第6話後半 【証人 長谷川視点】
【証人 長谷川視点】
「……証人の長谷川さん。あなたから見て、当夜のふたりの様子はどうでしたか?」
証言台の上に設置されたマイクに向かって、俺は重い溜め息を呑み込んだ。
店名『CROSS』。渋谷の路地裏で細々と10年やっているバーのオーナー店長、それが今の俺の肩書だ。
営業後の片付けをして掃除機をかけていた先月、警察がゾロゾロと押し寄せてきて「防犯カメラの映像を任意提出しろ」と言われた時は、てっきりうちの店で事件でも起きたのかと肝を冷やした。
それが巡り巡って、まさか平日の真っ昼間に仕事を休まされ、こんな巨大な法廷の真ん中に立たされるハメになるとは。
「ええと……はい。お二人とも常連というわけではなく、あの日が初来店でした。カウンターの端で、お二人でかなりハイペースにお酒を召し上がっていらっしゃいましたね」
俺が淡々と答えると、検事の三宅という男が力強く頷き、畳みかけてくる。
「では長谷川さん! 映像にもあった通り、被告人の浅野氏は会計時にクレジットカードをスムーズに取り出し、サインもしていましたね? 彼の意識はハッキリしていた、そう見えましたね!?」
「あー……まあ、会計のときは普通に応対していただいたかと……」
「裁判長! 証人の証言からも、浅野氏には明確な意思能力があったことは明らかです!」
三宅検事がドヤ顔で法壇を見上げる。だが、間髪入れずに阿久津という弁護士がヘラヘラとした笑みを浮かべながら立ち上がった。
「異議がありますねえ。長谷川さん、検事の言う『意思能力のハッキリしたこの男性客』がカードを出したとき、手元が狂って一度カードをカウンターの上に落としませんでしたか? 記憶をよく思い出してください」
「え? ああ……言われてみれば、一度落として『すみません』とおっしゃっていたような……」
「ほう! つまり視覚と手運動の協調運動に著しい障害が出ていたわけだ!」
阿久津がパンッと手を叩いた。
「では長谷川さん! 彼女——香織氏が浅野氏の腕を引っ張って店を出て行った時、彼女の足取りはどうでしたか? 浅野氏と比べてどちらが『しっかり』歩いていましたか!?」
「え……いや、どちらがしっかりといわれても……女性の方もだいぶお酔いにはなっておられましたが……」
「どちらが『より』酔っていたかを聞いているんです! 目測ですが角度にして浅野氏のよろけた際の角度は30度以上はあるでしょう! 対して彼女の傾きは一連の動作を通じて10度未満! 店主として、酒のプロとして、どちらが『潰れていた』か答えてください!」
「弁護人! くだらない屁理屈で証人を誘導するな!」
三宅検事が顔を真っ赤にして卓上を叩く。
「くだらないとは何だ! 双方の受忍限度と意思決定能力の比較検証は本件の核心だ!」
「なんだと!?」
「はいはい、静かにしなさい!」
裁判長の木槌の音が響く中、俺は証言台で口を半開きにしたまま、二人を交互に見つめていた。
……なんだこの、くだらない議論は。
胸の奥から、込み上げてくるのは怒りですらなく、圧倒的な呆れだった。
立派な大学を出て、厳しい司法試験を突破したであろう大人の男二人が、高級そうなスーツを着て、裁判所という厳格な場所で、真っ赤な顔をして怒鳴り合っている。
議題は——「泥酔した男と女の、どちらがより酔っ払っていたか」。
アホらしい。心底、アホらしい。
あの日、あの二人が店で何をやっていたか、朧げだった記憶が何度も何度も防犯カメラを見せられてくっきりと浮かび上がってくる。
最初は仕事の愚痴だかで盛り上がり、調子に乗ってテキーラや濃いめのカクテルをポンポン注文して、どんどん酔っ払っていった。
男の方はカッコつけて奢ろうとしてカードを落とし、女の方は足元をふらつかせながら男の腕に抱きついて店を出て行った。
お互いに泥酔したまま店を出て、翌朝になって片や「襲われた」と警察に駆け込み、片や「こっちこそ襲われた」と逆告訴する。
それを『受忍限度』だの『意思決定能力の欠如』だのと難しそうな法律用語を並べ立て、大人たちが大真面目に責任をなすりつけ合っている。
狂っているのは、この法律なのか。
それとも、この部屋にいる奴ら全員なのか。
「……証人の長谷川さん」
呆れ果てる俺に、中央の裁判長が困惑したような表情で問いかけてきた。
「最後に、双方の様子を見ていたプロの立場として……あなたから見て、どちらが主導権を握り、どちらがより重度に泥酔していたと感じましたか?」
法廷内の全員の視線が、俺に集まる。
三宅検事も、阿久津弁護士も、鼻息荒く俺の口元を凝視している。
俺はゆっくりと息を吐き出すと、マイクを引き寄せ、心の底からの言葉を述べた。
「…要するに、どちらがよりヤリたがっていたかが知りたいわけですよね。そんなのわかるワケなくないですか?神様じゃあるまいし」
裁判長が慌て気味に
「しょ、証人は聞かれたこと以外は答える必要はありません!」
と俺を静止する。
…なんだコイツら…無理やり連れてきて俺に好きに発言することも許さねーのかよ。
俺は顎を上げてこれ以上は話さないという意思表示をし、黙って裁判長の目を見続けた。
しーんと、法廷内が静まり返った。
三宅検事が引きつった顔で咳払いをする中、弁護人の阿久津だけが、満足そうに「ご協力ありがとうございました」と深々と頭を下げていた。
その歪んだ笑顔を見たとき、俺はハッとした。
「なんてくだらない時間なんだ」と俺、そして傍聴席の聴衆たちが抱いたであろうこの感情すらも——全部、コイツの操作によるものなんじゃないか?と。
俺も10年店を張っている経営者だ。それなりに修羅場は潜っているからわかる。
ごくたまにいる。自分の土俵に引きずり込み、人の認知、感情すらもコントロールしてしまう本物の化け物。
ぞくっと背筋に冷たいものが走った。これ以上、この男に関わるのはゴメンだ。




