第16章 秋の予感と、ふたりの朝
九月に入り、朝の空気が明らかに澄んできた。
Lunetteの窓辺には、梨とシナモンのタルトが並び始めた。甘い香りにほのかなスパイスの香りが混ざり、店内を優しく包んでいる。真澄はこの新しい味を気に入っていた。
「秋は、私に合ってるのかもしれないわね」
朝一番に山田老人が来て、タルトを一口食べて目を細めた。
「これはいい……。夏より、深みがあるな」
「ありがとうございます。秋仕様に変えてみました」
午前中は穏やかな客足だった。彩花があかりちゃんを連れて来て、「最近夫と少しずつ話が進んでる」と嬉しそうに報告してくれた。真澄は温かい紅茶を淹れながら、静かに耳を傾けた。
午後、拓也が書店から顔を出した。最近はすっかりLunetteの常連の顔になっていた。
「旅行の件だけど……来週の週末、どうかな? 少し離れた温泉街にいいところを見つけたんだけど」
真澄はカウンター越しに拓也を見て、少しだけ迷ったあと、微笑んだ。
「いいわよ。楽しみにしてる」
拓也の顔が明るくなった。その瞬間、真澄は自分の心が軽やかに弾むのを感じた。怖さはまだ少し残っている。でも、それ以上に「行ってみたい」という気持ちが強くなっていた。
夕方、遥がバイトに入り、店内が少し賑やかになった。遥は旅行の話を聞いて大興奮した。
「えー! 温泉旅行ですか!? 真澄さん、絶対に浴衣着て、拓也さんと仲良くしてくださいね!」
「遥、はしゃぎすぎ。まだただの旅行よ」
「ただの旅行で終わるわけないじゃないですか!」
真澄は苦笑しながらも、遥の明るさに救われる思いだった。
閉店後、真澄は一人で店内を片付けながら、ふと祖母の遺した手紙を読み返した。
『無理はしないで。自分のペースでいいのよ』
真澄は手紙を胸に当てて、静かに微笑んだ。
「ばあちゃん……今、私は自分のペースで、少しずつ前に進んでるよ」
その夜、拓也からメッセージが届いた。
『旅行楽しみにしてる。
無理せず、気軽にいこうね』
真澄はすぐに返信した。
『私も楽しみ。
ゆっくり、行きましょう』
ベッドに横になりながら、真澄は天井を見つめた。
夏が終わり、秋が来る。
自分の人生にも、新しい季節が訪れようとしている。
Lunetteの外では、夜風が少しひんやりと看板を揺らしていた。
風鈴の音が、優しく秋の訪れを告げているようだった。




