EP 3
F-35Bの変態機動と、異界の洗礼
護衛艦『いずも』の飛行甲板。
鼓膜を揺らす強烈なジェット爆音が、異世界の淀んだ空気を切り裂いていた。
「あー……チェック、チェック。こちら『スリープ・ワン』。平上です。計器異常なし。……つーか総司令、これ労基に引っかかりません? 俺、今日の夜は六本木で看護師の姉ちゃんたちと合コンの予定だったんスけど」
F-35B ライトニングIIのコックピット。
航空自衛隊1等空尉・平上雪之丞は、ヘルメットのバイザー越しに大きくアクビをしながら通信マイクに愚痴をこぼした。
『泣き言をほざく暇があるなら、とっとと飛べ不良債権。帰ってきたら借金の利子をオマケしてやる』
「マジすか! 言質取りましたからね!」
総司令・坂上真一の冷たい声に、雪之丞は現金なまでに声を弾ませた。
F-35Bのエンジンノズルが下方を向き、リフトファンが甲板の空気を強烈に叩きつける。短距離離陸(STO)モードに移行した漆黒のステルス戦闘機は、ふわりと巨体を浮かせると、そのまま異世界の紫がかった空へと滑り出していった。
高度1万フィート。
雪之丞は、眼下に広がる絶望的な光景をHUD越しに眺めていた。
「こりゃあ、ひでえな……」
本来なら東京湾から太平洋が広がるはずの海域は、巨大な滝となって底知れぬ断崖へ落ち込んでいる。そして陸地側は、ビル群を飲み込むように、地平線の彼方まで『見たこともない巨大な樹海』が続いていた。
GPSは完全に沈黙。慣性航法装置と光学カメラだけが頼りの、文字通りの有視界飛行である。
『スリープ・ワン。高度下げろ。上の雲、大気成分が地球と全然違う。エンジンの吸気に影響出るかもしれないから気をつけてよね』
通信から、特A級AIエンジニア・蘭の気怠げな声が響く。
「へーい、了解っす。っと……お?」
雪之丞が操縦桿を倒そうとしたその時、機体のレーダー警戒受信機(RWR)とは別の、光学センサー群が『熱源』を捉えた。
前方、眼下に広がる分厚い雲海。
そこから、巨大な影が次々と急上昇してくる。
「……鳥? いや、デカすぎるぞ。おいおい、嘘だろ」
雲を突き抜けて現れたのは、翼幅15メートルを超える巨大な爬虫類——巨大な皮膜の翼を持ち、全身を赤銅色の鱗で覆った『ワイバーン(飛竜)』の群れだった。その数、およそ20体。
「総司令。……ファンタジーのお出ましっす。トカゲに羽が生えたような連中が、こちらをロックオンしてますよ」
『……敵対行動をとるなら撃ち落とせ。我々の力を知らしめろ』
坂上の短い命令。雪之丞は「了解」と呟き、ため息をついた。
「あーあ、せっかくの合コンが。パパッと終わらせて定時退社と行きますか」
ワイバーンの群れが、一斉に口を大きく開いた。
その喉の奥で異常な高熱が練り上げられ、次の瞬間、F-35Bへ向けて数十発の『火炎弾』が放たれた。それは魔法という未知の法則によって生み出された、対空砲火のような弾幕だった。
「遅えよ」
雪之丞の目が、チャラ男のそれから「エース」の極低温へと切り替わる。
彼はスロットルを操作し、水平飛行のまま機体の推力偏向ノズルを強引に下へ向けた。
通常の航空力学ではあり得ない『変態機動』。
時速800キロで飛行していたF-35Bが、空中で突然急ブレーキをかけたかのようにピタリと停止し、そのままエレベーターのように高度をストンと落としたのだ。
火炎の弾幕が、機体の鼻先数十センチの空間を虚しく通過していく。
「さて、お返しだ」
空中で姿勢を立て直した雪之丞は、ウェポンベイ(兵装庫)を開放。
ヘルメットの視線入力で、眼下のワイバーンたちを次々とロックオンする。
「フォックス・ツー(赤外線誘導ミサイル発射)」
放たれた2発のAIM-9X サイドワインダーが、白い飛行雲を引いて空を切り裂く。
音速を超える現代兵器から、生物が逃げ切れるはずもない。ミサイルはワイバーンの群れの中央に突き刺さり、鼓膜を破るような爆発と共に、数体の飛竜を血肉の雨に変えた。
「ギャァァァアアッ!?」
残ったワイバーンたちが恐慌状態に陥り、散開しようとする。
だが、雪之丞はそれを逃さない。機体を鋭く傾け、機関砲のトリガーを引いた。
——ブゥゥゥアアアアンッ!!
毎分3000発以上という狂気の連射速度で放たれる25mm機関砲弾が、逃げ惑う飛竜たちの翼を、鱗を、肉体を、まるで濡れた紙のように次々と引き裂いていく。
魔法も闘気も関係ない。圧倒的な「科学力」による一方的な蹂躙劇。わずか数十秒で、空を支配していたはずの飛竜の群れは、ただの肉塊となって樹海へと墜落していった。
「ふぅ……作戦終了。空の掃除、終わりましたよ」
雪之丞は首をポキポキと鳴らしながら、コックピットのディスプレイに目を落とした。
その瞬間、彼の余裕の表情がピタリと止まる。
HUDの隅に緑色で表示された『残弾数(AMMO)』のカウンター。
たった数十秒の戦闘で、ミサイルを2発消費し、バルカンの残弾はすでに半分を割っていた。
(……補充の利かない弾丸、ね)
地球にいれば、基地に帰れば湯水のように補給されるはずの武装。
だが今の彼らは、弾を撃ち尽くせばただの「鉄の塊」になるという、薄氷の上に乗っている。
「……総司令。敵機殲滅。ただし、うちの財布の紐はかなり厳しいっスね」
雪之丞はヘルメットの中で小さく毒づき、スロットルを押し込んだ。
「あれがドラゴン? マジで? ……いや、これ絶対残業代出ますよね? つーか出してもらわないと困るんスけど!!」
現代兵器は無敵だ。
だが、この異世界において、彼らが持つ「暴力のカード」は有限であるという冷酷な現実が、雪之丞の背筋に冷たい汗を伝わせた。




