第6話前半 異議あり!
【阿久津視点】
初公判から1ヶ月、事件発生から4ヶ月後——。
迎えた第2回公判。
前回、俺が叩きつけた「公訴棄却」の申立てに対し、裁判所は「結論は実体審理を経て判断する」と判断を棚上げし、そのまま本格的な証拠調べへと突入した。
焦る検察側が巻き返しを狙って出してきたのが、本日申請された証人と証拠映像だった。
「……本件は双方の主張が真っ向から対立しており、被告人・浅野氏の意思決定能力ならびに当時の状況を客観的に立証するため、証人としてバー『CROSS』の店長・長谷川氏の尋問を請求します。併せて、店内の防犯カメラ映像を証拠として提出いたします」
検察官席で三宅検事が胸を張り、朗々と声を響かせた。
傍聴席の記者たちが一斉にペンを走らせる音が聞こえる。
三宅の顔には、「勝った」と言わんばかりの自信が満ちあふれていた。
おそらく彼はこう考えているのだろう。『阿久津の屁理屈は双方に記憶がないことを前提にしている。だが、客観的な防犯カメラの映像で浅野に相応の意識があり、自ら行動していたことを証明すれば、あいつの「双方イーブン」「公訴権の濫用」というロジックは根底から崩れ去る』と。
……もちろんその映像は俺も見てる。予測済みだ。
検察がわざわざ手配してくれた「最高の客観的証拠」だ。利用しない手はない。
「裁判所、証拠調べを認めます。大型モニターに映像を投影してください」
裁判長の促しにより、法廷中央の大型モニターに無音の防犯カメラ映像が映し出された。
タイムスタンプは事件当夜の23時14分。薄暗く雰囲気のあるバーの店内だ。
画面の端、カウンター席で浅野と被害者兼被疑者・香織が並んで座っている。
三宅検事が意気揚々と立ち上がり、指し棒でモニターを指した。
「裁判長、ご覧ください。23時15分、浅野氏は自ら胸ポケットから財布を取り出し、クレジットカードを差し出して会計を済ませています。さらに、立ち上がった際も自分の足でしっかりと歩行しており、意思決定能力を完全に喪失していたとは到底認められません!」
三宅は得意げに鼻を鳴らし、こちらを鋭い眼光で睨みつけてきた。
法廷内には「なんだ、男の方は結構しっかりしてたじゃないか」という静かな空気が漂い始める。
「異議あり!」
手を伸ばしそう言ってから俺はゆっくりと立ち上がった。
口元に浮かび上がりそうになるニヤけを、手のひらで口元を覆うフリをして必死に押し殺す。
「……検察官、素晴らしい証拠映像をありがとうございます。これで事実が極めて明瞭になりました」
俺の声に、三宅が不審そうに眉をひそめた。
「裁判長、映像を23時18分、二人が店を出る瞬間の場面まで巻き戻し、0.5倍速で再生していただけますか?」
画面上の二人が、スローモーションで動き出す。
「検察官は『浅野氏が自分の足でしっかり歩いている』とおっしゃいましたが……どこに目をつけていらっしゃるんですか?」
俺は一歩前へ踏み出し、モニターの浅野の足元を指し示した。
「見てください。浅野氏の軸足の揺れを。彼はフレームアウトしかけるほど右へ左へと大きく体幹を崩し、壁や柱に肩をぶつけながらかろうじて倒れるのを耐えている。医学的にも、これは重度の運動失調——いわゆる『本物の千鳥足』状態です。まっすぐ歩くことすら物理的に不可能な状態だった」
「っ……! だが、自力で歩いてはいるだろう!」
三宅が割り込むが、俺はそれを手で制し、さらに畳みかけた。
「問題は、その隣にいる香織氏の挙動です」
法廷の全員の視線が、画面の中の香織に注がれる。
「千鳥足で倒れかける浅野氏の右腕を、香織氏は両手でガッチリと抱え込み、強い力で進行方向へと引っぱっている。……ご覧になれますか? 彼女の足取りにはブレがなく、体幹も安定している。そして何より、歩行不能に近い浅野氏を引っ張って店の外へリードしているのは、明らかに香織氏側です」
「な……!?」
三宅の顔から、一瞬で血の気が引いていくのがわかった。
「音声のない映像だからこそ、身体動作という揺るぎない客観的ファクトが浮き彫りになる」
俺は法壇の裁判官たちへ向かい、通る声で朗々と宣言した。
「検察側は『浅野氏が香織氏を無理やり連れ込んだ』というストーリーを描きたかったようですが、この映像が証明している現実は真逆です。『自分の力で立つことすらままならない重度の泥酔男性を、比較的意識のハッキリした女性がホテルへと誘導・連れ込んだ構図』ですよ。 これのどこが『男性による強制的性加害』ですか? むしろ『泥酔して抵抗不能な男性への性的加害』そのものではありませんか!」
「異議あり! 弁護人の強引な主観的解釈です!」
三宅が怒りの血管を浮かべて叫ぶが、その声は焦りで引きつっていた。
傍聴席からは「え……じゃあ、本当は男の方が連れていかれたのか?」「逆じゃないか……」と、大きなどよめきが巻き起こる。
検察が自信満々に提出した切り札が、そのまま自らの喉元を穿つ刃となった瞬間だった。
混乱する法廷の中心で、俺は込み上げるゾクゾクとした快感に身を委ねながら、静かに次の手番、証人尋問へと意識を向けた。




