リバロンは懐から一枚の『名刺』を取り出した。
「私は執事たるもの、武器などという野蛮なものは持ちませんが……」
——シュッ!!
リバロンが指先で名刺を弾いた瞬間。
名刺は闘気を纏った『見えない刃』となり、信長の横にあった太さ数十センチの立ち木を、まるでバターのようにスッパリと両断した。
ズシン、と重い音を立てて木が倒れる。
「……名刺一枚で、貴方様方の喉笛を掻き切る程度の嗜みはございますので」
「っ……!」
背後の隊員たちが息を呑む。
銃弾の補充が利かない今、この距離で化け物じみた身体能力を持つ執事と戦闘になれば、確実に何人かの命が消える。
信長は冷や汗を流しながらも、一切の動揺を見せず、背後に手信号を送った。
「……銃を下ろせ。彼らは敵じゃない」
「隊長!」
「下ろすんだ。俺たちの任務は『買い出し』だ。商売人相手に銃を突きつける馬鹿がいるか」
信長の冷静な判断に、リバロンは感心したように口元を綻ばせ、深々と一礼した。
「素晴らしいご判断です、信長様。歓迎いたしますよ」
「まあまあ二人とも! 堅苦しい話は後にして、村に案内しましょうよ!」
キャルルがウサ耳をパタパタと揺らしながら、信長の腕をグイッと引っ張った。
「あなたたち、お腹空いてるんでしょ? うちの村の『特産おでん』をご馳走してあげる! だから……さっきの甘いの、もっとちょうだいね!!」
完全にチョコで買収された村長の無邪気な笑顔に、信長は毒気を抜かれてため息をついた。
「しゃあないな。キャルルがそう言うなら歓迎したるわ。……それに、あんたらの背後にある『国』とやらには、もっとおもろいモンがありそうやしな」
ニャングルが算盤を弾きながら、ニヤリと笑う。
異世界の凄腕商人と完璧な執事が、日本側の「未知の価値」に完全に食いついた。
ここから戦場は、銃弾と闘気が飛び交う森から、金貨と欲望が渦巻く「交渉のテーブル」へと移る。
信長たち特務部隊は、1400万人の胃袋を救うため、ポポロ村の奥へと足を踏み入れたのだった。




