幕間 移民達の幻想郷
ん、なんだい。
おまえさん、いつも新聞をばら蒔いてる天狗の子だろう。あたしに何か用かい?
え? 子供扱いされる年じゃないって? そら失礼。そんな可愛いナリだから、てっきりねぇ。…え、何々……
……あらやだ、あんた、私の何十倍も長生きだってのかい。いやいや、人は見かけによらないもんだね。
ああ、妖怪ってのは、そういうもんだったね。
いやなに、あたしもまだまだ、この土地の「常識」って奴に馴染めてないもんだからさ、あたしの生まれた昭和って時代じゃ、オバケはオバケ。オバケが何年生きた、なんてこたぁ、気にしないもんでね。
で、あんたは、わたしに何を聞きたいんだい? 向こうの生活がどんなもんかって事かい? それとも……
……はっはぁ、やっぱりかい。
ああそうだよ。あたしがあっちにいた時は、まだまだ、色んな奴がいたもんだよ。
人面犬やら花子さんやら、腰から上だけのテケテケっていう女の子だとか、校庭から生える手だとか、モナリザだとか…
…え、モナリザが何かって? あれは昔の偉い人が描いた絵だよ。気味の悪い感じの奴でね、夜中になると、にゅーって手を伸ばして首を絞めてくるのさ。
まあ、とにかく、あたしがあっちにいた頃は、子供はみんな、オバケを怖がって、怖がって、楽しんでたよ。
そうだよ。楽しんでたのさ。そりゃ、怯えきった子もいたけれど、怖い話にゃ切り抜ける手段って奴が、大抵あったからね。
みんな、オバケなんている筈無いと言いながら、心の底じゃあ信じてるのさ。
自分のわからんモノが、まだまだ世の中にある筈だってね。
……思い返して見ると、あたしがあっちにいた頃が、あっちのオバケの黄金期だったんだろうねぇ。
大人はオバケを信じない。信じないから抗えない。夜の闇の怖さを、言い訳せずに受け入れなければならない。
怖いのにねぇ、夜。
あの頃の電灯なんかは、どうにも不自然だったし…
でも、子供達は言い訳をする。夜がこわいのはオバケのせいだ。オバケは悪者だってね。
…そんでもって、愛されたのさ。悪役達は。
怪談を好まない子なんて、滅多にいなかった。みんな、帰りの道を怖がって、夜の学校に想いを馳せて、どこそこ県の幽霊話に、ぎゃあぎゃあ騒いでいたものさ。
だからさ、あの頃は食うに困る妖怪なんていなかった筈だよ。
夜の町で息すりゃ、大人達の剥き出しの恐れを吸い込めたし、子供らのとこにいけば、尾びれ背びれに胸びれ腹びれ、色んな土産を持たされた。
食うに困る道理が無い。
人も妖怪も、飽食の時代だったよ。
……あたしかい。
あたしもあっちじゃ、随分はっちゃけたよ。
多分、あたしの事を知らない奴なんて、いなかったんじゃないかなぁ。
妖怪口裂け女ってね。あたしはそう呼ばれてたよ。
…ああ、口? これはね…
その、あれだよ。
人里で暮らすにゃ、あの顔はきっついからね。普段からあんなに裂いちゃいないよ。
…見たいって?
いや、そうは言われてもねぇ、あたしにも体面ってものがあるからね。あんたの新聞であたしの素顔をばら蒔かれたら、里の子供達が怖がるだろ?
妖怪らしくない? 言ったじゃないか。あたしはまだ、こっちの「常識」に慣れてないって。
だからお断りだよ。
…どうしてもって言われても、駄目だよ。あたしはここでのんびり暮らしてるんだから。
……はぁ~、仕方無いね。一度だけだよ。ここじゃ不味いから、あたしの家に来てちょうだい。
ほら、あそこの長屋の、右端だよ。…ほんと、久しぶりだね…………
…………さあ、上がって上がって。狭いけど、それは我慢してちょうだいよ。
……さてと、じゃあ、まずはあんた、そこの化粧台を見てごらん。
どうだい、結構色んな化粧品があるだろ。集めるのに苦労したよ。あの、空気の悪い森んとこの道具屋で、少しずつ買い集めたんだ。
身嗜みは大切だからね。
その口紅なんて、とんでも無い値段を吹っ掛けられたんだよ。紅は高く売れるからね。そこの香水も……
……ああ、ごめんごめん、あたしの自慢話なんて、聞きたかないわね。
…それじゃあ、その鏡を見てごらんよ。
なかなかの器量良しが二人、並んで映っているだろう?
…いや、冗談さ。あんたが器量良しってのは、ホントだけど。
まあまあ、これから口が裂けるから、もう少しだけ見てておくれ。
あたしじゃ無い。鏡をだよ。
なんで鏡越しでなければいけないのかって? いやいや、あんた、鏡越しでなきゃ見れないでしょ。
あんたの口が裂けるとこ。
…話が違う? どこが?
あんただって妖怪だろう? なら、あんたの口が裂ければ、「妖怪口裂け女」じゃないか。嘘はついてないよ。
…嫌です、て言われてもねぇ。あんたが言い出したんじゃないか。あたしは嫌だって言ったのに…
…ん、ああ、動けない? まあそうだろうね。あたしの方が強いもの。
あたしは、まあ、あんたと比べたら若いけど、日本中を騒がせたもの。
そんな妖怪、他にいるかい?
あんたはこの千年の間、どんだけ人を怖がらせれた?
スペルカード? なんだいそりゃ? 遊戯王ってやつかい?
ほら、これだよ。この鎌で、あんたのほっぺをすーっとね。
まあ、安心しなよ。死ぬほど痛いから。
おまけに傷が塞がらない特典付き。お得だね。
…んな、怯えなくても、ってあら、涙まで。
あんた、あたしの大先輩なんだから、こんな事で泣かないでおくれよ。鴉なんて元々大口じゃないの。
…全くもう、これ『で』懲りたら、あんまり他人様に迷惑を掛けるんじゃないよ。
じゃ、いくよ。
「うわああぁぁぁああぁ!!?!」
そこで目が覚めた。
ここは、私の部屋。なんとも厭な気分。
寝惚けと目覚めが入り雑じって、いやはや、頭がよく働かない。
額に手をやり、思考と動悸を整える。
ふぅ、と一息。
……酷い夢を見ましたね。
――私は気を落ち着けると、窓のカーテンを開けて外を見た――
眩しい太陽。どうやら、お昼近くらしい。
夢の中の、厭な蟠りは、その日に照らされて萎えていく。
…ああ、本当に厭な夢だった。
結局、口裂け女の○○氏は、写真は撮らないと言ってもその素顔を見せてはくれなかった。
逆に「厭なモノを見たがるのは、人間の悪癖だよ」と説教されてしまう始末。
まあ、そんな説教では、私の記者魂は鎮まりませんが。
…はてさて、どうしましょうか。
目は醒めましたし、とは言っても、何を始めるにも中途半端なこの時間。
とりあえず、昨日の取材内容でも見直しますか。
――私は仕事机の上に置いてあった手帖を手に取った――
~取材先・人間の里
対象・里に住む妖怪達 特→口裂け女・○○氏、長屋住まい。
………
………
~~~
うーん、どうしましょうかね。記事。
外の世界の有名な妖怪は、良いネタになると思ったんですが。
まさか、人を怖がらせる事に興味が無いとは……
…外の妖怪は、腑抜けてしまったんですかねぇ。
そんな事を考えてながら手帖の内容を読み返す。
頁をめくる音が、
パラリ、
パラリ、
パラリ、
………
不意に、ささくれのような違和感が、頭の中に湧いた。
何かを見落としているような、否、見落としている。
そんな違和感が。
――私は再度、手帖を見直した――
……違和感の元は、あの夢だ。
あの時、私は彼女の長屋に上がっていない。
だから、あの夢の中の彼女の部屋は、私の想像の筈。
何が、おかしい?
……化粧台。
妖怪とはいえ女性の部屋なら、化粧台の一つくらいあって当然だろう。あの、奇妙な形をした紅だって、以前見た事がある。
夢で彼女が言った通り、とんでもない値段だったが……
香水やら、他の硝子瓶なども、まあ、外の世界ではありそうな、そんな感じだった。
私の、外の世界に対する思い込みの産物だろう。
………
でも、遊戯王って、何?
………
何と無く触れた、その指先に、脂のような、ぬるりとした感触。
――私は口許から手を離した――
「…ぁ……」
――その指先は、真っ赤に染まっていて、頭の中は真っ白に、洗面台へと駆けていく――
『おまけに傷が塞がらない特典付き。お得だね』
嘘、嘘、そんな筈は…
――私は手洗いの前の洗面台へ駆け込むと、壁に据え付けられた鏡を覗き込み、そして――
『どうだい、口裂け女になった気分は? これは餞別だよ↓』
鏡には、ルージュの伝言が残されていた。
その前にちょこんと鎮座するのは、淑やかな赤の口紅。
鏡に映る私の顔には、耳から唇に掛けて、真っ赤な口紅が子供の悪戯のように塗りたくられていた。
――やってくれますね……
彼女は如何にして、警戒厳しい妖怪の山の、私の家に忍び込んだのか。
背筋に走った恐気も可笑しく、文は口を歪めて笑った。




