第2話後半 【女性ジャーナリスト 穂村視点】
【女性ジャーナリスト 穂村視点】
警察署の裏手にある、年季の入った純喫茶の奥のボックス席。
タバコの煙が煙る薄暗い店内で、私は冷めたアイスコーヒーのグラスを傾けていた。
対面に座っているのは、生活安全課のベテラン刑事——大野だ。
大野は周囲を一度チラリと見回すと、胸ポケットから折りたたまれたA4用紙のコピーを取り出し、テーブルの上を滑らせてきた。
「穂村さん、これ。とびっきりのネタだよ」
紙には『告訴状』と印字されている。被告訴人は女性。罪名は不同意性行罪。
「なにこれ。女性が男性を襲ったってこと?確かに珍しいけど……」
「違うんだよ」
大野は黄色く黄ばんだ歯を見せて、不快そうに鼻で笑った。
「うちで勾留してる不同意性行の男がいてさ。相手の被害女性は取調べでボロボロ泣いてるような状態なわけ。なのに、その男についた国選弁護人がイかれててね。『男は泥酔してて記憶がないのだから、男側こそ被害者だ』とか言って、被害者の女の子を逆に刑事告訴してきたんだよ」
私は思わず眉をひそめた。
「は……? なにそれ、セカンドレイプどころの話じゃないじゃない。被害者を脅して告訴を取り下げさせようとしてるの?」
「そういうこと! 浅野って被疑者もクズだが、知恵をつけた弁護士が輪をかけて悪質だ。阿久津って名前の若手なんだがね、法の下の平等だの何だの屁理屈ぬかして、うちの署にこの告訴状を無理やり叩きつけていきやがったんだ」
大野は身を乗り出し、声をひそめた。
「男と女が酒飲んで泥酔してやっちゃったなら、男が力づくで襲ったに決まってるだろうが。それを『お互い様』なんて理屈が通るわけねえよな。……穂村さん、この記事、うちに内緒で書いていいよ。君なら女性の気持ちがわかるだろう?この悪徳弁護士を社会的に叩き潰してくれると思って、一番に声かけたんだから」
なんともまあ、ジェンダーバイアス全開の、いかにも古い警察官らしいロジック。
だが——ジャーナリストとしての私の嗅覚が、猛烈に反応していた。
…これはバズる。
『性加害で告訴された男が、被害女性を“逆告訴”——狂気の弁護士が企てる司法の二次加害』
こんなタイトルでネット記事を一本書けば、SNSのフェミニストや人権派クラスタが狂喜乱舞して拡散する。PV数は跳ね上がり、炎上マーケティングとしては極上だ。
「大野さん、最高」
私は告訴状のコピーを手帳に挟み込み、口元を吊り上げた。
「この阿久津って弁護士、徹底的にネットリンチに遭わせてあげますよ。『被害者を脅迫する悪魔の弁護士』ってタイトルで記事出せば、事務所の電話は鳴り止まなくなって、Googleの口コミも星1の嵐でしょうね」
「ハハッ! いいねぇ! 法律の網をかいくぐってイキってる弁護士も、世間の炎上には勝てまいよ。痛い目見ないとわからんのだ、あの手の奴らは」
大野が嬉しそうに下腹を揺らして笑う。
「ねえ大野さん」
私は唇を舐め、悪戯っぽく微笑んだ。
「この記事が出たあと、阿久津の事務所に殺害予告を送っちゃうような『お茶目な読者』が出てくるかもしれませんけど……そこは警察として、少しだけ見逃してあげてくださいね?」
「ハハハハ! 聞かなかったことにするよ。まあ我々も忙しい身だからね」
二人の笑い声が、喫茶店の暗がりで湿っぽく重なった。
正義の味方のツラをした弁護士が、世論という名の炎に包まれて焦げていく様を想像するだけで、ゾクゾクするような快感が込み上げてくる。
喫茶店を出ると、警察署の階段を下りていく男の背中が見えた。黒いスーツを着た弁護士だ。あれが阿久津弁護士か…?
いいや、違っていたとしてもただのイメージ写真だと言えばいいだけのこと。
私は遠くの車内からスマホの望遠カメラを向け、冷たいシャッター音を響かせた。
そのままタクシーに飛び乗り、出版社が入る大手町のビルへと向かう。
「デスク! 超特大のスクープ入りました。今夜中に一本組みます!」
編集部に駆け込むなり私が声を張ると、締め切り前の殺伐としたフロアで、デスクがパソコンのモニター越しに顔を上げた。
「スクープ? どうせまた声優だか2.5次元俳優だかその界隈だけの有名人の不倫だろ。今週は枠がいっぱいだぞ」
「違いますよ。司法のバグを突いた、胸くそ悪い性加害事件の二次加害です」
私は手にしていた告訴状のコピーを、デスクの前にドンと叩きつけた。
「不同意性行で勾留された男の弁護士が、『彼こそ泥酔して記憶がないから被害者だ』って、被害者の女性を逆に刑事告訴してきたんです。警察に不当なプレッシャーをかけて強引にね」
デスクの目が、一瞬で鋭くなった。
出版業界で長年メシを食ってきた男の目が、強烈な「金の匂い」を察知した顔だ。
「……マジか。性加害の被疑者側が、被害者を逆告訴……? そんな無茶苦茶なことが通るのか?」
「法律の穴を突いた屁理屈ですよ。でも世間——特にネットのフェミニストたちは、こういう『歪んだ正義』を何よりも嫌います。そしてその狂喜乱舞を見たアンチフェミアカウントたちも一斉にそれを腐すでしょう。タイトルに『二次加害』『悪徳弁護士』『司法の敗北』ってワードを躍らせれば、絶対にトレンド1位行きます。PV数は今月トップを狙えますよ」
デスクはニヤリと口元を歪め、キーボードを叩く手を止めた。
「よし、今夜のネット版で即打つぞ。紙面の方も巻頭の差し替え枠を確保する。相手の弁護士事務所には……そうだな、明日の夕方5時までに回答を寄こせってファックスを入れておけ。返答がなきゃ『回答拒否』で叩けばいい」
「了解です。弁護士側の回答なんて最初から期待してませんから」
自席のPCの前に座り、ハイスピードでキーボードを叩き始める。
カチャカチャカチャ……ッ!
記事の見出しを打ち込んでいく。
『【独占】性加害の男が被害女性を“逆告訴”の衝撃——狂気の弁護士が仕掛ける二次加害と、恐怖に震える被害者の叫び』
正義を振りかざす弁護士が、世論の暴力に晒されて社会的に抹殺されていくカウントダウンが、たった今始まった。
画面から放たれる青白い光に照らされながら、私は胸の奥から湧き上がる興奮を抑えきれず、激しくキーを叩き続けた。




