EP 10
猟犬の葛藤と、戦術兵器のウサギ
ポポロ村の境界線。
夜風が木々を揺らす中、ルナミス帝国・近衛騎士団長リカオンは、精鋭数十名を率いて漆黒の森を無音で進んでいた。
彼の目には、もはや一切の迷いがない。
情報網をズタズタにされ、経済は混乱の極み。帝国というシステムが内側から崩壊しかけている今、残された道は「力」でこの緩衝地帯を焼き払い、日本の喉元に物理的な楔を打ち込むことだけだった。
(すべては我が背に。地獄に落ちるのも、泥を被るのも、私一人で十分だ)
リカオンが短剣の柄に手をかけた、その時。
「——よせ。それ以上進めば、帰れなくなるぞ」
月明かりの下、森の獣道に一人の男が立ち塞がっていた。
出雲艦隊総司令・坂上真一。
迷彩服姿の彼は、口にくわえた『ハイライト』の煙をゆっくりと吐き出しながら、腰に提げた日本刀の鯉口をカチンと親指で切った。
「……チキュウの将軍か。どけ。我々に言葉を交わす余地はない」
リカオンの全身から、凄まじいまでの殺気が膨れ上がる。
だが、真一は紫煙の向こうで、静かに、そして極めて自然体で立っていた。構えすら無い。ただ、どこから打ち込んでも斬り返されるような、底知れぬ「静の圧力」がそこにあった。
(……この男、隙がない。ただ剣を振るうだけの兵士ではない。実戦の地獄の底で、削り出されたような合理の剣だ)
「抜かねえのか?」
真一が問いかける。
「……ッ!!」
リカオンが動いた。
瞬きすら置き去りにする帝国の神速の踏み込み。漆黒の短剣が、真一の首魁へと音もなく迫る。
しかし、真一は慌てることなく、半歩だけスッと軸足をずらした。
ギリィッ!
刃が首の皮一枚を掠める。と同時に、真一の抜刀がリカオンの鎧の腹部を浅く、しかし確実に斬り裂いた。
「チィッ!」
リカオンが後方に跳び退く。
互いに無言。一切の無駄口を叩かず、ただ最短距離で相手の命を奪うことだけを目的とした、極限まで研ぎ澄まされた合理の殺し合い。
何度打ち合おうと、真一の剣はリカオンの殺意を水のように受け流し、的確に反撃の牙を剥く。
(……一対一で抜ける相手ではない。だが、ここで時間をかけるわけにはいかない!)
リカオンは冷静に状況を判断し、背後に控える重武装の精鋭部隊に向けてハンドサインを送った。
『私はこの男を抑える。お前たちは村へ向かえ。何であれ、火を放て』
指示を受けた十数名の帝国兵が、真一を迂回してポポロ村へと向かって突撃を開始する。
真一はそれを追おうとしなかった。ただ、短くなったタバコを地面に落とし、靴の裏で踏み躙った。
「……言っただろうが。帰れなくなるぞってな」
真一の視線の先。
突撃していた帝国兵たちの頭上——夜空の彼方から、空気を切り裂くような異音が響いた。
ヒュォォォォォォォォッ!!!
「なんだ……!? 上から何かが落ちてくる!」
帝国兵の一人が空を見上げる。
それは、月を背にして落下してくる一つの「影」だった。
いや、ただ落ちてきているのではない。
ポポロ村村長・キャルルは、空中の「空気の壁」や巨木の枝を凄まじい脚力で蹴り渡り、ピンボールのように不規則に軌道を変えながら急降下してきていた。
空中で加速と攪乱を繰り返す変幻自在の軌道——【乱れ流星脚】。
「な、なんだあの動きは! 捉えられん!」
「防御陣形! 魔力障壁を最大出力で張れ!!」
帝国精鋭部隊が密集し、何層にも重なる分厚い光の盾を展開する。
だが、空中のキャルルのウサギ耳がピンと立ち、彼女の特注の靴に仕込まれた『雷竜石』が、限界突破の輝きを放った。
『あんたたちの相手は、アタシよッ!!』
キャルルは空中で一回転し、すべての運動エネルギーと1億ボルトの紫電の雷光を右足のつま先に収束させる。
【超電光流星脚(スーパー・ライトニング・メテオ・ストライク)】!!
マッハ1の壁を突破した衝撃波が、空気をプラズマ化させて白く発光する。
それはもはや格闘技の技ではない。
1,000メガジュール、実に277トンの衝撃を伴った、一人の少女の姿をした『戦術核』の直撃であった。
——ズドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!
轟音と共に、帝国軍の誇る魔力障壁は薄紙のように消し飛び、大地がすり鉢状に吹き飛んだ。
凄まじい衝撃波と紫色の稲妻が森を薙ぎ払い、突撃を企てていた精鋭部隊の巨漢たちが、木の葉のように空の彼方へと弾き飛ばされていく。
「……なっ、バカな……ッ!?」
剣を構えたまま、リカオンは絶望的な光景に戦慄した。
クレーターの中心。濛々と立ち込める土煙を晴らしながら、キャルルが着地する。
彼女の足元からはパチパチと紫電が奔り、その周囲数十メートルは完全に焦土と化していた。
「あーあ、村の前庭がボロボロじゃない。……修理代、高くつくわよ?」
キャルルはトンファーを肩に担ぎ、ポケットから飴玉を取り出して口に放り込んだ。
絶対的な覚悟で挑んだ帝国の猟犬の前に立ち塞がったのは、理を極めた老練な剣士と、理不尽の極みである一億ボルトのうさぎ。
力で盤面をひっくり返そうというリカオンの最後の希望は、圧倒的な「物理法則(暴力)」の前に完全に叩き潰されたのであった。




