第13話(最終話) さあ、どうなるんでしょうね
【阿久津視点】
事件発生から4年と2ヶ月。
長かった実験の「結果発表」の日が来た。
重々しい扉を押し開き、静まり返る最高裁大法廷へ足を踏み入れる。
高壇に並ぶ十五人の裁判官たちは皆、これから自分たちが下す判決によって最高裁の威信が、そしてこの国の社会がどう変貌してしまうのか、その重圧に押し潰されそうな顔をしていた。
……クク、いまだに合議の結果に納得がいっていないような顔をしている者も混ざっているな。改めて15人の顔ぶれを見る。一番白熱したのは、きっと学者枠の川西と女子枠の安村だろう。二人の表情から勝敗は読めないが、激昂した跡がその顔に残っている。
『川西先生、お友達の学者先生に肩入れしすぎじゃないかしら』
『なんだと安村君! 憲法14条の理念を何と心得る!』
……合議室で繰り広げられたであろうそんな醜い罵り合いの末、はてさて、どちらの言い分が通ったのやら。
考えてみれば、随分とおかしな話だ。たかだか15人の、それも碌な社会経験もない偏屈な老人たちの多数決の結果が、神の御言葉の如く崇められ、この先この国での覆しようのない基準となるのだから。
裁判官たちに軽く会釈をしてから、今度は向かいの検察席に目をやった。
最高検の東条と東京地検の三宅は、「自分たちの正義が勝つ」と言いたげな『自信に満ちた顔』を必死に取り繕っていたが、引きつった口元と泳ぐ視線で丸わかりだ。今更どんな顔を作ろうが、主文はすでに確定しているというのに。わざわざご苦労なことだ。
ふと、自分のとなりに座る浅野を見る。
出会った当時は32歳だったか。今は36、いや、ついこないだ37歳になったと言ってたか。いくら四十手前とはいえ、ずいぶんと老けた。白髪は目立ち、目元には消えない深いシワが刻まれている。
だが、その表情は驚くほど晴れやかだった。
開廷前、弁護士控え室で彼の父親も含めて三人で話した時のやり取りを思い出す。
『阿久津先生、本当に……ここまでありがとうございました』
浅野は頭を下げ、どこかすがすがしい笑みを浮かべて言っていた。
『正直、最初は不安しかありませんでした。でも、阿久津先生のおかげで、双方記憶なし・双方泥酔という事実は、もう十分全国に知れ渡りましたからね。ネットを見ても、以前みたいに僕を一方的に性犯罪者扱いする声ばかりじゃなくなってきた』
『……ほう。それは良かった』
『ええ。だから仮に今日負けて有罪判決が確定しても、僕はいつか社会復帰できると思っています。その時誰かに何か言われても、あの判決を出した日本の司法がおかしいんだって堂々と説明するだけです。ほとんどの人はわかってくれることでしょう。……もう僕は、阿久津先生が仕掛けたこの戦いを、一番の特等席で見守る観客の気分ですよ』
横にいた浅野の父親も、息子の言葉に複雑そうな表情を浮かべつつ、どこか吹っ切れたように頷いていた。
『先生、息子をここまで連れてきてくださって感謝しています。勝ち負けがどうなろうと、私たちは先生を恨みません』
……何ともまあ、従順で扱いやすい親子だこと。
彼らにとってこの4年間は「理不尽な冤罪からの救済」だったのかもしれないが、俺にとってはただの「司法システムのバグ検証」に過ぎないというのに。恨まれこそすれ感謝される筋合いなどない。
傍聴席に目をやる。
香織がいた。周囲を政治団体『革命党』の沢田や、フェミニスト団体の幹部どもに頑丈に囲まれ座っている。まるで神輿のようだ。彼女の視線は一直線に俺に注がれ、逃げ場のない禍々しい憎悪の目で凝視し続けていた。
判決の主文次第では、俺の最期は法廷を出た後に彼女の手で刺されて迎えることになるのかもしれないな。
……まあ、本来ならここまでの過程で、彼女が疲弊したタイミングを見計らって示談に持ち込めば、悠々和解できただろう。そんな和解の機会をことごとく握り潰し、彼女をここまで退路のない憎悪の道に突き進めさせたのは俺だ。刺されたところで、因果応報、道理は通る。
……おや。
その香織からは死角になる後方の席で、誰にも気づかれないようひっそりと佇んでいる女がいる。
確か…香織の友人だった真央という女か。あんなに親密だった二人が、なぜあんな距離感を保っている? 仲違いでもしたのか。
まあ、どうでもいいか。……おや?
その少し離れた傍聴席の端に、ふと見覚えのある面影の女性が目に入った。
……あそこにいるのは、浅野の元恋人か?
確か、裁判の泥沼化に耐えかねて彼のもとを去り、別の男性と結婚して今では二児の母になっていると風の噂で聞いていたが。
4年と2ヶ月という月日の流れを感じさせるな…。過ぎ去った時間は、誰も巻き戻せない。まあ、家庭のある彼女がこんな社会のドブ底のような法廷に来るはずもないか。見間違いだろう。
コトン、と重厚な木槌のような小音が響き、法廷内の不協和音めいた私語が一瞬で霧散した。
刻限だ。
最高裁長官・長野が重々しく壇上に立ち、マイクに向かって息を吸い込む。
「主文——」
いやはや、実に長い旅だった。
最高裁が法理の否定を選ぶか、それとも過去の夥しい判例の否定を選ぶか——。
爪の先を愛おしそうに軽く撫でながら、俺は心の中で静かに呟いた。
「さあ、どうなるんでしょうね」
【完】
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本小説での投稿は次のエピローグで終わりになります。
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