第18章 帰ってきた朝と、変わらない場所
旅行から帰った翌朝、Lunetteの鍵を開ける音が、いつもより少し軽やかに響いた。
真澄はエプロンを付けながら、昨夜のことを思い出して頰が緩むのを止められなかった。温泉街の夜風、拓也の温もり、静かな告白——すべてが夢のように感じる。
「私、ちゃんと恋してるんだな……」
豆を挽き、湯を沸かし、ハンドドリップでコーヒーを淹れる。いつもの動作が、今日は特別に愛おしく思えた。
九時開店。最初に顔を出したのは山田老人だった。
「おかえり。……顔がいいね、真澄さん」
「またそれですか。山田さん、鋭すぎますよ」
老人はブラックコーヒーを受け取りながら、穏やかに笑った。
「若い頃を思い出すよ。いいことだ。人生は二度目が一番味わい深い」
真澄は照れくさそうに笑った。
午前中、彩花が来て旅行の話を少しだけした。彩花は目を輝かせながら「いいなぁ、私もいつかそんな旅行したい」と呟いた。真澄は温かいカフェオレを出しながら、静かに励ました。
「きっと大丈夫よ。彩花さんなら」
昼過ぎ、遥がバイトで入ってきた。遥は真澄の顔を見るなり大騒ぎした。
「真澄さん! なんか雰囲気変わってませんか!? 温泉旅行、絶対にいい雰囲気だったでしょ! 告白されました!?」
「遥、声が大きいわよ……」
真澄は顔を赤らめながらも、軽く認めた。
「まあ……少し、進展したわ」
遥は大喜びで飛び跳ね、真澄をからかいながらも、心から喜んでくれた。
午後三時頃、拓也が書店から顔を出した。
カウンター越しに目が合うと、二人とも自然と微笑む。
「ただいま」
「おかえりなさい。……昨日のことは、ありがとう」
短い会話だったが、そこに甘い空気が流れていた。拓也は新しいタルトを試食し、「これも書店に置きたい」と嬉しそうに言った。
閉店後、真澄と拓也は店内で少しの間、並んで座った。
「旅行、楽しかったわ。本当に」
「僕も。……これからも、時々こうして出かけたいな」
真澄は頷き、拓也の手に自分の手を重ねた。
「ええ。でも、Lunetteの日常も大事にしたいの。ここが私の居場所だから」
「もちろん。君のペースで、一緒にやっていこう」
その夜、真澄は二階の部屋で日記のようにノートを開いた。
『旅行から帰ってきた。
変わったのは、私の心。
Lunetteは変わらずここにあり、私はここで、ゆっくり恋をしている。』
秋の風が、窓を優しく叩いていた。
Lunetteの看板は今日も柔らかく灯り、静かに街を見守り続けている。




