EP 7
近代歩兵VS死狂いの豹
月明かりすら木々に遮られた、暗緑色の密林。
そこは、豹耳族であるハガルにとって文字通りの「独壇場」であった。
「……遅い」
木立の頭上から、冷酷な声が降ってくる。
信長が声のした方向へナイフを構えた瞬間、すでにハガルの姿はそこにはなかった。
(上じゃねえ、右か!)
信長がコンバット・シャベルを横に薙ぎ払おうとした直前、彼の死角である「真下」の茂みから、凄まじい推進力で飛び出してきたハガルの鉄爪が、信長の脇腹を浅く切り裂いた。
「チィッ……!」
血しぶきが舞い、信長は苦悶の表情を浮かべながら泥濘を転がって距離を取る。
ハガルの戦法は、騎士同士の誇り高き一騎打ちなどでは断じてない。
三次元空間を縦横無尽に飛び回り、敵の意識の隙間へと最小単位の部隊(自分自身)を浸透させる、極めて近代的な「機動戦」だ。
さらに恐ろしいのは、彼が防御を一切考えていないことである。
「なぜ追ってこない? 貴様が休んでいる間にも、私の爪は貴様の肉を削ぎ落とすぞ」
音もなく信長の頭上の枝に降り立ったハガルが、血に濡れた鉄爪を舐めながら見下ろす。
普通、攻撃を仕掛ける際は、敵の反撃を避けるための「退路」を無意識に確保するものだ。しかしハガルは、刺し違えてでも相手の急所を抉るという、異常な「死への執着」を持っていた。
己の命を弾丸のように使い捨てる覚悟。それがハガルの動きから「予測の糸口」を完全に奪っている。
(……マジでバケモンだ。俺がナイフでカウンターを合わせようとしても、構わず突っ込んできやがる。相打ちになれば、基礎体力で劣る俺が先に死ぬ)
信長は、荒い息を吐きながら傷口を押さえた。泥と血が混ざり合い、ひどい有様だ。
自衛隊のレンジャー訓練で幾度も極限状態を経験してきた彼でさえ、これほどまでに純度の高い「死の意思」と対峙したのは初めてだった。
ザッ、と枝が揺れる音。
再びハガルが動いた。今度は一直線に、信長の眼球を狙って急降下してくる。
「シィィッ!!」
信長は咄嗟にシャベルの面を盾にするが、ハガルは空中で体を捻り、シャベルの縁を蹴って軌道を強引に変更。そのまま信長の背後へと着地し、後ろ回し蹴りで彼の背中を強打した。
「ガハァッ……!!」
内臓を揺るがす衝撃。信長は数メートル先の泥水溜まりへと顔から突っ込み、激しくむせた。
「……終わりか。言葉の威勢ほど、その牙は鋭くなかったようだな」
ハガルが、ゆっくりと泥だらけの信長へと歩み寄る。
「帝国を退けたチキュウの力、その程度なら我が国が恐れるに足らず。……大人しく、その泥に沈んで死ね」
ハガルが止めを刺すべく、右手の鉄爪を高く振り上げた。
全身を泥水に浸し、息も絶え絶えの信長。誰の目にも、勝負は決したように見えた。
だが。
泥水の中から、ゴポォッ、と泡が弾ける音がした。
「……ハァ……ハァ……。誰が、終わったって……?」
信長は、折れかけた両腕で泥を掴み、ゆっくりと、しかし確実に立ち上がった。
脇腹からは血が流れ、泥水が目に入って視界は最悪だ。だが、その両目には、いまだに強烈な「生への執念」が灯っていた。
(……カジキはまだ、俺の糸の先にいる。どれだけ引きずり回されようと、絶対に手は離さねえ)
圧倒的な力の差を見せつけられても、彼の心は一ミリも折れていなかった。
むしろ、極限の死地にあって、彼の脳裏には親父(真一)から叩き込まれた実戦の理合が、氷のように冷たく澄み渡り始めていたのだ。
「……まだ立つか。無駄な足掻きを」
「足掻き? 勘違いすんなよ、ヒョウの旦那。……俺は今、あんたの『動きのクセ』をデータ化してたとこなんだよ」
信長は、血の混じった唾を泥の中に吐き捨て、タクティカル・ナイフを逆手に構え直した。
「あんたは強え。死を恐れてねえから、動きに迷いがねえ。……だがな、死を前提にした攻撃ってのは、逆に言えば『絶対に退かねえ』ってことだ」
信長の言葉に、ハガルの眉がピクリと動いた。
「俺たちチキュウの兵士は、生き残るために戦う。だから、退くべき時は退くし、逃げる時は逃げる。……だが、あんたのその真っ直ぐすぎる狂気(一直線の軌道)は……俺から見りゃ、馬鹿みたいに分かりやすい『的』なんだよ」
泥まみれの男の口元が、ニヤリと歪んだ。
圧倒的な劣勢の中で、信長は自らの血と泥を代償にして、ハガルの「死生観の底」にある唯一の弱点を的確に見抜いていた。
「……減らず口を」
ハガルの全身から、先ほどまでとは比べ物にならない強大な殺気が噴き上がる。
「ならば、その目で捉えてみせよ! 私の死が先か、貴様の首が飛ぶのが先か!」
ハガルが、木々を消し飛ばすような凄まじい踏み込みで信長へと突撃する。
対する信長も、逃げることなく、ナイフとシャベルを構えてその狂気の正面へと突っ込んでいった。
ジャングルの奥深く、泥と血に塗れた第二ラウンドが、極限のテンションで火蓋を切った。




