EP 3
執事の復讐と、猫の監視社会
ポポロ村の夜は、文字通り「死の静寂」に包まれていた。
ルナミス帝国軍・非合法工作部隊『黒犬』の第一班は、完全に気配を絶ち、村の貯水施設へと到達した。
彼らの身に纏うのは、帝国最高峰の魔導士が付与した『不可視の隠蔽術』。肉眼では見えず、魔力探知にも引っかからず、足音すら風の音に同化する。
工作員の一人が、貯水タンクのバルブへと音もなく手を伸ばした。ここに遅効性の魔力毒を仕込めば、任務は完了する。
——だが。
「……にゃはは。綺麗に真っ赤っかニャ」
村の地下に密かに増設された、薄暗いモニタールーム。
いくつもの液晶画面が煌々と光るその部屋で、ニャングルはカリカリと小魚の干物をかじりながら、モニターの『熱源映像』を指差した。
『不可視の魔法』は、可視光線を屈折させて姿を消す技術だ。
だが、人間の体から発せられる「熱(赤外線)」までは隠し切れない。モニター上には、貯水タンクに群がる工作員たちの姿が、真っ赤な人影としてくっきりと映し出されていた。
「魔法で目隠ししたつもりでも、チキュウの『電子の目』からは逃げられんのニャ。……いやはや、1400万人の都市を管理する『監視網』とは、恐ろしいもんニャ」
ニャングルの瞳に、商人特有の冷酷な光が宿る。
すべてを可視化し、情報を統制する。誰がどこで何をしているか、絶対的な権力のごとく監視し、管理する。商売において「情報の非対称性」こそが最大の武器であることを、彼は骨の髄まで理解していた。
「さあ、リバロン。彼らが『一番いい気になっている』タイミングだニャ」
「ええ。では、おもてなしをしてまいりましょう」
インカムから聞こえる執事の静かな声。
モニタールの画面端で、人狼の影がスッと動いた。
貯水施設。
工作員がバルブに毒の小瓶を差し込もうとした、まさにその瞬間である。
「——夜分遅くの御入村、ご苦労様に存じます」
暗闇から、極めて流麗で、慇懃無礼な声が響いた。
「なっ……!?」
工作員たちが一斉に短剣を抜き、声のした方向を振り向く。
不可視の魔法をかけているはずの自分たちを、完全に『視認』している。
そこに立っていたのは、純白の手袋をはめ、折り目正しい燕尾服に身を包んだ人狼——ポポロ村宰相、リバロンであった。
彼は月明かりの下、優雅にティーカップを片手に持っていた。
「帝国の隠密術、実に見事な練度です。かつて私が仕えていた腐敗貴族の私兵どもとは、比べ物にならない。……しかし、少々『己の完璧さ』に依存しすぎている」
「何者だ……! なぜ我々の気配に気づいた!」
工作員の一人が、殺気を剥き出しにしてリバロンに飛びかかる。
帝国軍の精鋭の素早い踏み込み。短剣がリバロンの喉元を寸分の狂いなく捉える。
だが、リバロンはティーカップの紅茶を一滴もこぼすことなく、ただスッと首を傾けただけでそれを躱した。
「……真の復讐、あるいは反撃というものは。相手が『絶対に成功した』と油断し、最も誇り高き頂に達したその一瞬を狙って、足元をすくい落とすものです」
リバロンの懐から、銀色の『名刺』が数枚、手品のように滑り出た。
人狼の強力な『闘気』が、薄い紙切れを極上の刃へと変える。
「耐え難きを耐え、完璧な機が熟すのを待つ。……我が『忠臣蔵』の美学、とくとご覧あれ」
シュパァァァッ!!
リバロンの指先から放たれた数枚の名刺が、夜気を切り裂いて飛翔した。
それは工作員たちの肉体を傷つけることなく——彼らの手首の腱の『皮一枚外側』を掠め、握っていた短剣の柄、そして腰の魔力ポーチの留め具だけを、極めて正確に切断した。
「ガッ……!?」
「ば、馬鹿な! 紙切れで鋼の短剣を……!」
武器を落とし、不可視の魔法の起点となっていた魔道具を破壊された工作員たちの姿が、月明かりの下にボロボロと露わになる。
「さあ、お引き取り願いましょうか。我々はあくまで『中立』。血を流す野蛮な真似は好みませんので」
リバロンは深く一礼し、ゆっくりと紅茶をすする。
「……退けッ!」
インカム越しに、部隊を率いるリカオンの鋭い撤退命令が飛んだ。
(なぜだ……! なぜ我々の動きが、完璧に読まれている!?)
森の奥で指揮を執っていたリカオンは、戦慄とともに歯を食いしばった。
情報が漏れていたのか? いや、それだけではない。相手は自分たちの侵入経路から、目標地点、さらには『今の動き』まで、一寸の狂いもなく把握している。
(……この村そのものが、巨大な『蜘蛛の巣』だというのか)
リカオンは、己の感情を強制的にシャットダウンした。
怒りや焦りは、部隊を全滅させる。被害を最小限に抑え、速やかに次善の策へと移行する。それが、彼の冷徹な自己規律だ。
「全班、直ちに作戦を放棄し、撤退ルートBへ向かえ! この村には、我々の理解を超えた『何か』がある!」
闇に溶け込むように、帝国兵たちが村から逃げ出していく。
だが、それすらも。
「……にゃはは。逃げ道も、全部丸見えニャ」
地下のモニタールームで、ニャングルは逃走する彼らの熱源反応を一つ残らずトラッキングしていた。
彼は手元の魔導通信石のスイッチを入れる。通信の先は、日本の防衛省地下深く——。
「こちらポポロ村。ネズミどもは、見事に罠のど真ん中へ逃げていったニャ。……あとは頼んだニャ、『特A級』のお姉さん」
『ええ、確認しました。……監視網の構築、及びハッキングの準備、完了です』
通信機から返ってきたのは、甘いものをかじりながらキーボードを叩く、どこか気怠げな、しかし圧倒的な自信に満ちた若い女の声だった。
剣と魔法の誇り高き猟犬たちが、現代日本の『特A級AIエンジニア』の構築した絶対的ルールの盤上へと、自ら足を踏み入れた瞬間であった。




