EP 6
天は自ら助くる者を助く
「なっ……なんだ、あの速度は!?」
ルナミス帝国・近衛騎士団長リカオンは、思わず目を疑った。
月明かりに照らされた森を、紫電の軌跡を描きながら突撃してくる小柄な少女。
ポポロ村の村長、月兎族のキャルル。
彼女の放つ闘気は、一介の村長が持ち得るような代物ではない。
数分前、ポポロ村の執務室。
帝国軍が村への工作に失敗し、日本の特使である信長たちが交戦に入ったという報告を受けたキャルルは、無言でダブルトンファーを手に取っていた。
『アカン、キャルル! 帝国軍を直接殴ったら、中立の建前が崩れるニャ! 防衛省の部隊に任せるニャ!』
ニャングルが慌てて制止したが、キャルルは振り返りもしなかった。
『誰かが助けてくれるのを待って、ただ震えているだけの村に、未来はないわ。天は自ら助くる者を助く……自分の足で立たない人間は、結局誰かの奴隷になるのよ』
中立とは、誰かに守ってもらうことではない。自らを侵す者に対して、自らの力で牙を剥くことができるという「力」の証明だ。それが彼女の腹の底にある『自助論』の精神だった。
そして今。満月の光を全身に浴びたキャルルは、最強の暴走状態にあった。
「迎撃しろ! 魔力障壁を張れ!」
リカオンの指示で、工作員たちが一斉に防陣を組む。
だが、キャルルはクラウチングスタートの姿勢から、特注の靴に仕込まれた『雷竜石』の魔力を完全解放した。
「遅いわよ、猟犬さんたち! 【超電光流星脚(スーパー・ライトニング・メテオ・ストライク)】!!」
ドゥンッ!!
という、空気を圧縮して爆発させたような音。
マッハ1を超えた飛び蹴りが、工作員たちの魔力障壁をガラスのように粉砕し、先頭の男の胸板に直撃した。
「ガハァァッ!?」
33,750ジュールという、小型ミサイルに匹敵する運動エネルギー。帝国兵は胸骨を砕かれ、数十メートル先の巨木まで吹き飛ばされて血を吐いた。
「バカな……一撃で……!」
リカオンが戦慄する。だが、悪夢はこれで終わりではなかった。
「あーらら、やりすぎちゃったわね。死なれちゃ色々と面倒だし」
キャルルは一瞬で吹き飛んだ兵士の横に移動すると、瀕死の彼に優しく手をかざした。
『癒しの月光』。月兎族の強力な回復魔法が発動し、兵士の砕けた胸骨がみるみるうちに繋がり、体力が完全回復する。
「あ、あれ……? 痛く、ない……?」
「良かったわね、治って。じゃあ……第二ラウンド、いくわよ」
「えっ」
バキィィィィンッ!!
キャルルは『月影流 顎砕き』——トンファーで敵のガードを崩し、闘気を纏った膝蹴りを回復したばかりの兵士の顎にクリーンヒットさせた。
「アビブッ!?」
兵士は白目を剥いて天高く舞い上がり、そのまま地面に深々と突き刺さって完全に気絶した。
『回復させてから、もう一度殴る』という、鬼の所業。それを見た他の帝国兵たちが、恐怖に後ずさりする。
「お前らも行くわよ! 【月影流 乱れ鐘打ち】!!」
キャルルが敵陣の中心に飛び込み、特注の靴による連続回し蹴りを放つ。
美しい武術の型ではない。彼女の戦い方は、極めて合理的で泥臭い『実戦』そのものだった。
目潰し、金的、関節折り。剣豪・宮本武蔵の『五輪書』に記された「勝つために使えるものは何でも使う」という徹底した殺意のプラグマティズム。彼女のダブルトンファーは、敵の剣を的確に叩き折り、装甲の隙間を容赦なく叩き割った。
「くそっ、囲め! 隙を作れ!」
部下たちが蹂躙される中、リカオンは己の気配を完全に消し、キャルルの死角——背後へと回り込んだ。
いかに強大な力を持とうと、生き物である以上、死角からの不意打ちは避けられない。漆黒の短剣が、キャルルの首筋へと音もなく伸びる。
(……もらった)
リカオンが確信した瞬間。
「……猟犬にしては、足音が大きすぎるわよ」
キャルルのウサギ耳がピクリと動き、振り返るよりも早く、彼女は背後に向かって後方回し蹴りを放った。
月兎族の鋭敏すぎる聴覚と嗅覚。彼らに死角など存在しなかったのだ。
「チィッ!!」
リカオンは咄嗟に腕を交差させて防御したが、その凄まじい衝撃に腕の骨が軋み、数メートル後方へと弾き飛ばされた。
「……団長!!」
「……引くぞ」
リカオンは、ジンジンと痺れる腕を押さえながら、冷静に撤退を命じた。
暗号通信は日本の特A級AIエンジニアに奪われ、村には理解不能な物理戦闘力を持つ村長がいる。そして、脇腹を押さえながらも、虎視眈々と自分を狙うチキュウの特使(信長)。
これ以上の戦闘は「部隊の全滅」を意味すると、彼の冷徹な計算回路が警告を発していた。
「今日は引こう。……だが、我がルナミス帝国に逆らったこと、いずれ後悔することになる」
リカオンが魔力による煙幕玉を地面に叩きつけると、黒煙と共に彼ら『黒犬』部隊の姿は森から完全に消え去った。
「……逃げたか」
信長が、泥まみれのまま安堵の息を吐き、ドサリと地面に座り込んだ。
脇腹の傷が痛み、意識が遠のきかける。
「ちょっと! 大丈夫、特使のお兄さん!?」
キャルルが慌てて駆け寄り、信長の傷口に手をかざす。
柔らかな月の光が傷を包み込み、引き裂かれた肉が魔法のように塞がっていく。
「……悪いな、村長サン。助かったよ」
信長は苦笑しながら、血で汚れた手でキャルルの頭をポンポンと撫でた。
「ふ、ふんっ! 勘違いしないでよね。アタシは自分の村を守っただけなんだから!」
キャルルはウサギ耳を真っ赤にしてそっぽを向いたが、そのポケットから飴玉を一つ取り出し、信長の口に無理やり突っ込んだ。
「でも……アンタ、泥だらけになって最後まで諦めなかったじゃない。そういう根性あるヤツ、嫌いじゃないわ」
かくして、帝国によるポポロ村のインフラ破壊工作は、日本側の特A級の監視網と、泥まみれの特使、そして自立心(自助論)に目覚めた月兎族の村長によって完全に粉砕された。
だが、この局地的な敗北が、大帝国を動かす「皇帝」の冷徹な知性を、さらに一段階引き上げることになるのである。




