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第2話前半 受け取らない根拠、ありますか?

【阿久津視点】

面会から一週間、事件開始から二週間後——。

「——というわけでね、阿久津先生。これ、預かるわけにはいかないんですよ」

警察署三階、刑事課の奥にある雑然とした相談ブース。

浅野の事件を担当している生活安全課のベテラン刑事——大野は、俺が差し出した書類を一瞥いちべつしただけで、薄笑いを浮かべながらデスクの端へ滑らせて戻してきた。

書類の表題には、太字で【告訴状】と印字されている。

被告訴人、香織。罪名、不同意性行罪。

「大野さん、ちゃんと中身読みました? 形式上の記載要件はすべて満たしてますよ。告訴人本人の指印もあります」

俺は応接用の硬いパイプ椅子に深く腰掛け、両手を組んだ。

面会室から上がってきて、すでに三十分以上もこの狭い部屋で待たされている。警察特有の「たらい回しにして諦めさせる」ための古典的な嫌がらせだ。

「いやあ、要件とかそういう話じゃなくてね」

大野はタバコ臭い息を吐きながら、肘を机についた。ネクタイの緩んだ首元を掻きながら、諭すような、どこかバカにした口調で言った。

「被疑者の浅野さんがさ、取調べで追い詰められて苦し紛れに言ってることでしょう? 被害者の女の子、取調室でどれだけ泣いたか知ってます? トラウマで夜も眠れないって言ってるんですよ。それをさ、弁護士さんが知恵つけて『相手も泥酔してたんだからお互い様だ、逆に訴えてやる』なんて……先生ね、法廷で勝てば何でもアリってわけじゃないでしょう。人として、少しは節度ってものがあるんじゃないですか?」

「おっと、刑事さんが『道徳』の講義ですか。頼んでもいないのに恐縮です」

俺はくすりと笑い、身を乗り出した。

「ですがね、大野さん。刑事訴訟法241条をご存じですよね? 『告訴又は告発は、書面又は口頭で検察官又は司法警察員にこれをしなければならない』。そして司法警察員には、提出された告訴状を正当な理由なく拒否する権限はない。この告訴状を受け取らない法律上の根拠、何かありますか?」

「だからさあ」

大野の目が、スッと細くなった。笑みを消し、低い声で威圧感を滲ませる。

「虚偽告訴の疑いがあるものを、警察が軽々しく受理できるわけないでしょう。浅野さんが保釈欲しさに嘘をついてる可能性が高いんだから。こっちもヒマじゃないんですよ。不真面目な書類に付き合ってる時間はないの」

「虚偽告訴?」

俺はわざとらしく目を見開いた。

「大野さん、今『虚偽』っておっしゃいました? 浅野さんが嘘をついていると、捜査もせずに断定したんですか? 当日、浅野さんも深刻なアルコール摂取により記憶を失っていた。これは客観的な事実です。女性側の主張だけを真実と認定し、男性側の被害申告を端から嘘と決めつける……。それ、捜査機関の予断と偏見以外の何物でもないですよね?」

「……」

「いいですか、大野さん」

俺は声を少し落とし、楽しさを隠しきれない笑みを浮かべた。

「あなたがここでこの告訴状の受領を拒否するなら、僕は速やかに『警察官による不当な告訴受領拒否』として、都公安委員会へ苦情申し立てを行います。同時に、公判の場でも『捜査機関が意図的に被疑者に有利な証拠・主張を排除した、不公正で憲法14条に違反する捜査だった』と徹底的に主張させてもらいますよ。担当刑事であるあなたのお名前を出してね」

大野の頬の筋肉が、ぴくりと痙攣した。

周囲のデスクで電話をかけていた他の刑事たちも、何事かとこちらを伺っている。室内を流れるパイプの雑音が、急にやけにうるさく感じられた。

大野はしばらく俺を睨みつけていたが、やがて「はぁー」と深いため息をつくと、引き出しから重々しく赤スタンプを取り出した。

「……先生さあ。こんな筋の悪い屁理屈通して、浅野さんのためになると思ってんの?」

「ええ、もちろん。僕は依頼人の権利を最大限に擁護する『忠実義務』を果たしているだけですから」

バン!と、刑事課の部屋に重い音が響いた。

告訴状の表紙、その右上に「受領印」が押された。

日付は本日。担当警察署の赤いスタンプが、鮮やかに捺されている。

大野は受領印を押した書類を俺の目の前へ放り投げると、冷ややかな目で吐き捨てた。

「事件が余計に泥沼化して、困るのはあんたの客だけどね。……まあ、せいぜい頑張ってくださいよ」

「ありがとうございます。お仕事お疲れ様です」

俺は綺麗に受領印が押された告訴状の控えをファイルに収め、足取り軽やかに警察署の階段を下りた。

よし……まずは第一段階突破だ。

警察署を出ると、初夏の青空が広がっていた。

警察はこれで、浅野を「被疑者」として取り調べると同時に、被害者であるはずの女性・香織のことも「不同意性行の被疑者」として取り調べざるを得なくなったのだ。

検察官は今頃、捜査機関から上がってくるこのイかれた報告を聞いて、どんな顔をするのだろう。

想像するだけで、口元のニヤけが止まらなかった。

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