第5話後半 【被告人の父 浅野勇一視点】
【被告人の父 浅野勇一視点】
多額の保釈金をどうにか工面し、和彦が我が家へと戻ってきた。
だが、かつての生き生きとした息子の面影はない。家の中でもカーテンを固く閉ざし、自室のベッドの上でただ天井を見つめ、塞ぎ込んでいる。
事件直後は気丈に連絡をくれていた和彦の恋人も、保釈後一度だけ顔を出してくれたものの、その表情には隠しきれない疲弊と拒絶の色が滲んでいた。あの様子では、もう二度とこの家に来ることはないだろう。責める気にはなれなかった。彼女の人生を考えれば、それが正常な判断だ。
和彦が勤めていたイベント会社には、私と妻が頭を下げに下げて回った。なんとか懲戒解雇ではなく「休職」という形に留めてもらったが、いつか和彦の名誉が回復され、復帰できる日が来るのか、正直なところ私には分からない。
家の周囲には、明らかにマスコミとわかる連中が群がっている。週刊誌、新聞、テレビの記者が代わる代わるインターホンを鳴らし、カメラを向けてくる。
怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られるたび、阿久津弁護士から言われた「一切応答しないでください。どう対応しようと絶対に悪化しかしません」という言葉を思い出して踏みとどまる。だが、家の周りをうろつくマスコミの気配に妻の精神が限界を迎えてしまった。今はこれ以上壊れるのを防ぐため、妻には妻の鹿児島の実家へ一時的に避難してもらっている。我が家は、事実上の崩壊状態にあった。
そうして迎えた、東京地方裁判所での初公判。
私は傍聴席の硬い木製ベンチに座り、ただ息子と裁判の行く末を見守っていた。
被告人席に立つ和彦の背中は小さく震えている。その一方で、弁護人席に座る阿久津弁護士は、まるで最高の舞台が開幕したとでも言わばかりに、不敵で自信に満ちた笑みを浮かべていた。
「刑事訴訟法338条に基づき——直ちに本件を『公訴棄却』とすべきである!」
映画の決め台詞のような言葉が自信満々に放たれた。
——この男を、人間として信用しているわけではない。
こんな風に、他人の人生を賭けた修羅場を心から楽しんでいるような男を、信用できるはずがない。そんなことは一目見ればわかる。
だが同時に、和彦を勝たせたいという利害は一致しているはずだ。そして何より、世間すべてが敵に回ったこの状況で、これほどまでに狂った情熱と執念をこの一件に注いでくれる弁護士が、他にどこにいるというのだ。
阿久津弁護士はこうも言っていた。「反省の色を示せば示談に持ち込めるとか、裁判官の心象が良くなって刑が軽くなるとか言う人もいるでしょうが…そんな保証、どこにも無いんですよ」と。それもまた一つの事実なのだろうと思う。何が正解かなど、後から結果論としてしか言えない。追い詰められた先に現れた選択肢に、安牌など存在しない。
裁判自体は、拍子抜けするほど淡々と進んだ。
互いの言い分が法廷という空間で交わされるだけで、初公判はあっけなく終わった。まあそういうものなのか。
傍聴を終え、ぐったりと気力を失った和彦を実家へと連れ帰る。
家に着くなり、和彦は一言も発さず、自分の部屋へと逃げ込むように閉じこもってしまった。バタンと閉まるドアの音が、やけに重く室内に響く。
私はリビングの古いダイニングテーブルに向かい、パソコンを開いた。
もし、この裁判に負けたら——。
いや、たとえ最悪の結果になったとしても、和彦の人生は続いていく。その時、親としてどうやって生きる道を示してやればいいのか。絶望に沈んでいる暇などない。私は検索窓に文字を打ち込み、不確かな未来の生き方を必死に調べ始めた。
画面には、性犯罪や冤罪疑惑、あるいは不可抗力のような事故で実刑判決を受け、服役した男たちの「その後」に関する事例や手記が、冷酷な事実として並んでいた。
実家を頼った地方での農業・自営業への転身、 身元保証人を必要としない、解体業などの身体を酷使する企業への就業、海外に移住しての再出発。
画面をスクロールするたび、指先が冷たくなっていく。
どれも、一度踏み外せば二度と元の日常には戻れないという、残忍な現実を物語っていた。大手イベント企画会社で将来を期待されていた息子の姿は、そこにはどこにもない。
それでも——。
「どんな形になろうと、和彦の人生は続く……」
私はマウスを握りしめ、それらの事例や支援団体の連絡先を必死でメモ帳に書き留めた。阿久津弁護士の狂気めいた「ゲーム」がどんな結末を迎えようと、父親である私だけは、暗闇の底にいる和彦に道標を遺す準備を捨ててはならなかった。




